case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,6,3 PM2

長ったらしい雑感はツイッターじゃなくてブログにシマッチャオウネー。

/徒然

「違和感を感じる」ははたして正しい用法だろうか?ニホンゴ,ムズカシイネ | ニュース2ちゃんねる

特に下の方のやり取りに該当するが、「普及」と「辞書」の間にある齟齬は常に曲者だといえる。では、その折衝のために有効と言われる「伝わればいい」とは何なのか。
私は「支持」だと考える。

要はセンスやアンテナの問題ともいえる。
例えば「さわり」は導入ではなく、「辞書」によれば要点や興味を最も引く部分の意。これは「イントロ(introduction)」がその意義である「導入」の本質よりもそれが必然的に置かれる「冒頭」という形式的な意味のみで解釈され、事実映画や音楽などではすでに形式的な用語と化してしまったのと似ている。「さわり」は確かに初めに来るものだが、初めに来るものがどういったものであるべきかという思考に至る人間はあまり多くないのだ。誤用の普及はその事実を物語っているが、同時に「一般」から正当として支持を得られる根拠ともなっている。「伝わる」上に「指摘される危険性が低い」ので、さほど問題なく「支持」を得られるというわけだ。
「違和感を感じる」は「辞書」では正しいとされるが、表現の重複が誤用のモデルとして「普及」しているのが事実であればその語感から「支持」を得られない。ゆえに避けるべき表現であるといえる。
逆に、「さわり」と同じく誤用が普及していると言えるかもしれない「須らく」などはどうか。しかし誤用である事実も比較的有名ではないだろうか。「普通に」などの現代的表現もどうか。「さわり」ほどの正当化は不可能に近い。レスポンスを得る層を無作為に選べば支持を得られないどころか非難ごうごうもあり得るだろう。誤用は誤用。特に現代語などは、むしろあえて誤用することによって支持層内での一体感などを楽しむ節すらあると言えるだろう。つまり、レスポンスを得られる層を支持層に限定できない限り使用は避けるべきであるといえる。

言葉選びの指標としてのこれら「支持」とは、しかし、個人の主観による情報収集の結論でしかない。センスを磨きアンテナを整形していかなくては、「支持」を得られる不特定多数の他者の主観、すなわち「一般」を見出すことはできない。ただ「一般」は「普及」によってのみ支持されるものではなく、「一般」が「支持」する「辞書」によってもまた「支持」される。世の中にはアンテナを伸ばし切ったつもりで狭い「普及」の枠の中でのみ満足して偏った「支持」に酔い痴れている者も少なくないが、それらは「支持」の有意性をはき違えており須らくデンジャラスかつナンセンスと言わざるを得ないだろう。