case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,9,15 PM10 【映画録『グロリア』】

『グロリア』
原題:Gloria
アメリカ映画、1980
監督・脚本/ジョン・カサヴェテス

グロリア [DVD]

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なぜか三本続けざまに大人が子供に苦労させられる映画を観ている。しかもどれもアイアムサムのルーシーやオリバー・ツイストのオリバーのような超絶良い子ではなく、その真逆の、聞き分けのない身の程知らずないわゆるクソガキばかり。もちろん今気がついたのであって純然たる偶然、決して狙ったわけではない。タフでクールなかっこいい女主人公が観たかったんです。
ハードボイルドな映画が少なくなってきた昨今だがアクション系女性主人公でここまでのドストライクは初めてかもしれない。他のはなんかみんな国内外含めてサッパリなんだもの。ひとくちにクールビューティと言ってもすぐにエロス持ち出したりビューティの方にばかり偏ったり結局ロマンスしちゃって全然クールじゃなかったり、かと思えば「熱き魂」みたいなものは全く足りてない。情熱的なのは表面ばっかりですかよ!ご自慢のエロを自分で食っちまうくらいカリスマな女主人公カモォォォォォン!!
といった具合に悶々としていたところへ飛び込んできてくだすったまさに我が世の救世主、それがグロリア。ジーナ・ローランズの演じる彼女がとにかく女性的に強くてかっこいい。これがこの映画のすべてだ。正直ここまで拳銃乱射してる姿が真の意味で似合う女性キャラは見たことがない。いわゆるタフという言葉で表される内面の度胸と外面の凄みを併せ持ち、しかし一方で限りなくやさしく、母性に溢れ、また硬すぎる柱がそうであるように折れてしまいそうにもなる。その点でとても人間臭く、弱みを内包した強さを醸し出せる、とても魅力的なキャラクターだ。
ただ、この作品全体でこのキャラクターの魅力を表現し切って、それで本当にこの映画は終わりである。いや、過剰ともいえる音楽演出を初めとした演出面のレベルの高さは、見落としがちだが素直に目を見張るものだったろう。また、オールロケーションでゲリラも行ったというニューヨークがサウス・ブロンクスの映像は、その対価以上の価値あるものとして仕上がっている。だが、それらをまとめている脚本になんだか魅力がなかった。あまりというか全然来るものがなかった。個人的には女性と母性をすぐに繋ぎ合わせる理論が好きではないのだがそれのせいかとも思ったがどうやらそれだけではない。ちょっとこの作品を原型にしたというレオンと比べてみればわかることだが、どうも舞台設定と、その中でも特に敵方の存在に問題があるようだ。とかくギャングと言っておけば強くて巨大な組織であり、日本人的にはアメリカ版ヤクザとでも思っておけば充分なわけだが、その割には何だかグダグダしていて恐ろしさが足りない。人海戦術はそれなりに駆使しているのかと思いきや同じ人しか出てこないし、グロリアは町中見張られてるって言ってたけどなんかそんなことはなさそうだったし、ていうか人海戦術しか駆使できてないし、グロリア姐さん貯金だけはあるからタクシーでどこへでも行けてたし、かと思いきやニューヨークからなかなか出ていかないし(えっ、まだニューヨークだったの?と度々驚かされる)、なんというか逃走劇そのものに緊張感がない。最終的にギャングのところへ姐さんが単身乗り込んでいくがここでもギャングがギャング(笑)で、またしても姉御が一人でひたすらかっこいいだけである。おかげさまでエンディングのペラいことペラいこと。監督は女性をかっこよくすることだけにご執心で野郎は犬以下みたいな扱いだったんだろうか。
さらに、悲しいかな、おそらく登場人物の中では本作のもう一つの要であるはずのフィル(ジョン・アダムズ)くんに毛ほどの好意も抱けなかった。アメリカ的思想に染まった6歳の男児を非常にリアルに体現していたとは思うのだが(自信過剰の勘違いマッチョ、無闇な反骨精神、キャンキャン吠えるだけの虚勢屋)、まあそれそのものがなかなか容認するのに体力を食うのだから仕方ない。ある意味彼を一度も殴らなかったことと、彼の喧嘩腰の言葉を意に介さない振る舞いと、とうとうストレスの極限に至っても彼を投げ出さなかったことでグロリアの姉貴に幾度となく惚れ直したと言っても過言ではないだろう。こちとらラストで墓参り始めやがったクソガキに「死んだわけじゃねえっつってたろうが!信じねえのかよ!」とついに堪忍袋の緒が切れた次第。それは自分の修行不足と受け止めるが再会時のフィルの笑顔が気色悪かった&憎たらしかったのは間違ってないはずだ。おかげでエンディングのペラいことペラいこと。少なくともフィルは作中を通し子供的にすら全く成長しなかったのだ(勘違いバカ男としてはレベルアップしたか)。
カールじいさんの空飛ぶ家』を観たときにも同様の感想を抱いたが、因果応報的に度し難い子供が「人間としての成長」という対価もなしに得をする話を観て面白がれるほど、私は逞しい母性に溢れてはいない。むしろ成長していくからこそ子供は愛おしいものなのではないだろうか。ただ、「思い通りにならないのが子供というものであり、それを受け入れられてこその母性だ。子供に対価を望んではいけない。まだ彼は言葉を知らないのだ。だから彼はこの時愛されていたことに将来において感謝し、この時卑しく傲慢であったことを将来において恥じてくれる。それを信じるのもまた母性だ」と、この作品から聞こえてこなくもない。グロリアよ、貴女の声かね?