case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,11,28 PM9

後悔することが一周まわってもはや好きなんじゃないか。
後悔の種を率先して増やしていこうなんていうのは御免こうむるが、すでに過ぎた結果に関しては、とりあえずそこへネタを見つけてキープしておかないと気が済まないのかお前はと言いたくなるほど徹底している。これを趣味と言わずとして何と言おう。もし「後悔日誌」なんて付け始めたらそれこそ書かない日がない。書かなくていい日にも書きそうということだ。

まあ、もし本当にそんな日記をつけるとしたらアナログにするが。


/近況

も何も時間に押されすぎて何もできていない。クリスマス号も落としちゃったし、卒論の“そ”の字さえ入り込む余地がない。挙句の果てに社会的に凍死しかかっている。もう二度と二度寝しない。絶対。

合評会はどうにかなった方。いつもながら言い残したことが多々あるが。今回ばかりは合評会の記録を提出せねば。まあ不況なアンケートをある程度集め終えた上で卒論が片付いてからの予定だが。ていうか前の合評会の記録も合わせてまとめられるといいなあ。ちょっとした集大成だもの。

ところで、「ほめられて伸びるタイプ」と「たたかれて伸びるタイプ」と言うと心の機微ばかり取り沙汰にされるものと思うが、こと創作に関する領域では自己評価の傾向や練度にも左右されてくるのではないかと、今回の合評会を通して少し考えてみた。

結論を言えば、ある程度自己評価に有効な視点を知識として持っていて、かつ自己過小評価してしまいがちな創作者は、第三者から具体的かつ詳細な(できれば妥当性もある)「称賛」を得ることで、余計な減点をふるいにかけ、自己評価=反省を洗練させることができるのではないだろうか。またその逆で、自己評価に有効な視点に関する知識・経験がまだ足りていない、あるいは過大評価傾向にある者は、それを補足・補完・矯正するために第三者からの「叱咤」が必要となってくるのではないだろうか。

どのみち将来的に本当に「伸びる」かどうかは、この場合第三者の側の評価能力の傾向や練度に左右されるし、本人の性格の側の傾向がこれと一致しているかどうかなども関係してくるのだが、とりあえず言えることは「称賛」もまた評価材料として気休めでなく有効たりうるということである。むしろ、「称賛」が誤った自己評価に対する減点評価となる者こそ、本来の「ほめられて伸びるタイプ」なのではないかとすら思う。天狗になれというわけでもないが。

要するに、修正には下方と上方があるよねって話。