case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2013,3,28 AM3 【映画録『息子の部屋』】

しばらく気合い入れて書くようにしてたけど、時間食う分忙しくなると続かないね。特にキャプまで取ろうとすると。また感想書きたいのに書いてないっていうのが溜まっていくと首がまわらなくなるし。

とりあえず今日のところは役者関係オミットして、おすすめポイントとツッコたいところだけ短くまとめていこう。主に備忘録感覚で。



『息子の部屋』
原題:La stanza del figlio
イタリア映画、2001年
監督/ナンニ・モレッティ
脚本/ナンニ・モレッティ&ハイドラン・シュリーフ&リンダ・フェリ
(第54回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品)


まず息子が死ぬ。そんな話。
そこから父、母、姉、家族がどう歩いていくかを描いた一作。ふれこみは「家族の再生の物語」となっている。
実際間違いなく恋愛要素のないメロドラマだが、さすがにそこはパルムドール、通俗三文ということはない。涙を誘うにあたって登場人物たちが苛まれる感傷のどうしようもなさは、抑揚をつけながら繊細に描き出されていたと言える。感傷に浸り共感を得るモチベーションがあれば観ていて興醒めすることはないはずだ。

何より、むしろ「光に満ち溢れたハッピーエンド」がエンディングで待ち構えていると言わんばかりの胡散臭いふれこみを裏切って、寂しさと不安の残る幕切れは本作を我々の記憶に押し詰めていく。家族の前に提示されるのは明確な光すらないながら、その現れが兆す気配。それもはるかかなたにあるかもしれないというささやかな希望に留まる。あたたかな空から悲しみの大海へと墜落した彼らは、沈降から浮上へ転じ、ついに海原を見渡すに至ったものの、飛び方を忘れふらふらと泳ぐ。本作が見せたのはいつ終わるとも知れない永き漂流の始まりに過ぎなかった。その危うい波間に至るまでをしかし丁寧に描き続けている。

難しいことはない。言ってることはストレートだ。
10代半ばまで愛して育てた息子が死んだ。その悲しみはあまりにつらく苦しく、死にものぐるいで抵抗しても抵抗できるようなものではなかった。それでも残された人々は歩いていかねばならない。おお、その往く道のなんと暗い、今の今までよりもなんと暗くゆらめくものに思えることか。

彼らはその悲嘆をぼそぼそとうわごとのように垂れ流す。泣き疲れた声に力など残ってはいないからだ。Brian Enoのやさしくも物寂しい挿入歌がその静かな懊悩を彫刻する。「川岸に留まっている。どこから来たのか、いつからここにいたのか思い出せない。ただ空へ墜ちていくようだ。私は何度も呼んでみるが、あなたはあまりに遠い」
死者を前にどうしようもなくどうすればいいのかわからなくなる気持ちには個人的にも共感がある。途方に暮れてしまう。水面に浮かんで空を見て、ただ水平に流されているだけでもどこかへ墜ちて吸い込まれていくみたいなんだろう。

やおら感傷的にはならざるを得ない。そんな一作。目に涙を溜めないながらも終わりが来るまで自分は泣こうとしていたように思う。
オスカーを結局好きにはなれなかったが、彼の「一生泣いていたい」という告白は痛いほどわかるものだった。

息子の部屋 [DVD]

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うーん、これは……汗。
文字ばっかりにしても結局記事が長くなったなあ。ていうか感傷が立ちすぎると抽象的な表現が増える。どこがおすすめポイントだよ……orz

せっかくこの作品はキャプチャーも取ってるし、そっちで彩りよくしてもう今日は終わりにするかな。
あと4本あるんだけど、それは明日以降ということで。さすがに寝たい。