読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,10,4 PM12

ちょっと遅いが言いたい。いじめ問題トレンドすぎワロタ。

とかく世論がキモいんだが「今までこんなことはなかった!吃驚!」みたいな雰囲気なのが何よりうんざりする。

まあいじめいくないを言い続けることは大事だと思うけどね。というかそれが何よりであり全てだとも。いじめ自体は絶対になくならないしそのメカニズムについての理解なんてクソしながらでもできるけど、糾弾することを永久的にやめないことこそが法治国家の維持と同様の文化的な人間活動の本質的なね、ウンヌンカンヌン。

起こりうること・仕方のないことだからといって悪いことでないとされるわけでもない。むしろ被害加害批評裁判にかかわらず「起こりうること・仕方のないこと」だと認めた上で糾弾していく方が法治国家的な云々。正当化は善化ではないということ。

極端なことを言えば、この世界の倫理などの価値観が固定され維持され続ける限りは、たとえ飢えで死にそうだったからと主張しても人肉を人肉とわかって食べた人間は地獄に落ちなくてはならない。情状酌量の余地があろうとも償いはしなくてはいけない。必要悪ですら善とイコールではないね。

人に石を投げることはすればいい。ただことごとくを打ち倒し石を投げ終わることを夢見てはいけない。あくまで石を投げ続けることを目的としなくてはならない。

「今までこんなことはなかった!」って格好の槍玉見つけてからトレンドに乗って騒ぎ立てるんじゃなくてもう「さて、秋といえばいじめ問題ですねえ」といわんばかりに残酷さを基準にしたいじめオブザイヤー・ランキングなるものまで作って紹介特番する勢いで定期的に取り沙汰にしてくれるならメディアにも好感が持てるんだがなあ(リアルにそんなのやったら箔付け至上主義誘発しそうだが)。暗い話でも結局しみったれた使い捨ての客寄せパンダくさいのがどうにも…。

ブラッシュアップに関する徒然

なんか今日「おや?」と思ったので。
果たして人を集めて批評会をしてまで図るブラッシュアップにおいて修正の度合いについて配慮などする必要があるのだろうか。
少なくとも「あの会を経てこう修正すれば面白くなると気づき確信も得ましたがほとんど書き直しになるので修正しませんでした」と言って投稿する者がいたら迷わず張り倒したくなる。実際そこまでの熱意を他人なんぞに求めはしないが俺は俺自身に常にそう言い聞かせるし魔が差してそんな愚行に及ぼうものならこの筆折って炉にくべる。
だが修正はし切ったけれど大幅変更となったので取り下げるという選択はどうか。大幅変更しなくてはならないとわかってはいたが自分では具体的にどう修正すればいいのか納得のいく答えが期限までに出せなかったというのなら仕方がない。筆が動かない以上は仕方がない。しかしそうでなく完成できたものを取り下げるというのであればこれも軽蔑して二度と口を利かない。もちろん実際にはやはり他人なぞにそこまでの期待はしないのだが、それにしても草稿と大きく違うから出さないというのは度し難いほどに偉そうだ。貴様何様のつもりかと吠えて問いただしたくなる。そも投稿時点で万が一にも取り下げる道を残しているというならそんなものは最初から持ってくるなと言いたいし、一度でも取り下げた者には二度と出すなと切って捨てたい。もし過ちあれば徹底的に改善して期日に間に合わせてやろうという覚悟もなしに企画へ参加しようなど言語道断もいいところ。加えて言えばうちのサークルのオフセットは多くて年二回、すなわち正常であれば最高8回しか投稿の機会はないのである。一回を反故にして次へ回す選択など愚にもつかない悠長さだ。うちの合評会が事前事後と二度あるのは何のためか。
一応変わりすぎたものを出すなという意見もわからないではない。だが今でこそ入稿前に一度ディスカッションの機会を設けそこを通すことを義務化してはいるが、昔は自作に自信さえあれば事前のディスカッションを回避してもよいことになっていたのだ。義務化したのはより多くの部員が入稿前に作品に目を通すことで「万人が万人どうしようもないと評する作品」という評がもしあった場合のその確実性を上げ、意気揚々自信満々と駄作を投稿しようとしていた作者を洗い出す機会を部そのものに提供するためでもあった。そこでその慢心の作者に途方もない修正が必要であることに気付かせることによって、期限までに間に合わないかもしれないレベルの修正作業という課題を与えるというのが、事前のディスカッションを通さなければいけないという作者の義務に呼応する部の側の義務なのだ。どうしてもとある者の投稿を食い止めたければ部員自身が的確な批判をして徹底的に修正案を模索させ、もしその結果として作者が修正を完遂したと宣言した場合には甘んじて投稿を受けつけなくてはならないだろう。雪辱を晴らす必要があるのなら事後の批評会を徹底的に利用すればいい。だがすでに一度課題を与える機会は費やしたのだから、投稿に関しては拒否できる謂れなどないはずなのだ。いわんや事前のディスカッションにて怖気づき「駄作」と明白に評さなかった場合をや。あるいは駄作ではなかったというのであれば、大幅変更や書き直しも出された以上は作者の自信のほどを信用して受け止めるべきであろう。