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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2013,3,30 PM8 【映画録『CUT』】

昨夜後輩宅でやいやい言いながら観た金曜プレミアムの『ボルケーノ』は1997年のパニック映画だったけど、今でも充分見応えのある作品だったわ。脚本が手堅くやることやってるっていうのは大事なことね。基礎値が高いというかなんというか。

しかし、トミー・リー・ジョーンズにドリル持たせて路面工事させた映像作品は世界広しといえど『ボルケーノ』とジョージアのCMだけだと思う。



CUT
インディペンデント映画(日本)、2011年
監督/アミール・ナデリ
脚本/アミール・ナデリ&アボウ・ファルマン&青山真治&田澤裕一


売れない映画監督が闇金の借金返すために殴られ屋する話。西島秀俊がひたすら、本当にひたすら西島が殴られて金を稼ぎ続けるだけの話。ただし全編通して絶句するほど狂気じみた映画愛に満ちている。愛というのがお綺麗に聞こえるなら妄執でもいいだろう。表現は痛々しいほどストレートでグロテスクだが、それは画面のことだけを言っているのではない。月並みな言葉に言いかえれば、芸術としての映画に撮りつかれた男の信仰の物語であり、この映画そのものが彼をメシアとした聖書の一節になりかかっているとさえ言える。ゆえに大衆の共感とは遠いところにあるのかもしれないが、そうでなくてはこの映画は完成しないジレンマを抱えてもいる。
それにしてもこの映画で西島は殴られっぱなしである。演技だと思って見てはいたが、だとしたら鬼気迫るレベルで役作りが出来上がっていたと言わざるを得ない。インタビューを見るとなるほど、そのまま引用してなかなかクレイジーな撮影環境だったようだ。そもそもクレイジーな役が殴られ過ぎて生き物としてもクレイジーになっていく過程は凄まじい。しかもクレイジーさを表現するときは一貫して映画映画映画だ。意識混濁の体でうわごとの代わりに名作映画のプログラムをぶつぶつと並べ立てる様はもはや念仏を唱える妖怪と大差がない。明らかに人間でないところにいる。西島は言葉を並べる役でない方が演技も上手だと思っていたが、この西島はそんな西島のいいところを全部絞り出して練り上げた上で焦げつくのもいとわず高温で焼きあげたかのようだ。少なくともこの役者は追い込まれると化け物になる。
またその殴られ屋を行なっているシーンにおいてはガヤの迫力も見ものだ。再びインタビュー記事を見れば、ガヤの演技が白熱しすぎて演技が演技でなくなるのを待ってカメラを回したとか、またまたクレイジーなことが書かれているがまさにそれ相応の迫力が短いカットの連続によって丹念に引き出されている。映し出されているのは作られた異常空間ではなく純然たる異常空間だったらしい(スタンフォード監獄実験かよ…)。優れた映画スタッフ&キャストだけの優れた現場ではあり得ることらしいが、意図的にその環境を作り出したナデリ監督の突き詰める姿勢には、西島に演じさせた本作主人公の狂気と近いものを感じずにはいられない。狂気と言うのが理性的でなさすぎるなら闘争心と言おうか。まさに本作はとある闘争と言えるが、孤軍奮闘の寂莫はそこにない。泥の中で揉まれようとなおも失せない、英雄的な熱き魂がそこで燃え上がっている。

CUT [DVD]

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