case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,8,31 PM11 【映画録『アルゼンチンババア』】

アルゼンチンババア
日本映画(松竹)、2007
監督・脚本/長尾直樹

アルゼンチンババア [DVD]

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ノーン!これだから邦画はって言われる原因の一つですよ。二度と役者映画なんて借りるものかと思ってしまう。
まず、ばななファンではあるがばななオタクと言えることは全くない私からしてもこれはばななではないと言ってしまいたい。原作との相違点を挙げ連ねて糾弾することは全くもって映画批評ではない考えている。ただ、原作特有の雰囲気までどうかしてしまうと、リスペクトの上にあるべきではないのかという映画化についての持論から疑問を投げかけたくなるのだ。台詞回しや主要人物の行動など所々はばなななのだが、そういうちまちまとした要素だけ借りてくるのが映画化だろうか。また、よしんばばななを期待せずにこの映画を見たとして、はたして何が受け取れるだろう。ええい、なぜこんなに台詞回しが鬱陶しいのか。
映画なので演出に関していろいろと言いたい。が、補正がつくと揶揄されるほど映画の主な武器とも言える音楽の使い方からしてうすっぺらくてあっぱっぱーな時点でもはや、もはやである。ゆえに自然別のところに目が行くのだが、残念ながら音楽は本当に補正だったのである。次点として先に目が行く人物、キャラクターといったものによって、二重の意味であえなくダウンに追い込まれた次第。
先の台詞回しとも関係するが、まず主要人物だ。役者はいい。役所のとっつぁんはいつもどおりだし、京香ババアも出来上がってる。堀北は可もなく不可もなくだが嫌いじゃない。役者はともかく彼らを動かす脚本・台本はいったい全体やる気があるのだろうか。どのシーンもまるでぶつ切りで、重みがあるべきような台詞にはどこか説得力がない。焦点が二転三転して布石らしきものも伏線もないといった具合だろうか。(というか小林演じる従兄よ、なぜよりにもよってお前が突然真面目に怒り始めたんだ?邪魔なんだが…)画面の前の自分は誰に、どこに、いつ感情移入すればよいのか演出を頼りにしてさえさっぱりわからなかった。
次に脇役たちである。というか自分としてはここが最も咬みついておきたい部分である。はっきりと言おう。愚かであることと素朴であること平凡であることはノットイコールだと。なんというか、平凡な日常を生きる者たちという非日常との対比物は必要なものではあるがのだが、その具体として脇を愚か者だけで固めるのは本当にやめてほしい。愚かなりの良さ、知性とは別の強さを持つ者たちならばともかく、何一つ取り柄もないが平凡に暮らしております頭の中もお花畑ですアハハ、というご町内では私のような人間はくじけて死んでしまうだろう。断じて平和ではない。平凡との戦争である。
人間とは元来アクの強いものだ。アクを強く出せるものだ。アクを出すことを忘れてしまった者たちの中にあっても、総じて誰しものアクが薄くなってしまうわけではない。誰かしら濃さを残している者が紛れているものだ。それも一人二人ではなく。その彼が彼女が、平凡に彩りを与える。彩りのない平凡など味気ない。それは日常ではない。
無論、どんなアクでもよいわけではない。脇役たちもそれぞれに無個性ではなかった。ただ、この映画のこの題材の中で光るものが、光るアクが、今一つ見受けられなかったという話だ。映画の中の平凡とは映画に寄り添ってあるものに他ならないのだから。
……と、堅苦しいことを言ってはみたが、実際の病巣は、名状しがたいハートフルのようなものを作ることにばかり精を出す昨今のテレビドラマ的な方向性。どうせそんなところだろうなどと思い込んでそれ以上考える気すら失せている。これだから邦画は……。