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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2013,11,24 AM12 【映画録13『脳男』『偽りなき者』『攻殻機動隊ARISE "border:1 Ghost Pain"』】

引っ越しの荷造りをしていてホコリに喉をやられました。
日頃掃除をしてませんからね。やっぱりマスクがいります。

サークルにはとりあえず最後の部会出席を終え、まるで置き土産のようにこのブログとあちらのホームページとの相互リンクを張らせてもらえるようにお願いしてきました。

少々フライング気味ですが、こっちからの片道リンクは早々に貼らせてもらったことですので、映画録の更新の方も張り切ってしていきたいと……いややっぱユルくいきましょうね。平和が一番です。

本日のお品書き

case.728の映画録は、ネタバレは「もしもあったらごめんなさい」でお送り致します。

11月19日『脳男』


  • クズだと思った人間は殺してしまえばいい。
  • まったくそうできたらどんなに楽かと思うことが自分にだって度々ありますが、いったいどんな言い訳を自分にして抑え込……ってちょっと待て。まったく同じ感想を【映画録11】で書いたばっかりだこれ……(・・;)
  • というノリツッコミネタを視聴中に思いついたのですが、最終的にはそこまでそぐう感じではなかったのでちょっと恥ずかしいですね。『藁の楯』みたいにぐるぐる考えてしまうタイプのエグエグな方向にはいかず、少年か青年漫画のかなり重たい部類のような同じ問いの投げかけ方。
  • ですから、その回答となる主張も最初からしっかりしています。「殺す(裁く)権利」についての問いですからね。「(クズの)殺されない権利」について考えるのとは比べ物にならないくらい簡単でしょう。というかわりとステレオタイプなはずです。
  • そんな様相ですから内容の大筋についても特筆するようなことはなかったり。とりあえず何かと比べることをやめれば充分にエグみのある内容なので、お手軽にブラックで刺激的な映画として適度に愉しめます。後味にもエグみが効いてますよ。渋みは全然。あんまり肥え太った舌で味わおうなどとは考えないことです。
  • 一応日本のPG12指定にしてはかなり攻めの姿勢だったのではないかと。R15でも不思議ではないノワールさ加減が、ブラックなディティールともビターな後味ともよくマッチしています。なんだか自分の感想がサゲの雰囲気を醸し出している気がしてならないのですが、そこそこ良作という認識です。脚本の大筋がわりとステレオタイプで、テーマ云々についてまで考えるとちょっぴりとっ散らかって見えるというだけ。んー、「だけ」という言い方はずるいかも(^_^;)
  • どっちかというと残念だったのは役者の方なんです。主要人物の半分くらい大根でしたから。爆弾魔二人も若いながら頑張ってはいましたが何か精彩にかける。江口はあいかわらず表情は迫真なのにしゃべると白々しくて鬱陶しい。いや『GOEMON』のときはかっこよかったんですけど、本作では浮いてしまってミスキャスト感がすごい。上から目線ですいませんが、松雪さんがようやく及第点。
  • ただし生田斗真による鈴木一郎役の作り込みは素晴らしかったです。ほとんど表情を変えずに目だけで演技してみせる。それも生気のあるなしという、どう考えてもかなり極限にある差違と変化を短いスパンで表現するというのは、なかなかできることではないのではないでしょうか。ある意味終始クズをやっていればよかった『藁の楯』の藤原よりすごいのかも。
  • ちなみに原作は推理小説にジャンル分けされてるようなんですけど、映画は推理を愉しめるようなミステリ要素にまったくと言っていいほど重点は置かれていません。どちらかといえば頭空っぽにして観た方が楽しめるタイプです。見所は生田斗真の演技のみ。あと、過激な爆弾魔さんがなかなか容赦なく腕を振るって人がBomb!Bomb!死にまくりますので、そっちがちょっと痛快の思えたらめっけもんです。

11月20日『偽りなき者』


  • クズだと思った人間はころ……
  • まあその……この頃は重たくて苦しそうな内容の作品ばかり嗅ぎつけては手を出してますから、度し難い人間の業を描くなんていうのはそういう系統では定石中の定石でしょうし、そんなものを観てれば「もうこんなやつ(ら)さっさとブッコロしてスカッと終わろうぜ」なんて物騒な考えが頭をかすめたりもするものです。というのがわかってて手を出してここでも天丼したがるんですからいったい何が愉しくてこんな映画観てるんだろうか……。
  • 怖いもの見たさです、はい(断定)。この国でも痴漢冤罪とかよく聞きますけど、幼い子供のウソの告発で小児性虐待者レッテルを貼られて村八分で人生台なしって、のっけからすでにどうあがいても絶望じゃないですか。たとえ身の潔白が証明されたとしてもわだかまりが残ってほぼ一生腫れもの扱いか疑念の残滓に悩まされ続けるエンディングしか待っていませんよ。ごく自然に考えればそうでしょう。そんな題材をどうまとめてくるのか。これは観るしかないと思いましたね。
  • 本作にはしかしクズなんて実は一人たりともいないんです。たった一人“致命的な紳士”がいるだけで(それが主人公で)、他はすべて、身分・性別・歳相応の、等身大の人間たち。
  • というこの構図がすでにそこそこ良質なホラーに比べても遥かに恐ろしいのですね。何がどう恐ろしいかって、迫害する側にもされる側にも感情移入ができて、しかもその一人一人の思考まで、嫌でも手に取るように分かるということなんです。
  • まあホント、基本的には常によく見える主人公の側に立って舞台を眺めるんですけど、そのときはハラワタが煮えくり返ってどうしようもないんですね。煮えくり返ってどうしようもないというか、本当に自分で状況を“どうしようもない”というやるせなさでいっぱいになるんです。なにしろ「子どもがそんな嘘をつくわけがない」と思い込んで最初から有罪を決めてかかってる連中(というかもはや世間)を相手に「それでもボクはやってない」と主張するしかないんですから。
  • しかしです。ホラー映画によくありますよね。観客である自分たちは、その作品にオバケが存在していることを知っているからこそ、「行くな!そっちに行くな!」とか「そのドアを開けるじゃない!」などと、これから何らかの憂き目に遭うであろう登場人物たちを目の当たりにして歯痒い思いに駆られます。その歯痒さが耐え難いのでどうにか宥めようとすると、「自分たちは(その作品における)オバケの存在を知っているが、彼らは知らない」という認識が顔を出してきて、「知らないんだから無理もない」と理性的に考えられた時、襲われる登場人物たちに感情移入ができるようになってくるわけです。で、ここでいうその“襲われる登場人物たち”に当たるのが、本作では主人公よりもむしろ、主人公を迫害する村人たちの方なのです。
  • 本作は上述した自分の期待をそっくりそのまま辿って、“どうあがいても絶望”な方向へまっしぐらに走っていきます。その絶望というのは、罪のない人間を罪人に仕立て上げてしまうというあまりに恐ろしい罪から逃れられなくなるという、迫害する側の絶望でもあるわけです。そうやって迫害側がドツボにはまっていく様を観ながら観客は「行くな!そっちに行くな!」と気を揉まされます(しかもそっちに行きます)。これがまさに先のホラー映画の例え通りで、「オバケの存在を彼らは知らない」という認識で冷静に見直すと「知らないんだから無理もない」という展開ばかりなのですね。
  • いや、本当に一番何が恐ろしいって、この映画の脚本の出来ですよ。「無理もない」ということは「自然だ」ということです。自分の見立てですが、おそらく不特定多数の人間が、迫害する側に立って本作を見直せたときに「自分もああいうふうに迫害してしまうかもしれない」と感じるようにできてしまっています。しかも“悪意なき冤罪”なのですから、「〜してしまうかもしれない」に「知らず知らずにうちに」まで付け足されるのです(集団ヒステリーの本質ってやつなんですかね?)。そして、この自然さが回りまわって、観客が主人公の側に立った時に“自分の身にも起こりうること”として本作を観始める。自分がしてしまうかもしれないことが自分の身にも振りかかる可能性がある、なんて、ちょっと意地悪なんじゃないかとか口をとがらせる余裕すら、持てそうにありません。
  • 誰か特定の悪者がいてくれればこういうのは気が楽になるものですが、その心理まで推し量ったかのように本作は華麗な身のこなしでそんな観客の逃げ道を塞いできます。
  • 一番の元凶たるはやはり最初に嘘をついた女児・クララで、嘘をついた理由も大人から見ればくだらないことですし、いかに幼児とはいえ一人の人間の人生(厳密にはその家族のも)を瓦礫の山にしておいて「子どもだから」で無罪放免する心境へ全面的に共感なんてできるようはずもありません(短気な自分などは彼女が「ファニーは?」と聞いているシーンでこのクソガキャァ(▼Д▼)と思っていましたし)。もしそれで済ませるような作品であれば、閉鎖的な社会の悪質な側面を描いただけの悪趣味なファンタジーだったかもしれませんが、どっこいクララちゃん、幼いなりに話がおかしな方向へ転がり出しているのに気がついて、どうしてよいかわからないながらもどうにかしようと奮闘し始めます。それを大人が封殺してしまう展開なのです。
  • その封殺の仕方もまた、気色悪いながら“あり得るヒステリー”としてよくできているせいで、これはもう仕方がなかったとして劇中でクララに同情すら覚えてしまいました。なにしろクララが嘘をつくところよりも大人が誘導尋問したり真実に聞く耳持たなかったりするシーンの方がはるかに戦慄ものなんですもの。ネタバレもスレスレですが、さらに主人公が彼女の前で最後まで紳士然とした姿勢を貫き通したことで、観客としても彼女を恨み切れなくなってしまったのです。
  • では、クララの嘘を最初に真に受けて、明らかにまずい手を講じまくって自分でも勝手に話を大きくしまくった園長グレテを悪者に見立ててはどうか。確かに観ているときはこのクソババア燻製にしてやろうかという気分だったのですが、彼女は彼女なりに最善の策を講じたつもりで、かつ、精神的にあれ以上の賢明な対応は不可能だったのだと後から思い直しました。クララの嘘の告発を聞いてるうちに吐いちゃったくらいですからね。それに明らかに本作の起こったような事態については経験不足。いえ、本作のような事態についてのみ経験不足だったせいで、残りのベテランのノウハウと気概でキビキビと事態を進めてしまったのもまた元凶の一つだというのですから、ちょっと寒気を覚える以外に反応が思いつきません。
  • 一応、園の秩序とか信用を守るために主人公ルーカスを切り捨てた、と見えなくもないんですけどね。しかし、そうやって無理やり悪役にしてみたところで、彼女は中盤以降作中に登場してこなくなってしまいます。ここも憎いことに違和感がありません。主人公を迫害する役目は親たちが引き継ぎますから、顔を出さなくなった園長は村というコミュニティの単位の中へごく自然に溶け込んでいってしまうのです。
  • 他にも一人一人悪役候補を検分していくのですが、そのどれもが園長のように溶けていったか“あり得るヒステリー”の手先でしかなくて、まったく善悪の掴みようがないんですね。あるいは、たとえ悪意が存在していたと見ても、それはコミュニティという単位の中の話で、一人一人に分散して持たれてしまっているのです。最初に「もうこんなやつらブッコロしてスカッと終わろう」みたいなことを言いましたが、正直津山三十人殺しでも足りるか怪しい話です。殲滅以外にありませんから。
  • それにしても、誘導尋問されてるシーンでのクララことアニカ・ヴィタコブちゃんの演技がちょっと凄まじいんですけど。いや、どうしたらいいかわからなくなってルーカスの家を訪ねてきたシーンもなかなか。というか全体的にです。彼女のあの演技力がなかったら成立しないようなシビアな作品だったとすら思うのですが、いったいあの歳でどこまで意識してやっているのか。我が愛しのジョデルちゃんですら『ローズ・イン・タイドランド』のとき10歳とちょっとくらいでしたから、末怖ろしいにもほどがあります。
  • ちなみにラストの正体(と言っておけばギリギリネタバレにならず観た人だけわかるのでは…)ですが、最有力はやはりトルステンかと。シルエットが男っぽかった以上の根拠も欲しいですが、とりあえず普通に消去法で。
  • 大人の男の誰かという可能性は一番ないでしょう。撃つ理由があっても撃てない理由の方が多いのが男というもの、というか、家長という立場と文化です。少なくともあの作品で激情に身を任せるのは母親か子供でしょう。ただ、もし大人の男の誰かだったとすれば、どうやら男性の狩猟が伝統文化のあの村で、ベテランの彼らがあの距離とあの凪ぎとライティングで仕留め損なうということはないと思われますから、目的がそもそも威嚇や嫌がらせだったと考えられます。
  • クララの母親が怪しいというのもちょっと思いましたが(ファニーはどこ?と訊かれて戸惑っていましたよね)、シルエット以上にキャラが合いません。あの村というコミュニティの中で男女(父母)は役割的にはっきりと棲み分けなされているように描写されていましたし、猟銃は明らかに男たちの象徴的な持ち物です(そこに反転をしかける意味も特に見出せません)。たとえ動機があって理論上可能だとしても、この可能性を肯定するのは作品として美しくないので自分は却下したいです。ファニーの件に関しても同様。少なくとも実行犯はやはり彼女のキャラに合いません。女を侮るなとよく言いたがる人がいますが、そういうのは作中で示されてこそでしょう。
  • 加えて、そもそも容疑者は最後のパーティでルーカスに陰険な眼差しを向けていた連中と考えるのが妥当でしょう。あのシーンはそのしぼり込みのためでもあったと。逆にあれがミスリードだったとしたら悪ふざけ以外のなにものでもなくなってしまいます。
  • また、ファニーや窓ガラスの件の犯人もトルステンが一番自然かと思います。大人がそういうことをするような街なら、きっとルーカスさんちはもっとひどいことになってたんじゃないでしょうか。ああいう愚直で軽率な行動に一人で走るのは若気の至りムンムンな子供ぐらいで、大人たちは群れでもっと慎重に陰湿な行いをする気風なのだということは、それこそ劇中から充分に読み取れます。デンマーク人と日本人てよく似てるんでしょうか。
  • ネットで見かけた説として、ルーカスの幻影だったのではないかというパターンがあるようです。パーティで疑いの眼差しをちらほら確認したばかりでしたし、次弾を装填した(ように見えた)のに撃たなかったのが確かに不自然だとも思えます。ただ、いったんルーカスの顔が映されてから再びその視界と思しきカットに戻った際に、狙撃手が走り去っていく様子がしっかり映されていましたから、描写的に考えると幻影の表現としては不適切な気がします。というのは単に私の前提知識が邪魔しているだけかもしれませんが。
  • “(猟銃で)撃たれる”という要素自体はあの作品の中では突飛なくせに象徴的なピース(そもそも原題の『Jagten』は英題で『The Hunt』、つまり『狩猟』の意)ですから、たとえ幻影説が真相でも美しい引きだとは思っています。

10月21日『攻殻機動隊ARISE "border:1 Ghost Pain"』


  • 自分を攻殻ファンと称することには一抹の不安を覚えます。なにしろ原作を読んだことがない。攻殻アニメファンと名乗るにも押井も神山もそれぞれまだ観ていない作品があったりしますし、観賞済みの作品についてまだまだ考察不足であることも否めなかったりするのですが、それでもとかく新シリーズとあっては観ざるをえないと思う程度には大好きなんです、攻殻機動隊シリーズ。
  • 脚本はマルドゥックシリーズやファフナーで有名なSF作家の冲方丁ですし、監督も劇場アニメの経験豊富でイノセンスでも作監やってた黄瀬和哉。ぼくの目からだと特別期待できる、あるいはしたい、という布陣でもありませんでしたが、充分安心できそうだとは思いましたし、声優やキャラデザ・設定の一新なんかにウジウジこだわる方でもありませんから、ほとんど抵抗なく視聴に臨んだ次第です。
  • 総評……言葉に困りますね。
  • がっかりした、とかではないのですが、面白かった、と言うには何かちょっと引っかかる。可もなく不可もなく、と言えばお茶を濁せるかもしれないですけど、なんというか、全体を評そうとするとすごく端的に“イマイチ”という言葉しか出てこないんですよね。
  • イマイチ印象が薄い。悪いわけではなく、薄い。
  • 先述の通り、自分は神山や押井の攻殻を知っていてしかも好きですから、どうしても比べてしまう傾向にはあるかもしれません。しかしそれを自覚した上でより理性的に評するならそれこそ“可もなく不可もなく”なんです。
  • たとえば、攻殻を知らない人に攻殻のアニメを見せようと思っても、ARISEを推薦したいとは全く思わないものです。人に勧めるということは、相手がそれを面白いと反応して気に入る姿が想定できるということなのですが、そういうビジョンがARISEだとまったく浮かばないのです。
  • この、なんだか恐ろしく精彩を欠いている印象の原因を、ひとまずは脚本に求めてみました。が、全体をちゃんと見直すとそこまで仏頂面をしたくなるような脚本でもありません。扱われている事件そのものは地味ですが、神山攻殻のように社会問題云々よりもキャラクターの根幹に関わってくる内容ですし、今回のシリーズは劇場公開ながらOVA的な展開の仕方なので、一話は走り程度に留めたと考えられなくもありません。記憶と認識と実存と脳の問題に電脳というギミックが挟んでストレートに掘り下げていくのも攻殻の世界観を充分利用していると言えるでしょう。しいて言えば掘り下げが非常に浅いことぐらいですが、以降のストーリーで伏線として同じ問いがなされていくなら面白いものになるかもしれません。
  • おそらく本当の原因は、ごく基本的な“構成”と“観せ方”だと思われます。
  • “構成”について、ひとことで言えば「詰め込みすぎ」です。まず、話の流れや現状が観ていて非常にわかりにくい。イライラしてしまう。確かに全容からしてややこしいはややこしいのですが、複雑というのとは少し違い、単純に不親切なだけという印象です。加えて、話のスケール自体は大きくないながら、そのわりには脇なのか主要なのか判断のつかないキャラクターたちがやたら大勢いて、そんなキャラクターたちが事件の根幹にはやたら絡んできて、真に主要なキャラたちにも併行してスポットライトを当て、素子の設定を大きく掘り下げ、その上でややこしい事件を一つ解決まで導けというのはわりと無茶振りです。一見脚本家の責任のようですが尺と企画は他から用意されたもののはずですし、声優の登場について事務所との駆け引きなんかもあったと考えた方がよいでしょう。
  • おかげで世界観説明のほとんどは省略。先に書いた人に勧めないというのの理由ではありませんが、攻殻初心者は確実に置いてけぼりになると思われます。それでもこの尺でむしろよくまとめた方だと思える内容なのですから呆れる話です。
  • さらに“観せ方”です。先に書いた通り複雑ではないながら全容はややこしいのですが、にもかかわらず観客をリードする気配がまったくないまま話が勝手に進んでいく始末。押井攻殻も似たようにいけずですが、あれはシナリオ自体はシンプルで適当に類推していけば充分なものですし、そこはさして重要ではありません。いえ、難解で説明下手な作品だって、ついていきたいという気概を観客に持たせられさえすればそれが面白いと言われ始めます。が、そういう美点がほとんど見いだせない。
  • いうなれば“地味”です。地味なんです。映像と雰囲気で圧倒してくる押井攻殻ならもちろん、テレビサイズの神山攻殻でもここまでそうだと思ったことはありません。作画に予算が足りてないようにも見えず、とにかく見せ方が地味。薄味で、終始とてもダラダラとしている。あるいは展開のディティールがやたら幼稚だったり大味だったり。第六演習場で囲まれるシーンではさすがに唖然とさせられましたよ。何なんでしょう、この凡百感。
  • またこれに関して致命的だったのが音楽の盛大なハズレっぷりです。もうスッベスベです。まあこれこそ感性の問題でしょうから、一応これ以上何も言わないではおきましょう。ただ、本当に純粋に感応的な意見なだけに、川井や菅野の音楽と比べてはいません。比べる能がぼくにはありません。
  • うーん、やはりサゲ意見だけ書いているととても酷いものを観たとこき下ろしている気分になってきますね。絵は綺麗なんですよ、絵は。新声優も好き嫌いはあるかもしれませんが下手な人はいませんし、少佐はケツが青すぎてちょっと可愛く思えてきましたし(笑)。少なくとも過去のシリーズを引き合いに出して過度な期待さえしなければ肩を落とすような出来ではありませんでしたし、スロースタートではありましたがシリーズ内での今後の展開がどうなっていくかは充分気にしていけそうなところです。
  • ロジコマのデザインも気に入ってるんですけど、しかしあのAIは仕様と解釈しておけばいいんでしょうか。確かにまだ一機しか出ていないので眉をひそめるには早すぎますが、“個性”に手をかけようとしているならさすがに黙ってはいられないですね。《ゴースト》の解釈にもちょっと不穏なものを覚えましたし、ちまちまとしてはいますが目を離せない不安があるのも確かです。


どうでもいいですけどいつもこの欄外に書くことに悩みます。

そういえば今月ゲームアーカイブスで無料だったのでICOやったんです、ICO

アクションゲームで骨のある謎解きは久しぶりでしたし、ワンダと同じ世界観で遺跡をお腹いっぱい堪能できるのもよかったですね。
いやなによりヨルちゃんがかわいいんですけど。頼りないだけじゃなくて気まぐれで融通が利かない。手のかかる子ってのはいかんですね。意識にこびりついてきて強制的に夢中にさせられます。

ICO、ワンダときて、トリコのことをすっかり忘れていました。
調べてみましたがまだ発売未定だそうで。技術的な問題で延期しているとのことです。
開発リーダーがSCE退社して外部スタッフ化したあたりに何か不穏なものを覚えましたが、WWSの吉田さんによれば発売自体に不安はないとのこと。

まあ自分はしばらくしたらDoD3が待っていますから、そっちはもうしばらく首を長くして待っていましょうか。