読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2013,10,26 AM2

徒然

今季アニメのOPEDは好きなのが多いなあ、とか思いながら。


最近ようやく主にサークル関連でやり残していた仕事がひと段落し、

珍しく週末に一人の時間ができたので更新。

久しぶりに【徒然】記事です。



そもそもこんなところで報告しようという意志がなかったので

こっそりと詳細プロフィールに変更を加えたりする程度に留めていましたが、

隠していたわけでもないのに、

それでもなんだかちょっぴり不自然な気がしてきたので、

報告しますと、


9月に無事、

学士を頂いていたのでありました。


紆余曲折

波乱万丈

かくかくしかじか

ありまして、人より少し長くかかってしまいましたが、

どうにか正規のゴールにインできたわけです。


まあ思い出話はここには書きませんけどね。

卒業できても今住んでる土地にしばらく留まるつもりだったところへ

来月にはお暇するということで話がまとまってしまい、

残り半年でえっちらおっちら片づけていこうと

思っていたことをいっぺんにやっちまう羽目になり、

まぁー見通しの甘かったこと甘かったこと!


っていう細かな話もいいのですが、

今日は徒然、

やり残したことをひととおり終えて、ぼちぼち考えていることとして。

長らく関わってきたものに対して、もはや外部のものになるということは

どういうことなのでしょうね?

みたいな。


現代人の売り文句は、

「ネットがあるから離れても大丈夫!」

ぼくは自分がアナログな人間だからじゃなくて、

こう、数年間いろんな人と関わりを持ってきた、その経験から、

この文句にうさんくささを感じています。


もちろん、何もかもがうさんくさいだとか、

ウェブ上のつながりなんてすべてまやかしだとか

そんな馬鹿馬鹿しいくらい極端なことを吹聴したいわけじゃありません。

これは、一つの考え方、なんて偉そうに言えるほどのものですらなく、

自戒とかわきまえるとか、ただの、ぼく自分の心構えのお話なのです。


自分のことは、比較的自意識過剰な人間だと思っています。

本質的には、煽り耐性とかもありませんし、情に流されやすいです。

自覚がある分、その悪い側面に気をつけて暮らすことはできますが、

疲れているときなんかは、容易に馬脚が現れます。


いい意味では、

自分がしなくてはという自覚を強く持てて、

モチベーションと熱意を簡単に生み出せるタイプ。

幸運なことに、人並みに仕事がこなせて、

なおかつ善意が空回りしない程度には残念でない育ち方をしていたらしく、

致命的にバイタリティが欠けているというディスアドバンテージを引きずりながらも、

人にお礼を言ってもらえるような仕事もいくつか手がけられたという自負があります。


それらはしかし、人のすぐそばで動き回っていたからこそできたこと。

周りに誰かがいない状態で成し得たことだとは、到底思えない。

理由はこまごまとしたものがたくさん言えますが、決定的なものは上手く言えなくて、

でも結論だけは間違いなく自分の中にあって。


11月末、

今まで関わってきた人たちと普段から顔を合わせるような習慣はなくなります。

SNSなんかで発信していると、そちらでもつながりのある人たちは
自分を見てくれているんだと勝手に前提してしまいます。

頭ではそうでないとわかっていても、そういう前提意識が否めないのです。

さらには、自分の発信が、その人たちに受け止められるだろう、

何か影響を与え、人を動かすことができるだろう。

間違いなく、錯覚でなく、リアルではそうやろうとしてきた自負と、確かな結果とが、
もう自尊心のところに深く根付いてしまっていて。

けれど、人とのつながりがウェブだけになったとき、

確実にその自負は、そのまま持ってきても空回るだけだろうと感じるのです。


だから、心構えの話。

今月と来月のギリギリまで、ぼくは今生み出せる限りの熱意をもって、関わりを持ってきたものと接することに決めました。

しかしその後は、わきまえるのです。

少なくとも、煽り体勢のない自意識過剰タイプの自分には、

ウェブ上の監視員、ご意見番は向いていない。

目の前で人の表情を見ながら会話しなくてはやっていられない。

その自覚がある上で、今までと同じように、

思ったそばから手を出し、口を出し、取りかかり、飛びかかっていく

なんてこと

のために種をまき、手回しをするためにはウェブも使いようでした、

けれど、ウェブだけを介しておこない始めて

いつしか、人を動かせる万能感にそこでも囚われだして

けれどよくよく見直すと、当たり前のように

一人で空回っていたり。


それはきっと、それだけはきっと、まやかしだったからじゃないですか?


気持ちの孤独は単なる甘え――

人と人は心では結局通じ合えない――

というのが本当かどうかわりとどうでもいいことですが、

とりあえず本当だとしても、

現実に握り合った手は、間違いなく現実で、確かな事実で、

絶対に論破されない証拠。

そんな、当たり前のことに気づかずに

顔も見えないところから、他人の神経を疑って、

勝手に裏切られたような気持ちになって、

それがどんなに盲目的であるかは、誰が見てもわかるでしょう。


誰かが寂しくなるようなことを言っているつもりはありません。

老害にはなりたくないと、去りゆく人々がよく言います。

けれどぼくのこの自戒は、勘違いをして、お門違いの無理をして、

自分を無駄にしてしまわないようにという、自分のための心構えです。

傲岸不遜、唯我独尊の予防線。

老兵にして、活き活きのしどころ、しどきを間違えず、

万能感の流砂に沈んでしまわないために。


12月、

ぼくは世界の隅っこにいて、

いつでも火をともせるくらいに、静かな気持ちで。

SOSが聞こえるのを待っているでしょう。

受信するのは、宛名にはっきりぼくの名前のあるやつだけです。

何か使い道があると思うなら、遠慮はなさらずに。