case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,11,8 PM4 【映画録『白いリボン』】

白いリボン
原題:Das weiße Band 英題: The White Ribbon
オーストリア・ドイツ・フランス・イタリア合作(ドイツ語)、2009
監督・脚本/ミヒャエル・ハネケ

白いリボン [DVD]

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パルムドール&ゴールデングローブ外国語の二冠。カンヌに飽きたって?これを観てもまだそんなことが言えるだろうか。
職人系の芸術性とエンタメ性というものは折衝を起こしやすい。どちらの位置に立つかで面白い・つまらないの基準も180度変わってくる。技巧か創作力かという別々のカテゴリーに別々力を注ぐにあたっては分業も可能そうなものだが、両立できているものは歴代の映画賞受賞作の中でも稀少だ。片方が優れているだけでも私などは感嘆してやまないが。
本作はそのような稀少な作品の一つに間違いない。ミステリというジャンルが技巧に重きを置く創作と親和性が高いこともあるだろうが、さらに本作は奇譚とも呼ぶべき静謐なホラーテイストに仕上げることでエンタメ性をも増している。ひとえに伝奇ホラー系統の面白さだ。時代性と国を表現することも忘れない。そこへ加わるのは何一つ裏切りのない技巧だ。そちらは燦然と輝くパルムドールが保証してくれている。
技巧に関して端的に特筆できる点はむしろあまりない。素晴らしいを連発して私の語彙のなさを晒すこともないだろう。全編通して白黒ということぐらいだ。カメラは淡々として飾ることも気取ることもしてこない。度肝を抜く演出があるわけでもなく、胸のすくような音楽もない。とある教師が語り手として観客に寄り添うが、しかしそれ以外は徹頭徹尾微妙な距離感を保ったまま黙り込んでしまったかのように動かない。それがとにかく異様だ。その異様さにしかし引き込まれていたことに観終わってから自覚する。二時間強継続する緊張は確実に私たちを疲弊させるだろう。
これも技巧の一つといえばそうだが、とある教師が語り手として観客に寄り添うと言った。映画の前置きにあるが物語は登場人物でもある彼の見聞きしたことで構成されている。実際に見ていなくて噂に聞いたことも多々あるためいろいろと真偽は定かではないという。本作の技巧はこの前置きの時点で始まっていた。まさしく映画ならではの技巧だ。語りは所々に入るが全く密でない。時々思い出したようにといった方が正解に近い。語りのない場所でも映像は流れ続ける。どこまで語りと一致しているのか観客には絶対につかませない。あるいは映像と語りはときに別物なのかもしれない。ときにではなくすべてかもしれない。別物だとしてどちらが真実なのか。この正体不明な雰囲気が、観ているこちらとの間に絶妙な距離感を作り出す最大要因だったと言っても過言ではないだろう。
結末に関しては触れないようにするが加速していくものに触れなくては面白さを伝えられない。だが脚本について少し話を進めただけでこの記事はネタバレの性質を帯びる。どこが核心かと問われて、わからない、全部かもしれないと答えざるを得ないような作品なのだ。ある意味具体を伏せない方が逆にネタバレにならないのではないのかとさえ思う。ゆえにここからは一度視聴した人間にのみ伝わるように書こう。
序盤においてミステリとしては正直粗末だと思うかもしれない。犯人は誰かという問いに対して観客からならバレバレだと答えられる。しかしあまりに序盤であるためミスリードは疑われるレベルだ。主犯か共犯かの問題もあからさまに残されていた。とはいえ集団単位では確定している。そこで推理を終えてしまうのもアリだろう。だが事件の方は解決しないまま別の事件が重なる。少し据わりが悪いが事故としか思えない話。それが発端でまた新しい事件。今度は犯人はわかりきっている。同じ発端でまた事件が起こった。また最初の事件の影響もじわじわと顕れ始める。
観客がやらされていることは存外簡単な犯人あてだ。最初のうちは拍子抜けしながらも自信を持って犯人あるいはその集団を当てていけるだろう。そもそもタイトルと照らし合わせれば脚本の核自体は見えてくる。そちらは今やありきたりだ。だが物語を紐解いていくうちに奇妙な感覚にも襲われる。素直に受け止めていれば推理に間違いはないはずなのに、最初からいつもどこか据わりが悪い。矛盾していないのに納得できない。一度自己懐疑に陥ると今までの推理も見直したくなる。見直す暇もないまま新たな謎が出現し、実はブラフがあったのではないかというレベルから疑い始める。いくら疑おうと映画が答えを出さなければ疑いは晴れない。しかし映画の側はどこ吹く風で据わりの悪さばかり強調するようになってくる。そして何とも冷徹なフィナーレだ。我々はエンドロールの直前へ完全に取り残される。河口の堰に詰まった稚魚のように。
本作に関する推理と議論自体はどこか日の当たる場所で語り尽くされることだろう。私はその必要性の発端にこそ感服したい。これもまた技巧なのだ。だが自在には掴ませてくれず、掴んだつもりがするりと逃げてもてあそばれる、妖しげな技巧。指の先で転がされる快楽に少し飢えていた私は、ちょうどよいときによい出会いをしたものだ。