case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2011,11,19 PM11

ツイッターで教祖様ごっこしようとしてアホクソ長くなったからこっちで記事にしてしまうことにした。
つまり本日の以下はfrom魔王である。


何かに対する諦観は、本来その人間がその何かに対して抱く「熱」の量から直結される。
「熱」さえ足りれば勝算が実質皆無でも挑むことはできる。「熱」がなければどんなに簡単なことでも投げ出すし、最悪無関心となる。覆るかどうかという可能性の話は、「熱」の産生と密接に関わり合いながらも、事実上「しょうがない」の決定打にはならないものだ。
 ならば、何かについて心の底から「しょうがない」と認めてしまった時は、その時点でその何かに対する関心は捨てた方がよい。自分の中の「熱」の存在とその指向性を見極め、有限である時間やマンパワーを注ぐべきところへ注ぐ方が幾分か有意義ではないか。
 逆に、とある何かについて「熱」が足りているという自覚さえあれば、多少「しょうがないかも」と思ったところで、必然的に諦める理由を持ったところで、諦めないという選択肢は充分に生き延びられるだろう。
 肝心なのは、自分の持つ「熱」の正体を終始見極めようとする姿勢だ。俺はこの過程こそが「望んだり生きたりする」ために不可欠なステップだと考えている。
 ただし、この理念が現実に即しては諸刃の刃となるケースが多いことは言うまでもない。場合によっては余程前向きでなければ自分の「熱」に準じることは困難になる。あるいは「熱」に飲まれて殉じる羽目になる。そもそもこの生き方のすゝめみたいな一連の思想は、人間が常にポジティブである場合を前提としている。と共感者には一応冷や水を浴びせておくべきだろう。
 とはいえ、このような話に共感した時点で、あなたは充分前向きだ、と保証せざるを得ないが。

以上だもんね。

今の自分の「熱」を見定めたうえで言うが、某OGさんを見習うことにした。生暖かい目でな。ついでに言えば同輩の皮肉が背中を押してくれた。
正月が近づいてきたせいかな。最近、消灯ですよして目を閉じるたびに、あのことに関する後悔を思い出してしまって、たまにどうしようもなくなる。日々の労働は心地よいが慣れない体に疲れが溜まってるのもあるんだろうな。収益や見返りもないから正直精神的に参りかけていたんだが。
まあでも、俺は恵まれている方だと思う。自慢していい。


Tweenはまた妙な機能に手を出してバグを量産している。
何が引き金かいまいちよくわからんのだが、とりあえず入力欄にあるはずのカーソルがたびたび別の場所へ動く。タイピング中でもお構いなしにどっかいく。
デスクトップでキーボードなのにお手元のタッチパネルを探してしまうよ。親指当たらない。