case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,1,14 AM5

遠慮なく使える駒が欲しい。もしくは人を駒として使えるくらい偉くなりたい。

必要を察して度々虚勢を張っちゃあいるが、結局は一人の人間であるという事実はついて回る。いくら影響力があっても一票は一票。またその影響力を無遠慮に振り回していいほどマスター&スレイブな関係も存在しない。部下だって人だ。

せめてこっちの腹の中をそつなく公表してくれる補佐が一人いればかなり楽になるんだが。
そういうスーパー秘書。ぶっちゃけ人格同士でちゃんと交信できる二重人格とかが理想。

「自分で言っちゃダメだろ」なことは非常に多い。「必ず裏(暗示)や先(続き)のある上で発言をしている」なんてこと自体も実はそうだろう。なんてことをブログに書いちゃっていいものかと思いながら今日は書くが。

不幸自慢もしたくない。苦労自慢もしたくない。俺はみんなのことをこんなに考えて「あげている」みたいなアピールになりそうなことも言いたくない。自分語りや愚痴が孕む危険性。この記事がまさに孕んでいるそれ。それこそ悪意を持って見られたらあっちゅうまだ。ミサワ恐怖症とでも呼んでくれ。

人徳の損なわれる発言は、たとえ真理を突いていたとしても付加価値は低く見られる。安くでも買ってもらえればまだましな方で、そういうのは買われない可能性が一番高い。

ある程度は「この裏まで察してくれるだろう」と相手を信用してツイッターなんかでも真面目な発信をしているが、さすがに全部は無理だろうし、確かめる機会も少ない。最近はあまりにも明らかに通じてないor通じてても軽んじられる例を見せられすぎて人間不信気味でもある。ああだからこんな記事書いてるのか。

(※発言の質が低くてまったく裏を察せる要素がない、あるいは察せるはするが汲む価値・必要性がないという可能性はもちろんあるが、それを言い出すと論点ずれるから保留。というか、その可能性を逐一自分から進んで肯定することは、察して汲んでくれる人がもしいた場合、その人に対して自分の発言の正当性を保証しないという不誠実が発生する。それが許されない立場にはいると自己評価している)

まあ言葉の表面をなぞるだけよりもレベルの高い「咀嚼」を相手に求めているのだから、それだけ外れやすいことは重々承知していると言っておかなくてはいけない。だからもはや祈りなんだよ。常に賭けにいそしんでいると言ってもいい。一人で賽銭箱いっぱいにしようと銭投げまくって一人で分の悪い賭けを繰り返すのは正直無茶だよなあ、と、今日はそういう話。

ちょっと赤裸々にぶっちゃけすぎてマジで人望なくしそうな記事と化しつつある気がしてきたぞ?不幸自慢以外の何ものでもなくなりつつある。おまけに誰も信用してないみたいな感じもしてかなりアレだ。

信用と懐疑は表裏一体として持つべきものではないかと思ってる。いやそれは確かにガチだがそういう問題じゃないな。
なんというか、自然体の信用はあまりできてない気がするよ。しがらみやら駆け引きを踏まえてあえて信用するようにしているという傾向が少なからずある。自然体の信用は今は、不安とか心配とかに負けてるんじゃないかねえ。自然体の信用というのはいわば安寧と同義だから。
目に見える功績でしか人を量れないのはあいかわらず。「無根拠な期待」という言葉は私の辞書には見つからない。

なんて言うけど、仲間集め・手下集めのできない俺の不器用さも悪いだろう。スーパー秘書とまではいかなくとも自分と同程度に動けてかつ安心して背中を任せられる相方を捕まえておくべきなんだ、自分の理想を追求したいなら。って、あれ、明らかに俺自身よりスペック遥かに高くなイカ?なんつー無茶を今まで言ってたんだ。おい、この記事水泡に帰したぞ。

違うよ。俺自身のスペックもそこまで引き上げたいんだよ。その上での話でもあったんだよ。

キャパシティオーバー甚だしくても菩薩でいたい。魔王という名の。