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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2013,6,23 AM7 【映画録『冷たい熱帯魚』】

ゆるめにいきます!(18時間ぶり2回目)

冷たい熱帯魚

英題:Cold Fish
日活映画、2010年
監督/園子温、脚本/園子温高橋ヨシキ
映倫/R18+

狂ってる……狂ってるよ……。
実在の埼玉愛犬家殺人事件(1993年)を題材としたサスペンス映画。気に入らない相手を「透明」にしてしまえば殺人は立証できず、自らは最強であると謳った狡猾な殺人鬼を、彼の悪徳ビジネスに巻き込まれた気弱な同業者・社本の視点から描いたもの。さすがにキャラクターは大きく脚色されているが、強制的に片棒を担がされ、最終的に告発に至った人物もまた実際にいたもので、その人物の告白本に基づいた内容となっている。

街角で小さな熱帯魚店を営む社本(吹越満)は、店舗と同じ建物の自宅で二人目の妻(神楽坂恵)と亡き前妻の娘(梶原ひかり)と三人暮らし。ある雨の晩、娘の美津子がスーパーで万引き犯として捕まり、妻を伴って迎えに行くが、娘の態度に店側は怒り心頭。挙句警察に突き出されそうになるが、そこで手ずから娘を捕まえたという客の村田(でんでん)が助け舟を出す。スーパーの店長と懇意だった村田の顔を立てるかたちでその場は収まり、社本は村田に駐車場まで付いていて何度も礼を述べる。たいしたことはないと手を振る村田は明るいを通り越してどこかひょうきんな人柄で、多少強引なとこよはあるが嫌みではなく、とても人を引きつける性質があった。しかも、聞けば社本と同じく熱帯魚店を営んでいるという。村田は町の熱帯魚店をすべて把握していると言い、もちろん社本の店も知っていた。これも何かの縁だと言ってスーパーからそのまま社本一家を自分の店に招待する村田。しかし、駐車場で見た村田の車は真っ赤なフェラーリ。そして村田の店舗は、家電量販店か、あるいは田舎の小さな水族館並みとも言える規模の巨大な熱帯魚センターだった。店の広さ、水槽の数、品ぞろえ、珍品や高級魚の数々。どれも社本の店にはないものだ。村田の妻・愛子(黒沢あすか)も村田の見た目からは考えられないほど若く美しい。社本の妻・妙子もまた夫と不釣り合いに若く、女性的で魅力的な体つきの美人ではあったが、どこか気品や女としての素質において愛子には凌駕されていた。何よりその、かろうじて張り合える妻や娘さえも、パフォーマンス過剰な村田の歓待に徐々に流され、昨今社本の前では見せたことのないような笑顔を村田に見せ始める。そう、人柄さえも含め、村田は社本にないものをすべて兼ね備えていたと言ってよい。社本の堅実で質素な趣も、村田の豪快で溌剌とした人間性の前にはかすむどころか、ただひたすらにせせこましく保守的なものでしかなかった。
そんな社本と社本の店をしかし村田は気に入ったと言い、美津子を更生のために村田の店で住み込みで働かせ、社本自身は自分のビジネスパートナーにならないかと持ちかける。村田の人となりに気後れと居心地の悪さを覚えていた社本は、店をほめられて悪い気はしなかったもののこの申し出に難色を示し、事業の連携については検討する程度にとどめるが、娘・美津子の方はすでに乗り気で、翌日から早速村田の店で働き始める。さらに返事をためらっていた社本は村田に見学などと称されてずるずるととある提携先との取引の場に招き入れられ、実に法外な値段で取引相手にアロワナを売りつけようとする村田を目の当たりにする。何か胡散臭さの陰に恐ろしさを感じた社本は退席して帰ろうとするが、村田の懇願に遭い着席。すると目の前で栄養ドリンクを飲んでいた村田の取引相手が、急に痙攣を起こして嘔吐し昏倒する。社本は腰を抜かしながらも救急車を呼ぼうとするが、村田は「もう死んでるよ」と冷淡な顔付きで告げた。そして社本に、妻の愛子と協力して死体を車に乗せて運ぶよう促す。すでに村田は苛烈で冷酷なその本性を露わにしていた。そして社本が向かわされた先は、とある山奥にある廃墟同然の小さな家だった――。

とかく村田に出会ってから(つまりほぼ冒頭からなのだが)社本がずるずると村田のペースにはまっていく。まだそこは平和な気がするがどこか社本の人生が右肩下がりに傾いていく感は否めない(すでに低空飛行ではあったが)。しかし村田が本性を露わにしてからはどん底への急転直下である。死体遺棄の片棒を担がされ、恫喝と娘や妻への影響をほのめかすことによって反抗心を封じられ、村田との共犯生活へどんどんはまり込んでいく。小市民でしかない社本にとってそれは自身の日常が地獄へと変わった瞬間であった。
いやはやとにかくこのプロットえげつない。自身で割を食いながらも保守的にコソコソ生きてきたリアリズム溢れる小男とも呼べる人間が、ありがちな偶然からあつらえられたような必然性をひたすら辿って悪魔の手の中に落ちていく。出会ったものが悪魔であるという偶然は確かに運が悪かったと言えるものかもしれないが、そこからの過程は狭い穴の中の濁流のように、決して逃れようはなかったと思わせる筋書きなのだ。


正直に言えば社本の人間性は観客である自分から大きく乖離していると言えなくもない。こんな小男に娘がいて二回結婚しててしかも新妻は美人でエロエロだなんて世の中間違っている!とかではないが、しかし社本のヘタレっぷりがとにかくイライラするものだったのは間違いない。前妻が残した年頃で多感で頭の悪い娘とそも女としては結婚向きでなかった新妻との間の確執にも目を向けられず、ただ自分の店と家族があることだけに満足した振りをし続ける社本。妻の料理が押しなべて冷凍食品であることにも、娘が食事中に携帯をいじって男のところへ出かけていくことにも何も言えず、まるでそれが美徳であるかのように平静を装っている。さらに自分の趣味には陶酔し、出会った頃を思い出せば妙子もきっと笑顔になるはずと平和ボケもいいところ。こんな男では村田の表向きの顔のような才能なんてなくて当然だ。いわゆるクズ以上に境遇を憐れむ余地がない。しかし、そこにこの作品のキモがある。

善良な人の弱さのかたまりであるという点においては、社本は観客の共感を得やすいのかもしれない。つまるところつくづく同族嫌悪にさらされるべきキャラクターだとも言える。村田夫妻を一網打尽にするため警察を呼べる機会にあっても何もせずただ時を過ごしている様子はもう見ていて憤懣やるかたないものだったし、反面、社本ここまでヘタレだったか、まあ社本なら仕方ないか、という幻滅と諦観もあった。乖離的だと言ったがある意味社本のことを「親近感を覚えられる弱者」だとも認識していたとも言える。少なくとも幻滅したということはわずかにでも期待したということだ。いくらヘタレのお前でもこの最低の地獄から抜け出せる絶好の機会を逃すわけが、あるかもしれないが、いやないだろうと思いたかった。期待は裏切られるが社本が弱者であり続けたことにはホッとしている自分がある。なぜか。先述したとおり、社本が転がり落ちていった道は運が悪ければ自分も転がり落ちていく可能性のある道に思えるからだ。それほど、ひょんなこととはいえ身近なきっかけから悪魔に魅入られてしてしまうとこの作品は思わせてくる。それに当てはまる弱者であると自分を認めたくないがゆえに、社本の反抗に期待し、また幻滅させられたことに自分と社本は違うという安心感を覚えられる。


ここでもう一つのキモである村田の残忍性と恐ろしさだ。こちらこそ現実からはるかに乖離しているようでまったくそんなことはないという恐ろしい代物。でんでんの怪演が強烈な光を放ちながらもその現実性に一役買っている。実際の村田を見ておそらく多くの人間が「あーいるいる、こういうオッサン」と思うであろうことは想像に難くない。どこのコミュニティにもたいてい一人はいる、口のうまいひょうきんな男。正直見ていて恥ずかしくなるようなタイプだが、人間というもの(特に日本人)はこういう男性をどこかで頼りにしてしまう傾向にある。ポジティブのかたまりのように見える存在なのだから、そのオーラにあてられるのは当たり前のことだろう。そういう求心力のある人柄を持つ人間が、突如として冷淡な殺人鬼の本性を現すのだ。人は顔の裏で何を考えているかわからない。人は見たものしか認識できないが、ひょうきんな人柄はその求心力への嫉みや生理的嫌悪からか短絡的と無根拠に蔑視される傾向にある。嘲笑しているつもりがなくても腹を割って話してくれていると勝手に思い込んでしまう。その本性が、よりにもよって現実離れした悪魔のようなものであったとき、人は多かれ少なかれ一旦思考を放棄するだろう。その反応を“恐怖”というのだ。
またこの、現実離れした悪魔のような本性で行うことも、現実離れしているようで実はしていない。村田が言う“透明にする”というのは、殺した人間を風呂場で解体し、部位ごとに適切な処理をすることで遺体そのものをこの世から抹消してしまう行為を指す。それを平気で何十人もの人間に対して行ってきた残忍性と異常性は確かに「狂っている」と形容せずにはいられないものだが、機械的なやり口としては非常に現実的で合理的(警察の捜査の知見からもそう言えるかはともかく)なものだ。人間は家畜を解体してひとくちサイズにまで細かくできるし、高温で焼けば骨も灰になる。これらはすべて、スーパーの精肉コーナーと火葬場といった日常において証明されていることなのだ。あとはそれらを川や野にまけば、それらが元は人間だったと見抜ける者もこの世にはいないだろう。

本映画はR18+指定となっているが、この“透明にする”の過程を、死体を運ぶところから最後まですべて具体的に見せられる。さすがに解体作業を事細かに見せていただけるわけではないが(それはただグロいばかりが尺を取るだけでダレる)、風呂場の外で社本が解体作業が終わるのを待っていると村田にコーヒーを入れてくれと頼まれ、風呂場に顔を見せる。そこにはすでにこま切れにされた元人体が転がっており、村田は「ほれ、こいつがレバーだ」と言って切り取った肝臓を笑顔で見せつけてくる。風呂場も村田夫妻も血みどろすぎてとても肉屋の光景には見えないが、こま切れの肉は隣りにしゃれこうべさえ並んでいなければ家畜のそれと見分けがつかないだろう。さらに村田夫妻が解体に用いるのは家庭料理用の包丁各種に、肉をやわらかくするための塩素系洗剤とバスタブいっぱいの水、といったように、これまたどこにでもあって、誰でもすぐ用意できるようなものばかり。骨を焼くのに使うのはドラム缶と普通の薪で、臭いをごまかすためのアイテムは醤油。このあたりはそもそもモデル事件の暴露本(社本にあたる人物の告白)を忠実に再現した(表現はむしろ抑えめ)そうなので手段が現実的なのは当たり前だろうが、映画的に見ると誰でも出来そうだと思わせるためにやっているようにしか思えなくて間違いなく胸が悪くなる。唯一現実的でないといえば人目につかない山小屋と、村田夫妻の手際の良さくらいか。といっても後者はそれでも一晩かかるあたりがやはり妙に生々しい。前者も自身が持っていなくとも、近所でバーベキューをしている光景と何ら変わりないのだから、他人事と思いたくても一概にそうは問屋が卸してくれない。地獄のように怖ろしいシーンですらも身近さを潜ませてくるのがこの映画の真骨頂だ。

社本は最後の事件で解体まで手伝わされはしなかったものの、骨の焼却と肉片を川に撒く作業をさせられる。川に撒いた肉片は魚ちゃんが食べてくれるとはそれ以前に村田が言った言葉だが、好きで熱帯魚店を営む社本が手ずから同じことをさせられたときの気持ちはいかなるものだったのか。しかし逆らえない社本は任された仕事を見事にやり遂げ、その末に泣き出した社本に村田は怒りをコントロールしろ、強くなれ、やりたいことを我慢するな、俺を父親だと思ってぶつかってこいと言う。このへん、別段社本に情や親近感が湧いたわけではないだろうが、社本が自分と似たものか、あるいは何か別の狂気を生む可能性を感じて村田は興奮したのかもしれない。あるいは、一度社本に自身を殴らせ、これが本当のパンチだと言って殴り返した様子は、卑小な父親にコンプレックスを持っていたがゆえに、自身が偉大性のある父親的な立場にいることに陶酔していたようにも見える。さらに褒美だと言って村田は社本に妻の愛子を犯すように言うが、この一線を前にして初めて社本は明確な拒絶の意思を示す。しかし村田の手によって強引に愛子と繋がってしまう社本。しかし腰を振らされているうちに車のドアポケットからボールペンを抜き取り、矯正をあげる愛子の首元に突き刺す。絶叫する愛子を振り払い、突然のことにたじろぐ村田へ向き直って猛然と同じくボールペンを突き刺す社本。馬乗りになって滅多刺しにし、村田を虫の息まで追い込むと、狂ったように笑い転げる愛子を怒鳴りつけて車を山小屋まで戻らせる。そして愛子に村田を‘透明’にするよう命令し、自身は村田の車で家に帰っていく。
個人的にはこの作品、このあたりで終わっておけばよかったんじゃないかと思ったのだけれど、どうやら監督自身も再編集する機会があれば愛子が笑い転げているあたりで切りたいと思っているとのこと。村田を殺して覚醒した社本は溌剌とした笑顔と激しく暴力的な顔の二面しか持たない極端な人間性を発揮し豹変。急に妙子を怒鳴りつけて夕食の用意をさせて娘も席につかせ、かと思えば三人一緒に食事ができることに満面の笑みを見せ、しかし娘が食事中に電話に出るとその頬を張り飛ばし、娘が男の元へ逃げようとすると男ともども失神するまでぶん殴って連れ戻し、興奮して熱くなったので妙子をレイプ。村田に体を許したことを妙子に白状させながらレイプ。目を覚ました娘をもう一度ノックアウトして引き続きレイプ(※妙子を)。あたかも村田に言われた「やりたいようにやれ」を全力で体現する。すべてが終わったのち今度はもう一回山小屋へ行き、県警へ電話をかけて村田らを告発し、解体作業途中だった愛子がめっちゃ愛を訴えてきたところを殺害。到着した警察が屋内を調べているうちに、彼らと一緒にやってきた妙子を刺殺し、社本自身も娘に見せつけるように首を切って死亡。首を切る前に社本は「生きるってのは痛いんだよ!」と娘に怒鳴りつけ、娘は親父の死に顔を見おろしながら「やっと死にやがったなクソジジイ!」と言って笑い転げる――うーん、やはりよくわからない。急に誰も彼もやることがクサくなってきたうえに、説教臭さまで醸し出してきた。いやちょっと待て。そもそもなぜ県警は妙子と美津子を山小屋まで連れてきたんだ?この手のいろいろなポカはこれまでにもいくつかあるんだが(県警の追跡が雑すぎる上にドラテクがしょぼいとか、女性を中心に脇役の行動原理がわかりづら過ぎるとか)ここにきてやたら目につき始める。意味不明なところも多い(特にラスト)。作品に深みやらメッセージ性やらを付け足そうとしてあざとさが浮き彫りになっちゃった感じだ。蛇足もいいところというどころか慌てて後から付け足したようにしか見えないのよね。

ちなみに村田が今わの際に幼児期の記憶にさいなまれるかのように「お父さん、許して、ごめんなさい」とうわごとを口にしていることについて賛否あるようだが、個人的には村田も所詮人の子だったという感じが強くして、地に足のついた安心感を覚えた。あるいは悪魔が村田から社本に乗り換える瞬間を見たような、妖しげで痛快な心地だ。モデルとなった実在の殺人鬼が自分のプロフィールにおいてその手の‘虚言’を振りかざしていたこともあって、事前に村田が語って聞かせた自身の過去についてどうにも真実らしいとここで証明されてしまったことに興ざめを覚える人は少なくなかったらしいが、まあ自分はそもそも原作と二次創作(本作の場合実在とそれを元にしたフィクションか)を比べる行為があまり好きでない。それに原作の殺人鬼の魅力は虚言癖からの得体の知れなさや薄気味悪さにあったのかもしれないが、商業的な観点から言えばある程度地に足のついたキャラクターの方がより多くの理解を得やすいものだ。微妙にあざとさを覚えないでもないが、より記号的に一般的な方がこの作品のキモである“親近感”が生きる気もする。と言いつつ、社本がボールペンを握った瞬間からこの親近感の潜む非日常が爆発するように決壊したとも感じるのだが、そこで本来流れ出るはずの村田がダムの内側へ置き去りにされることによってあたかも悪魔の乗り換えが起こったように見えるのではないだろうか。人の身に悪魔は荷が勝ちすぎる。社本のような小市民で、性善説論者を標榜する私は、どうしてもそう思い続けたいのかもしれない。だからこそ強烈に暗いものの心に残る映画だったともいえる。

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