case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,1,19 PM10 【映画録『カールじいさんの空飛ぶ家』】

カールじいさんの空飛ぶ家 [DVD]

カールじいさんの空飛ぶ家 [DVD]

いいアニメ映画。綺麗なCGアニメーション作品。ただし脚本がいろいろ惜しい。
時間かけたっぽいのになあ。いやむしろ時間かけすぎて大事なものいろいろ見失ったというあるあるなのか。
とにかく各登場人物ごとの作中及びラストまでにおける「解決」が概ねどれも中途半端。冷静に観られる人はもやっとする。もやっとした理由はわかりやすいが、しかし製作者の狙いを読みつつ代替案を(制作者側が見失ったと思われるものも押さえつつ)考えていくとそれなりに手ごわい。そういう意味では惜しいものの面白いと思える作品。記号が魅力的なんだ、きっと。
最初の10分は独立した作品としてもう評価してしまっていい気がする。ああいう「美しい人生」みたいなのを表現されると弱いんだ。喉の奥に空気が詰まって、下瞼が熱くなっていく。


あ、そうそう。残念ながら雛鳥は生存なりませんでした。
寒さも問題だったがそれ以前に体質虚弱もあった模様。孵化後すぐ立てなくて転んでばかりいたのは当たり前のことじゃなかったのね。
供養はちゃんとした。哀悼ではないと思い出した。初めて知ったわけではないと思う。とかく一瞬でも家族だったものに親愛の情を贈りたかった。その方法としてちょうど手を合わせることを知っていただけ。それ以外ちょうどいいのがなかっただけ。

ツイッターでいつかつぶやいたが、たぶん自分は子供のころ死や死後についてあまり考えたことがない。故に得た死生観はまあともかく、もうちょっと思い出したこととして、どうやら死や死後よりも生に疑問を覚えることのほうが多かった。死んだらどうなるのかより自分が何故生きているのかの方が不思議だった。人生哲学的な話ではなく、どちらかというと生物学寄りに。認識哲学と言ってもいい。自分の認識に疑問を抱くこと、実はすべての認識は錯覚で自分は生きていないのではないか、ということをよく不思議がっていたように思う。今の人生観や死生観にも少なからず影響を与えている考察だ。生そのものが錯覚だと、信仰してはいないものの。

ちなみに、前の記事で雛鳥をりりちよと命名したなどと不届きなことをのたまったが、仮だったし、死亡当日もしっくりきてなかったので撤回。名無しのみでは不憫かとも思ったが、代わりに餌用に取っておいた米を冥土の土産に持たせた。奴は名無しの身軽で天に昇る。きっとあったかい場所に生まれ変わるから、名前もそこで新しくもらえばいいさ。