case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,9,15 PM10 【映画録『パンズ・ラビリンス』】

パンズ・ラビリンス
原題: El laberinto del fauno
メキシコ・スペイン・アメリカ合作、2006
監督・脚本/ギレルモ・デル・トロ

視聴は二回目。かつて私はこの作品を酷評した覚えがある。映画に興味を持ち始めたばかりの頃だったが、今この作品を観れば全く違った印象を抱けるのではないかと、とあるDVDの特典として入っていたトレーラーを見て思い、再視聴に踏み切った。その結果は私の予感が的中していたことを教えてくれる。これほど究極的な作品を私はなぜ酷評したのだろうか。
お間違いなきよう。本作は容赦のないダークファンタジー。そしてダークファンタジーである前に、戦争映画だ。それもアンネの日記のごとく酷薄で陰惨な類の。
最初に言っておくべきことはそのことだ。次に言うべきことは、本作には愚か者しか登場しないということだ。腹立たしいまでの愚か者、痛々しいまでの愚か者。皆が皆愚かしく、愚かしいがゆえに悲劇的だ。それをまるで戦争のようだというのは感傷的すぎるだろうか。だが主人公を含め、誰もが常に最良の道を選ばず、危ない橋を渡っては案の定悪い方へばかり物事が転がっていく様は、暗黒の泥沼のような戦争を彷彿とさせられる。その文法はラストまで徹底されていた。いや、ラストこそ愚かさの極みだ。もう見ていられないほどに痛ましい幼き人の愚かさと、それと両立される無双の純真さに胸を穿たれる。まさに胸に大穴が空いたような心地でエンドロールを眺めるのだ。ここまで観客をけちょんけちょんに虐め抜いていったい何がしたいのだ?
「超絶鬱展開ww」などと軽薄なジャンルに当てはめて楽しめるほど本作は実際甘くない。そもそもそんな気構えで臨めば先に登場人物たちの愚かさへの嫌気が勝る。そもそも絶賛される鬱展開というのは外圧によって努力がぶち壊しになるなど、極度に同情を誘うものを言うのではないだろうか。だが本作中で起こる“良くないこと”のほとんどは誰かしらの自業自得である。低俗な物言いをしたければ「超絶ざまあ展開ww」とでもいう方が正しいと言えば正しい。
ただしだ、後に行けば行くほど、本作は徐々に訴えかけてくる。そこに座って映画の中の彼らを嘲笑し、あるいはどうしてこうしないのかとやきもきしている貴方たちは、はたして彼らとは違う人間かと。半ばまではは「絶対に違う」と誰もが答えるだろう。そういうふうに作られている。だが、マンドラゴラの根を燃やされそうになったとき、一瞬でもオフェリアに感情移入しなかっただろうか。戦線の緊張が高まっていく中で弟を捨てられないメルセデスを気兼ねなく嘲笑できただろうか、フェレイロ医師の言動を否定できただろうか。最後のオフェリアの選択を、自分ならどうしたかと訊かれ、迷いも淀みもなく答えられるだろうか。そもそも一度嫌悪した人間に同調してしまうことをほとんどの人間は本能的に嫌うものだ。それは自己嫌悪に繋がってしまうからであり、同族嫌悪の原理にも似ている。だから本作を観た客はくたくたになった状態で映画館からの家路につくこととなる。ある意味賛否が分かれるのは当たり前だろう。人間が愚かであることを認めろなどと、全く抵抗がなく、不快さもやるせなさも感じないという方がほとんどの人間には難しいのだ。そんな浅ましささえも炙り出すのだから、本作の変態性はなかなかだと言えよう。
観客に嫌悪感を抱かせることについては人物以外の点でも徹底している。怪物はPG-12にふさわしいグロテスクなデザインで、味方のパンも妖精も総じてキモい。一番キモいのは古い木の下のうろに住む巨大蛙だ。この蛙から黄金の鍵を吐き出させるシーンが、ちょっと食事中のお茶の間には流せない。動物を解剖しててもあんなグロいモノは出てこないので相当である。また、おそらく当時10歳くらいと思われるイヴァナ・バケロ演じるオフェリアだが、ときどきなぜか官能的とも取れるかあるいは妙な性癖を想起させるカットがある。実にさりげないのだがベッドの下に潜り込むとき太腿が際立って見えるアングルであったり、またカエルのところだが肌着姿で泥まみれになり、さらに肌の見えている部分(肩などだが)を特大のダンゴムシが這い回っていたりする。こういった場違いな性的表現や幼児性愛的表現や汚辱趣味的なエロスには生理的嫌悪感を示す人間の方が多いことだろう。だがそれらはダークファンタジーらしさを出すためにいたずらにそのようにしているのではなく、観客を一歩引かせることで作品を俯瞰的に見せる意図があったものと思われる。大局的な視点こそが常に効果的となる構成なのだ。逆に言えば、作品のどこに関しても観客から好意的に観られることを本作は望んでいない。安上がりな愛情には興味すらないということらしい。