case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2012,12,5 PM11

実家のわんこは一命を取り留めたらしい。
オカン、嘔吐を反芻っていうのやめて。おもろいから。シュールだから。


中二病

度々このテーマやってる気がするわー、と思ったけどログはない。頭の中でやね。
これが正しい中二病だ!って標榜したいわけじゃないけれど、外面なぞるだけの中二病ごっこや小学生プレイを中二病と呼び、あまつさえ自称して得意がってる連中を見てると何とも言えない気持ちになる。身内がそれだとさらにげんなりする。げんなりしてる暇があったら主張しなくてはならんのだがそういう意気も消沈するのよね。
ていうか、現在ネットスラングとしてそこらに流れている中二病は、全くもって面白くない。funnyやjokeyではある場合もあるが概ねはそれを取り沙汰にしてちやほやしている連中そのものがひたすら痛々しいだけだ。
その本質っていうのは、思春期特有の自意識過剰と、幼年期看過されていたことが社会的に看過されなくなりはじめる過渡期ゆえの反発とそれに伴うプライドの上昇・自尊心のみの拡大、それへ通俗レベルの潔癖症と下方比較傾向とがあいまった、思春期に形成されることが多くなる精神構造。これに起因し、客観的に病的と呼べるまでになったすべての行動中二病の“症状”であり、通常「中二病」と呼ばれる対象となるわけだ。“症状”の概要は、自己修飾志向に基づく選択決定の増加、顕著な自己唯一性への憧憬、現実性のない理想への耽溺、社会や環境を度外視した正論・論理への固執妄執、にもかかわらず合理性を無視した新たな習慣づけ、自己正当化の最優先化、知能や知識についての万能感、マイノリティに対する盲目的美化、非コミュニケーショナブルな行動選択への陶酔などが挙げられる。これらすべてを必ず併発するわけではないし、“症状”の具体的な現れ方は複合的かつ複雑な様相を示す。そもそも起因する精神構造が、上にまとめた主要素だけでも在り方そのものや程度からすでに多様性に富むのだ。そのため、一つの病気と表現するよりは症候群と呼んだ方が本来は正しい。ただ、症状のどれも、あるいは問題の精神構造への変容が、現代の思春期の先進国学徒(日本では特に、学舎の環境に慣れ受験も遠い中学二年という、わりかし限定的な時期)に非常に起こりやすいため、一つの病名を受けるに至ったのだろう(そもそも思春期精神性ナンタラ症候群とかいかつい名前じゃスラングにならない)。
で、だ。“中二病”を何やら勘違いしてる連中が何を見ているのかといえば、中二病患者の“症状”の具体性だけをひっぺがして、自然に派手なものだけが集まったところをさらに「イタい」というコンセプトのもとに好き勝手脚色して、脚色の過程で小学生で遊びのレベルが止まっている輩も痛々しいからということで取り込んで、そんなごった煮をさも当然のように体系化したものを再出力して楽しんでいるわけだ。ああ、げんなりもするわけだ。みかんの皮だけ見た人間がみかんの皮が海を泳いでいる姿に思いを馳せながら「みかんっておいしいよな!」と言っているようなものなのだから、横で聞いていたら頭を抱える。
日本はアニメ大国だから、自然と中二病患者の趣味もそっちに偏っていきやすい。そのいわゆるオタクという具体性だけを引っぺがせばなかなか派手なもので、そのうち小学生から卒業できない人間がハマる少年漫画・テレビゲーム趣味(特に非現実的なもの)を指して「中二病」と呼び始めた。現在一番多いと思われるのがこのパターンだ。だが、本来の中二病の起因となる精神構造を伴わず、純粋に好きだからその趣味を持つ者たちの情操とは、すなわち“童心”か“懐古”以外の何物でもないだろう。それを指して“Like Chuni-byo”などと言われれば不名誉極まりない。本来の中二病において、趣味の対象は主目的でなく、自己修飾のための手段である、ということも念頭に置いておかなくてはならない(主に自意識過剰に起因する)。
また、上の精神構造は主要素すべてが併発したものに限らないとは言ったが、併発そのものは起こしやすいものばかりが並んでいる。うさんくさい性格診断のように、程度の問題を踏まえなければ誰でも当てはまる可能性があるものでもあるわけだ。つまるところ中二病は、境界が判然としない。これが客観的に観察される具体性の部分のジャッジを鈍らせているのだが、そもそも具体性だけを見てジャッジをしようとした時点で間違っている。中二病の本質とは精神性、起因する精神構造だ。それが知られないまま、具体性だけを見たジャッジでそれが中二病であるかないかを判断しようとしているのが現代の主流。具体性で判断できるのは“Like Chuni-byo”か“Not Like Chuni-byo”でしかなく、精神性を伴わないならどんなに中二病っぽくても“Like Chuni-byo”止まりだ。自称している者などは中二病ごっこと言っても過言ではないし、そもそもごてごてと脚色され切った体系から出力される“中二病ごっこ”などもはや本来の中二病の症状とは似ても似つかなくなっている。正直“ごっこ”ですらない。
また、“自覚性”というのも関わってくる。本来の中二病とは自身の精神構造の未熟さ(決して異質さや特殊性ではない。それらを装うことが彼らの目的だ)に無自覚であることが最大条件なのだ。自覚した時点でもはや患者とは呼べなくなり、以降の中二病的行動はすべて“中二病ごっこ”となり得る。ただしここには例外があり、未熟さを自覚したのち自責と後悔に悩む自分像に陶酔するタイプと、そのタイプだという疑心を自分に抱いて自責の無限ループに陥るタイプの二つは、中二病の精神構造を保持してしまっているといえる(後者はその脆弱性の保持)。いずれにせよ、自覚的に楽しんで中二病を装おうと考えた時点でそれは“Not Like Chuni-byo”となる。
ただ、いくら中二病ごっこだとしても、中二病をよく理解する者のそれには本物そっくりの精神性が宿る。むしろどのような行動にも精神が宿るのは当たり前の話だ。体験した者にしかわからないというのもあるのかもしれないが、中二病を頭と心で正しく理解できれば、その精神構造をキャラクターや脚本として再現することも充分可能だろう。また、童心から中二病患者の心までをも掴みやすい作品を生み出すことも難しくない。逆に、中二病を理解できていない者が中二病ごっこに興じたところで、その結果はカン違いが透けて見える、何が面白いのか全く分からない痛々しいだけのシロモノにしかならない。それで「これが中二だ!」などと得意がるのだからもはや目も当てられない。ある意味中二病趣味というマイノリティに走ることによる自己修飾に溺れ、カン違いにも無自覚なまま盲目的・思考放棄的になっている連中こそ、筋金入りの中二病なのかもしれない。

リリイ・シュシュのすべて 通常版 [DVD]

リリイ・シュシュのすべて 通常版 [DVD]

中二病がいまいち何なのかわからないという者には『リリィ・シュシュのすべて』を推したい。これがすべて、というわけにもいかないのだが、イメージはここへ偏らせておけば充分である。
小説なら重松清の『ナイフ』など。漫画なら『悪の華』。というかこちらは中二病がなんとなくでもわかってから読んだ方が面白いかな。思春期男子のとある精神性。
アニメの『中二病でも恋がしたい』は外見だけの中二病かと思いきや、主人公の過去の設定においてはちゃんと精神性が盛り込まれていた(ように少なくとも私には見えた)。コミュニティの中にいながら突然襲われる特殊な“孤独感”に最初に出会うのも思春期が概ねであり、それへ免疫や耐性がないことが問題の精神構造形成の素因にもなりやすい。(でも六花と凸は違う。両方ただの小学生prpr。ていうか鍵ヒロインっぽいよね)(むしろ森サマがある意味現役)