case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,11,20 AM4 【映画録『インセプション』】

眠れないから更新ってかなり死亡フラグですよね、うぇひひ。


インセプション
原題:Inception
アメリカ映画、2010年
監督・脚本/クリストファー・ノーラン

インセプション [DVD]

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話題になった映画にもそろそろ手を出そうかねキャンペーン。というわけでダークナイトのC.ノーラン監督作、インセプション。いやー、サスペンスとしても普通に面白かった。途中から犯罪臭が行方不明なあたりはまあノーラン監督なんだが、しかしどちらかといえば発想の効果が大きい。夢の中に侵入するというアイディアだけなら正直ありきたりもいいところだが、印象的かつ啓示的な夢を夢の内側から直接演出することで現実に育ちうるアイディアの種を植え付ける“インセプション”はどんな犯罪よりもユニークだ。しかも本作ではトラウマや直接破滅に追い込むようなアイディアの種ではなく、下心はあれど対象にとっては非常にポジティブな方向性のアイディアというあたりが面白い(犯罪臭がないのはこれのせいでもある)。すべてスパイたちによる演出なのだが、なんだかターゲットが自己実現のためにスリリングな夢の世界をさまよっているかのようにも見える。いや、それがスパイたちの犯罪的思惑であるからこそ滑稽でシュールなのだ。なるほど、こちらも騙されている。
ただ他人の夢に潜るのではなく、一人の夢を起点にして複数の人間が同じ夢を見るというシステムもまた個性的だ。要するに夢を共有してしまうわけだから、夢を操る技術(夢の中で意識をはっきり保てていれば何でも実現可能という理論に基づく)を持つ者が中にいれば他人の夢まで操れる。いわゆるNPCみたいなキャストは夢の主の潜在意識の投影だけのようだが、強い潜在意識を持つ者の投影も出現できる。夢を夢という一つの大きな全体像ではなく、その中の要素要素が誰の夢なのかを考えて観ていく必要さえある。一応夢に直接干渉できる主以外で夢を操る技術に精通している人間の数は限られているのだが、それでも複数人の魔法がまぜこぜになって発動されるようなカオスな空間といったスリルがある。さらに言えばその魔法じみた現象が無意識に発動される場合もあることをふまえておかなくてはならない(潜在意識はコントロールできない云々)。
さらにまた夢を用いた発想で面白いのは「夢の中の夢」の概念だ。取り込んで当たり前ではあるが、本作ではさらに効果的に用いていく。夢の中で夢を見ることで意識の階層は下がっていき、より深い階層に行けば行くほど夢の主の深層心理に干渉しやすくなる。しかも夢は共有状態にあるため、自分の夢の中で別の人間のより下位の階層の夢に潜ることができ、そこからさらに自分の「夢の中の夢の中の夢」にまで潜ることさえ可能だ。これによってコブは一気に自分の夢の第四階層まで行けた。また、夢を見ている状態では人の脳は活性化され、体感時間が引き延ばされるという現象を利用し、階層を下げるごとに引き延ばされる時間が倍加していくというシステムも効果的に使われていた。第一階層で車が落ちるまでの十秒間の間に、第三階層では一時間に及ぶ銃撃戦がくり広げられたりするのだ。これを見せるときの場面の切り替えは、今思えば異様に巧みだった。そう、夢を見るということは眠るということ。つまり、階層を降りると前の階層に「眠っている自分」が残ることになるのだ。考えてみれば当たり前のことだが、まず「眠っている自分」は無防備になり、そして「眠っている自分」が目を覚まさない限り夢から覚めることはできない。このため各階層に強制的に覚醒させる“キック”のための係がいるのだが、これが各階層の体感時間に合わせて予定された作業を行っていく。もちろん淡々と作業がこなされていっても映画的に面白くないのでハプニングに見舞われことごとく予定を狂わされながらだ。ここで場面切り替えの話に戻る。各階層での作業は完全に同時進行だ。しかし第一階層で起こることをすべてスローモーションで見せるわけにはいかない。だいいちスクリーンは一つしかないのだ。結果から言って、映画の構成に関するこの課題をノーラン監督は観客にほとんどストレスを与えないものに仕上げ切った。どれほどの苦心と緻密な計算が合ったのかは計り知れない。
夢がテーマとくれば夢と現実の境が曖昧になっていく心理のテーマも当たり前のように盛り込まれる。主人公のコブをそちらの軸において本作では二つのストーリーラインが展開されていた。夢の中をこそ現実と思い込み、何より現実をこそ夢だと考えてしまった人間がどうしたら立ち直れるのだろう。予想通り胡蝶の夢的なテーマと展開の持っていき方になっていったが、驚くべきことにここで手に汗が握れる。主人公はまさに胡蝶の夢へと陥ってしまった妻の幻影と、そこへ追い込んでしまった自分の過去に立ち向かっていくのだ。そして最後、夢か夢でないかを見分ける独楽は回り続け、回り続ける様子を移したまま映像は途切れる。夢の中なら独楽は永遠に回り続ける。つまり主人公はまだ夢の中にいるのか。だが、映像が途切れる寸前、注意して観ていれば気づくはずだ、独楽が一瞬だけ大きく傾いたことを。夢の中の独楽がどれほどスムーズに回るかについては言及されていない。もしかしたらテーブルのへこみに当たっただけかもしれない。しかし、ほとんど誰もがあれを見て、独楽の止まる予兆ではないかと疑い、希望を抱くはずだ。へこみに揺れるような独楽であればそれも現実である可能性の一つだと考えたくなる。ここまで思わせぶっておいて容赦のないおあずけをくらえばまず忘れられない。とてつもなく憎らしいが我々の負けだ。清々しいまでに惨敗である。
最後にこの映画、とてもノーラン監督らしい、スリリングだが荒々しくなく、音響的な派手さのないシリアスな雰囲気である。爆発も少ない。ドンパチはやっているが、夢の中で死んでも死にはしないという設定のため、そこに強い緊張感はない。どちらかといえば常にタイムリミットとの駆け引きやアクシデントに緊張させられる。やたらドキュメンタリーチックなのもそのあたりの影響か。ゆえにアクション映画ながらポップコーン片手にスカッとしたい人にはオススメしない。両手で膝をつかんで前のめりでスクリーンにかじりつきたい人のための映画だ。