case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,11,29 AM11 【映画録『ザ・ロード』】

2コマ休みなんでっつって帰ってきて記事書いてちゃアカンとも思うが。明日また一つ中間テストですよ、と。しかし終わらせられそうなタスクから手を染めていく。

ザ・ロード

原題:The Road
アメリカ映画、2009年
監督/ジョン・ヒルコート、脚本/ジョー・ペンホール

ザ・ロード [DVD]

ザ・ロード [DVD]

2009の金獅子ノミネート。だからというわけではなく、どちらかといえば『ザ・ウォーカー』の対として観た感じ。
ていうかぁー、『ザ・ウォーカー』の記事でその邦題について散々ぶったたいたけどぉー、実は本作に乗っかろうとしてあんな邦題にしたなんてことはなかろうなぁ、角川さんよ?『インセプション』の新作案内の中にも『ザ・ウォーカー』の宣伝が入っていたが、あれも嘘まみれの完全別作品として編集されてたな。いいかげんにしてくれ…。
少し前まで世界滅亡ブームだったように思うハリウッドの今は世紀末ブームなのか知らないが、とかく『ザ・ウォーカー』と対比して観れば、本作は静かでリアリティのある世紀末の、おそらく一片に過ぎないものを映したロードムービー。生物的逆境の中で描かれるヒロイズムやら何やらといった、絶望に真正面から立ち向かっていく熱くてかっこいいものに飽きてきた、あるいは最初からそういうのは求めてない、ただひたすら泥臭く血生臭くグロテスクで、神も仏もあるものかって作品こそ欲しかったという人に勧めたい。
あらすじとして明かされている本作の世界観は、災害か何かで文明が滅亡し、空も塵に覆われ寒冷化によって動物はおろか植物まですべて死に絶えていく過渡期に当たる。そんな世界でとある親子が、特にアテがあるわけでもないまま、ただ寒さから逃れるためだけに南を目指して歩いていく。滅亡した世界しか知らない息子が父親から教わるのは、この絶望的な世界で生きていくすべと、ただ“善き者”であれということだけ。
この作品が凡百の世紀末作品と一線を画するのはある二点。一つは、食料の存在しない飢餓の行き着く先を容赦なく描いてあること。もう一つは、主人公たちの側に生き抜こうとするモチベーションが、実際のところ存在しないということ。常に隣り合うものは“スーサイド”だ。
この二点、はっきり言って、どちらも娯楽映画ならば真っ先に、概念そのものからそっくり除外される。食料が無くなった先にあるのは略奪と殺戮であり、絶望の果てにあるのは虚無とされる。そんなわけはない。生物はもっと意地汚く血生臭く、そして人間は絶望の先に唯一逃げ道があることを思いついてしまう生き物だ。本作に闘争があるとすれば、主人公たちがその真理に抗おうとしていることがそれだろう。そこに目的がないことを自分に隠し騙し続けるその姿は、文明時代の倫理に縋りつき続けているだけに過ぎない。それを自覚しながらも、まだ壊れ切っていない自分たちの魂を父親は“火”と呼び、“善き人”であり続けることでそれを守らなくてはならないと息子に教える。嘘と気休めの連続がもの悲しさを助長する。
父親の言う“善き者”というのはいったい何だったのだろう。彼らにはそのための手段さえ心もとなかった。他人に分け与える食料などあるはずがなく、信仰ももはやなく、温情は疑心に紛れ、持てるものは一丁の拳銃と、たった二発の銃弾だけ。この銃弾の数もまたキーである。悪を追い払うにはあまりに足りないが、人を脅すには事足りる、人に恨みや怒りを向けるには事足りる。また、二発あれば親子共に絶望から逃れ去るにも足りるのだ。
唯一具体的な“善き者”の一線とは、人を喰わないことだったというのはわかる。また人に喰われるくらいなら自ら命を絶つと誓ってもいた。息子を撃ち、自分を撃つ。しかし父親はそれをためらう。はたして彼には殉教者になる素質すらなかった。息子は“善き者”をどう理解したのか…。もはやこの時点で我らの倫理では計り知れなくなっているのだと思う。結末は救いのようで、しかし希望を持つには至らないだろう。
果たして絶望の向こうの“スーサイド”は否定されるべきなのか、人を退けてでも生き抜くべきなのか、人の倫理に価値が残るのか。何が愚かかすら、考える前に生きろと言われているような気もする。賭けてみなければ答えは出ない。これは最後に登場する男の台詞だ。少なくとも、疑問を持ち、ためらい続けられるうちは、我々もそう生きるべきなのかもしれない。
いろいろ感傷的なことを書いたがこの映画、いい意味でも悪い意味でも小説臭い。というか原作が小説なので、そのまま落とし込んでいる可能性が高い。悪い意味というのは、おそらくそれゆえにかなり淡々としていて、局所的なテーマ性がありそうなのに掴みづらいという点。全体だけがテーマ性を帯びている芸術映画ならともかく、そこまで娯楽に特化していないわけでもないのだろうから、もう少しあざとくてもよかったのではないだろうか。老人のくだりなどはそれなりだったが、あれがピークに見えてしまうのは少しもったいなかった。
ところで、個人的には宗教色はないというか、宗教への肯定やら否定やらが一周まわった超宗教的とでも言うべき色があったと思うのだが(そもそも人生哲学的だし)、老人の名前は「イーライ」という。『ザ・ウォーカー』を観たことがあってもニヤリとできるが、それ以前に旧約聖書で救世主再来を預言した預言者エリヤのことだそうだ(というか『ザ・ウォーカー』もそうだ)。主人公の息子のことを人類の希望だみたいに言うシーンがあるがまさにそういう啓示らしい。気づいてしまうと世界滅亡もお約束として神の試練になぞらえているのかと考えられるわけだが、そこまで旧約聖書に絡めた見方を徹底していくと味わい深くなくなるのでやめた方がいい。欧米人にとっては希望を憶測する材料として非常に手っ取り早い引用でお家芸というだけのことだ。