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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,8,14 AM12

/生ハムメロンパン

既出だった。

/先月の新刊

ようやくチェックできたわけだが。
電撃文庫『選ばれすぎしもの!』峰守ひろかず
シリアスならこの発想はあった。だけにちょっと先越された感。
後で救う世界を絞らなくてはいけなくなる激重展開が来るなら俺得なんだが、その気配はほぼなさそう。ほうかご百物語の人だしなあ。

/単車持ちの後輩とパッと見似てる人間が原付に乗っていた
二度見して別人と気付いてから吹いた。往来。
進化前だろうか。

/こういう記事の書き方

ついったーでよくね?と言われそうだが、やはりあちらは見せることが第一というモチベーションがもう規定としていつも全体にあるような気がする。
だからこそ一発ネタを投下して反応を見たりするのにとか知り合いに周知することがあるときとかは便利だったし(見せしめとかも)、他愛ないことなら時間的縛りのゆるいチャットとしても使えた。まあそれなりに長いことそういうふうに使っておいて何だが、個人的にはそこにあるストレスの方がより肌に合わなかったな。リアルもリアルでストレスフルだが面白みで言えばリアルの方が清々しいものがある。結局のところ事情とか必要性を優先してついったーに入れ込んでいたわけだが、いつの間にかそれもなくなっていたし、一度離れてみてそれに気がついた感じだ。5年前にテレビを見なくなったときと同じだな。惰性に入ってからの方が依存してたっぽいという皮肉なあたりもテレビとの関係に似てる。
上の記事みたいなちっちゃいことなら今でもツイッターでいいかな、と思うことはあるが、逆にこっちがあるからこっちでまとめてしまえば十分。そう、別にレスポンスがあってもなくても気にしない自分でいたいのに、ツイッターで流すとあたかも自分が俄然としてレスポンスを欲しているかのように思えてくる。なまじレスがしやすいせいか、どうでもいいポストですら「レスしてほしくてポストしたんだろ?」という自問に苛まれる。そりゃどこでだってレスもらえればうれしいが、かまってちゃん呼ばわりは我慢がならない。素人ながら読者意識を職業病にまで昇華させたことは自分の誇りだが、そんな自分にとってツイッターのかまってオーラ付加効果は相性悪くあまりに御し難く、危険視したいレベルのものであった。