case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,8,27 PM7 【映画録『ザ・ウォーカー』】

ザ・ウォーカー』 原題: The Book of Eli
アメリカ映画、2010
監督/アルバート・ヒューズ&アレン・ヒューズ、脚本/ゲイリー・ウィッター

ザ・ウォーカー [DVD]

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第三次世界大戦後みたいな砂だらけの世紀末を一人歩き、世界に一冊しかないとある特別な本を運ぶため西を目指した男の話。
この作品の話をするには先に盛大なネタバレをしなくてはならない。だが言わせてもらえばこれは、配給会社の薄っぺらい戦略が招いたもの、本来ありえなかったはずの弊害だ。邦題と宣伝において、詐欺とは言わないまでもお節介な含みが持たされてしまっている。これは映画のせいではない。
本作の原題は『The Book of Eli』。Eliはイーライと読む人名だそうだがThe Bookはただの本ではない。英語圏の常識において脈絡なしにTheとくれば聖書である。そう、つまりこれは『Eliという人の聖書』のお話。主人公が運ぶ本の正体は聖書であると、初めからわかりきっているのである。
確かにこれをそのまま『イーライの聖書』と翻訳してしまうと、宗教色が強いせいで日本では客の入りが悪くなる。配給会社が危惧したのもそこに違いないが、実際その危惧のとおり、内容もまさしくキリスト教バンザイ映画なのだ。その内容自体の評価は後に述べるが、観ればわかるほどの宗教色をひた隠しにして公開した配給会社の罪は重い。
さて、キリスト教バンザイ映画であると前提を固めたところでその内容そのものを改めて見ると、本作のあらすじは「何か大変な災害か戦争か何かで世紀末化した世界を一人歩き、世界に一冊しか残っていない聖書を西へ運んでいる男の話」である。西へ聖典を運ぶということでキリスト教西遊記と言えばわかりやすいか。なぜ西なのかというと神の声を聞いたからだそうだ。もはや完全に西遊記。ジャンルも実は冒険活劇のアクション映画であったりする。このへんはデンゼル・ワシントン演じるイーライの旦那がストイックかつスタイリッシュで強すぎるだけだが、山刀(マシェットっていうらしい)を用いた殺陣の見ごたえはさすがアメリカ映画と言ったところ。その点においてはいい意味で期待を裏切ってくれた。黒人映画俳優の中で一番好きなのはエディ・マーフィーだがダントツで渋くてかっこいいのはデンゼルだと思っています。
そう、この、主人公が黒人というあたりにはアメリカ映画だけに注目しておかねばならない。しかも本作は一人の聖人によって世界に一冊だけ残された聖書が西のどこかへ納められキリスト教が復活するというところにプロパガンダがある。その聖人の役に黒人をあて、なおかつ宗教が発明品と言われるように道具として悪用するため聖書を奪おうとする悪役カーネギーは我らがゲイリー・オールドマン、すなわち白人が演じている。しかもカーネギーは登場シーンでスターリンの思想書か何かを読み、かつそのカリスマ性を用いて街を一つ作り上げてファシズムごっこに全力を注いでいるのだ。手下には銃を与え、もはや貴重などというレベルではないはずの自動車(壊れていない装甲車)とガソリンを何台も保有している。対するイーライの武器は銃が少々とマシェットと自作の弓矢くらいである。至極単純な構図ではあるが、宗教色も強い上に大味な脚本のアクション映画の中へもこういった社会派的なものを組み込ませるのはもはやアメリカ映画のお家芸と言っていいだろう。なかなか毎度恐れ入る。
少し残念だったことは、大味な作品のわりに終盤のカタルシスが極めて小さかったことと、説明されていないとはいえ世界観の統一がやや甘かったところだ。先に前者だが、主人公は聖人の役周りなので最終的に聖人として成熟するのがおそらく脚本の理想だろうと思う。少なくとも終盤で「人のために尽くすべき」という教えを大切なこととして思い出すまで、近づく不届き者は容赦なく殺し、使命を最優先するがゆえに目の前の惨劇をくい止めようともしてこなかった。その行いを悔い改め、真の聖人として最終決戦へ挑む!みたいなクライマックスが容易に予想されるわけだが、そこからまるで脚本が力尽きたかのように何事もなく旅の終着点へ。最後のどんでん返しがカーネギーへのトドメに見えなくもないが非常に迂遠である。主人公は自分のあり方を悔い改めたのだからそれに沿った具体的な行いを彼自身に一度させてほしかったのだが…。
世界観の統一についてはかなり細かいことばかりになるがやはり気にしないわけにはいかない。世界世紀末化の経緯としてわかっていることは、「数十年前」「空が光って」「空(おそらく成層圏等)に穴が開いて紫外線が降り注いだ」「地下シェルター(?)に逃げた人間だけ生き残った」「聖書が原因と言われ、焚書された」これぐらいしかないが、少なくとも野生生物や植物が死に絶えて砂漠化してしまったことはわかるし、世界の荒廃具合から「空が光っ」たのは核兵器的な何かが使われた、聖書が燃やされたことから戦争があったと推測できる。まあ非常によくある便利な世紀末だ。しかし冒頭のシーンは森である。枯葉が舞いまくっているから死んだ森だろうとは思えるが、放射能汚染から数十年経過しているはずなのだ。後のシーンも最後までずっと砂漠なので違和感をぬぐえない。
また、終着点についても首を傾げざるを得ない。私の不勉強がゆえかもしれないが、え?ローマでもエルサレムでもなく、なぜここ?と思わずにはいられなかった。北アメリカ大陸で済ませる必要があったのはわかるが……。
その他細かいこととしては、終着点の施設やサラーラ(ミラ・キュニス)の旅衣装がやたら綺麗だったことと、イーライの旦那が出自に似合わず超絶スタイリッシュなことなどが引っかかる。まあ正直戦争責任を問われたからといって世界最多出版物である聖書が一冊残らず焼かれたなんてファンタジー以外の何ものでもないので、細かなご都合や脳内補完頼みはご愛嬌かなとも思う。
終盤のカタルシスについてのところで軽く触れたどんでん返しについては特に記載しない。ただあれは個人的には秀逸のひと言で表せる。なかなか洞察力のある人間なら最初のシーン、あるいは序盤において、各所に見られる微妙な据わりの悪さから真実に気付けるかもしれないが、ネタを知った上で見直すとその隠し方、ヒントや伏線のちらつかせ方や、デンゼルの演技力にひたすら瞠目できる。大味大味と繰り返してはいるが、こういった映画で再視聴する楽しみに出会えたのはとても久しぶりのことである。