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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,9,15 PM10 【映画録『椿三十郎』】

徒然 映画

楽しい・面白くないの本質は楽しめない・面白がれないに過ぎないのだと常に思う。
もちろん客体に責任がないと言い切りたいわけではない。主体がどうあろうと楽しませられない・面白がらせられないのが事実であることは珍しくない。
だがそういうことはまず主体に責任を問うてからする話だと常に自戒している。
対象を享受する立場に自ら立って初めて評価する立場に至るのだと。
映画の多様性もまた、「映画」という一つの言葉のみでくくれるほど“良い子”ではない。小説も同じだ。熱意を持って成し遂げられ、つくり上げられたものであれば、その一つ一つにジャンルという名の固有の土俵が与えられてもおかしくはないと思っている。
能動的に楽しむ姿勢。享受する立場を探る在り方。私は満足に維持できているだろうか。


椿三十郎
日本映画(東宝)、1962
監督・脚本/黒澤明

椿三十郎 [DVD]

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世界のミフネに会いたくて、その2。
上であんなことを言っておいて何だがこれは丸ごと面白い。掛け値なしで面白い。また用心棒の続編としての面白さもあるのだ。話のつながりでなく、桑畑三十郎とのキャラのギャップが面白い。用心棒はまさに三十郎がどういうキャラクターであるかを知るためにちょうどよい舞台と構成になっていたわけだが、この桑畑三十郎という下敷きの上で本作の椿三十郎を観ると余計に楽しめる(厳密には続編ではないのだが、キャラは同じとして見てしまってまったく差しつかえない)。シリーズを生かしたキャラクターの広げ方、掘り下げ方、そういったものの角度や切り口の変え方という面でも参考になるだろう。
せっかくなので前作・用心棒との比較を語ってみる。用心棒の舞台はとある宿場でのヤクザ二派による覇権争いの渦中、三十郎は特に義理もねえが殺し合いばかりしてる連中はみんな気に入らねえ、そんなのには斬っちまった方がいいやつしかいねえってんでヤクザ皆くたばっちまえというお話。三十郎は自分の剣の腕をエサに二派の間を行き来して、己の企てにより二派が共倒れになることを望む。ここでは三十郎には本当にどこかへ義理立てするほどの義理もなく、せいぜい飯屋の権爺にタダ飯をたかっている程度なので、己の正義感か侍魂みたいな理念にのみ突き動かされている。まあつまりは曲者だがいい人というわけだ。対して椿三十郎の舞台はとある御城下で、汚職を告発しようとした若侍たち9人が大目付たち腹黒重臣一派に狙われ、しかも告発の要である城代家老(若侍の一人の伯父にあたる)は誘拐されてしまった。ここでも三十郎に義理立てする理由はないのだが、若侍たちの談合に偶然居合わせ、その血気盛んな視野狭窄愚昧無知っぷりを見るに見かねて完璧にお人好しをこじらせてしまう。だからお話そのものを進める動機付けの主体は実は若侍たちにあって、三十郎は彼らを手助けする立場にあった。また、用心棒でも宿場に対する義理はなかったが見るに見かねたのはほぼ状況(ついでにちょっと権爺)について。だが椿三十郎ではお人好しの対象が特定の人物・集団であってわかりやすい。しかもだ、前作で危なっかしかったのはどちらかといえばヤクザ二軒の間でふらふらしている三十郎自身であり、ゆえにその状況を弄んだ三十郎に“知将”のイメージが強く残ったわけだが、本作でその知将が相手にせねばならず、なおかつ一番危なっかしいのは言うまでもなく尻の青い若侍たちである。“知将”三十郎は血気に逸る彼らを御しながら、世論をも操るお城の重臣どもを相手に奸計を巡らせなくてはならない。さらに助け出した城代家老の奥方と娘がこれまた筋金入りの箱入りで扱いに一苦労。そう、何がそんなにギャップが面白いかって、用心棒で“知将”にして“剣豪”の名をほしいままにしていた三十郎が、本作ではその下敷きをそのままに際立たせながらも、一方でそのお人好しゆえに女子供に苦労させられているのである。しかもしかもしかも、権爺などにキチガイ呼ばわりされても飄々としていたのにが、若侍に頼られたり、なんだかんだで神経の太い城代家老の奥方に「抜き身の刀みたいな人だ」と見透かされたりして、実は人と裸の付き合いをするのが下手で不器用だったという一面を動揺によって露わにしてしまう。用心棒でその面を表に出したのは農民の男とその家族を逃がした時に垣間見せたくらいだ。襖の絵を指でなぞって奥方と娘の会話を聞き流そうとしていた三十郎がもう可愛くてしょうがない。あれであのキャラクターのファンになるなという方が無理だ。
そして、こんな魅力的なキャラクターを動かす映画の脚本がまた面白くないわけがないかった。時代サスペンス?活劇としても秀逸に面白い。いわば水戸黄門のように、敵の黒幕が序盤で判明した状態で、少人数の味方と知略を駆使し、時に駆け引きや騙し合いによって敵方を攻略していくお話である。勧善懲悪などといったテーマ性はおそらくないが、若侍たちが三十郎に制される様を通して若さと身に余る正義感の先走りを諌めることもできよう。本当の男のかっこよさとは短絡的な行動力や主張の強さではないと説くこともできるだろう。「もうそろそろ四十郎」の年の功というやつだ。ただしそこに終わらず、城代家老の奥方には頭があがらない。これだけでも各人の立場、役割が明確でわかりやすいということがわかる。用心棒に比べれば存在感のあるキャラクターが格段に多い分、それらを明瞭に動かせる脚本という意味でも秀逸なのだ。
そして外せないのはやはり、ラストの決闘、居合切りのシーンだ。「刀が見えない」と話には聞いていた。実際に観てみれば結果唖然としたものだ。見えない。確かに見えなかった。何度も繰り返し観て一時停止もしてみたがコマがほとんど追い切れていない。いやその事実より何より初見の衝撃よ。仲代達也演じる室戸半兵衛の気迫が負けていなかったのもあったろうが、あんなにも静謐にして怒涛のような時間は他に観たことがなかった。一瞬で恋に落ちそうなほど圧巻なワンシーンである。