case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,9,11 PM10 【映画録『用心棒』】

『用心棒』
日本映画(東宝)、1961
監督・脚本/黒澤明

用心棒 [DVD]

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世界のミフネに会いたくて。レンタルは二度目。
なんだろう、一人だけ演技してないよなこの人。自然体というやつか。圧倒的自然体というやつなのか。三船だけ。他の役者たちが必死に、時に秀逸に、登場人物を演じている中、三船だけが登場人物を凡庸に営んでいる。彼は映画の中に初めから存在していたのであり、現実世界にはいないのではないかとすら錯覚する。
このような役者が今昔含め古今東西に他にいないわけではない。特に世界で見ればたくさんいる。だが逆に言えば、彼のような役者でなければ世界レベルではやっていけないと容易にわかる。三船敏郎はあくまで世界レベルの役者だった。
三船にばかり気を取られていたが黒澤明の作品である。我が国屈指の映画芸術家の作品である。それを思い出してちゃんと観ていればカット一つ一つに工夫が施され、神経を使ったと思われる跡が続々と見つかる。当時の技法開発レベルを引き合いに出せばさらなる発見があるだろう。効果音を効果的に使うだけでも画期的と言われていた時代に、よくもまあここまで恐ろしくセンスあるものが創れたものである。
それはそうと、私事で恐縮だが、どうにも自分は現代のオーソドックスな斬撃音とその音量に体が慣れ切ってしまっているようだ。幼い頃エヴァも観られない環境下で代わりに水戸黄門ばかり観ていたせいに違いない。おかげ様で権爺役のじゃがいも黄門こと東野英治郎が出てきて歓喜した次第である(出演してるの忘れてた)。いやそうではなく、斬撃に音を入れる手法を映画で初めて用いたのは黒澤でしかも本作なのだが、このときは初の試みということで、注意して聞かないと聞こえないくらいその音が小さい。これがあまり効果的でないと判断されたらしく、他作品宣伝として入っていた『椿三十郎』の殺陣ではよく聞こえる斬撃音が入っているが今度はノイズっぽかった。一番斬撃音らしい現代の斬撃音がどのように模索されていったのか、一つ気になるところである。
2012/9/13追記:椿三十郎の殺陣のあのシーンはよく見りゃ鞘で打ってたんですね。だからあんな鈍い音。おお恥ずかしい。

一度に三つ感想を書く羽目になるとは思わなんだ。サークルでガリガリやってた時代を思い出す。夕方から書き始めたとはいえ、最近はこういうとき他にできることがあったんじゃないかと考えてしまうのよな。
写真は撮り溜めてもこっちは溜めないようにしていきたいところ。って今の状況じゃ無理か。