case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,8,4 PM10【映画録『アウトレイジ』】

アウトレイジ
日本映画(ワーナー・ブラザーズ&オフィス北野)、2010
監督・脚本/北野武

アウトレイジ [DVD]

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創作のヤクザには二種類あって、独特の義理人情の不文律の中でかっこよく生きる幻想ヤクザと、仁義なんてくそくらえで悪徳を追究するまさにアジアンマフィアといった感じのヤクザがいる。どちらも結局アウトロー・インモラルを性質としていることには違いないが、前者は『セーラー服と機関銃』やら『神様のメモ帳』やらに出てくるように美化されている。後者はその逆で明白なパブリックエネミーとして描かれる。北野監督のこの作品にちなんで、後者はアウトレイジヤクザとでも名付けてしえばいいのではなかろうか。それほどにこの『アウトレイジ』は外道ヤクザのモデルとして非常に洗練されていたように思う。ヤクザに良さがあるのかという議論をするつもりはないが、ヤクザの《悪さ》を追究して詰め込めるだけ詰め込んだ作品だ。
面白かったかといえば個人的には微妙だ。そもそも露悪的なだけで虚しさ等の情緒すら伴わない作品(コミカルなものを除く)を楽しむのが苦手なこともあるが、露悪にしても表現が冗長だったという印象がある。いわゆるヤクザの世界という世界観を提示され、一般と呼ばれる層の人間はある種のファンタジーとしてそれを見ることになるわけだが、その提示された世界観のクセがなさが個人的には非常に物足りなかった。原因としてはおそらく、世界観の主要素たる人物の行動が、ほとんど機械的もしくはある意味動物的すぎたせいだ。
行動というものは動機、目的、実行、結果というふうに分けられる。動機から目的・目標といったものが算出されるのは当たり前だろうが、それが実行の段階に移るにあたっては個人の意思が介在しやすい。また結果は様々な要因によって多岐に渡ることとなるだろう。結果と目的が合致する必然性はそもそもそれら以外から与えられるものだ。
この映画ではやられたからやりかえすの不文律が淡々とこなされ続ける。動機に応じて目的が生まれ、その目的のために行動が起こり、必ず目的が達成されるという流れのみが繰り返されるのだ。それは何か、はたして個人の意思というものが介在する余地がなかったのかと疑問が処々に生まれる。意志はあるのだがそれは動機以外は目的に応じたものであり常に一辺倒、一直線だ。ゆえに動物的であって、人間的でない。ほぇー、ヤクザの世界って大変なんすねぇ、お疲れ様でぇーす、という、まったく印象的でない感想が出てきてそれで終わってしまう。
ヤクザパンク、というジャンルを仮定するのなら、この作品は卓越した完成度を誇れる。動物的であることまで含めてこの作品におけるヤクザの本質、ヤクザという世界の価値観だとして提示しているのだとしたら、非常に洗練されており完成されていると言えるからだ。とまでいくとさすがに評価が難しくなる。本当に単純なエンターテイメントとして作ったのだとしたらひたすら露悪的でしかない淡泊な作風に舌鼓を打てばよいしとても我慢ならない私のような人間は席を立って退室すればよいのだろうが、外道ヤクザのモデルとして偏執的に追究した作品なのであればエンドロールまで待ってスタンディングオベーションもやぶさかではない。そこで戸惑わせているのは制作者の冷静とでも言おうか。沈黙よりも一層彼の意図が見えないので悩んでいる。