case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2013,12,3 PM6 【映画録14-A『ウィンターズ・ボーン』】

本日のお品書き

【映画録14-A】

【映画録14-B】

とりあえず12月に食い込んじゃったというのもあり、
地元でもDISCASを無理なく使えるかどうかの試用期間にしてしまうことにしました。

どうやら最近のTSUTAYA DISCUS、
月980円で新作4枚まで借りられる、ライトバージョン的なサービスも始めたようなので、
一月からはそっちを使っていくことになるのかもしれません。

場合によっては、少し足を延ばしたところにあるGEOに乗り換えですけどね。
日常的に店の前を通ることにはなりそうなので。

case.728の映画録は、ネタバレは「もしもあったらごめんなさい」でお送り致します。
(最近わりとネタバレ路線な気がします…)

12月1日『ウィンターズ・ボーン


  • 奇跡を手繰り寄せるぅ〜(^ω^)少女の成長と希望の物語ぃ〜(^ω^)おわあ〜(^ω^)
  • やめましょう。日本の配給会社はちょっと病気なんです。
  • 気を取り直して……アメリカの貧困と村社会に立ち向かう17歳の少女。「家族の住む自宅と土地を保釈金の担保にした父親が失踪」という悲劇的なあらすじと、「少女は大人にならざるを得なかった」というフレーズに惹かれて視聴。
  • 引っ越しの荷解きの合間に疲れ目で見たせいであまり内容に集中できなかったんですけどね(^x^;) 本当なら一回観直した方がいいんでしょうけど、まあ記憶はしっかりしてるのでログくらいは。
  • いやそうでなくてもわかってるふりなんてとてもできる作品ではありませんでしたよ。アメリカの山の田舎ってこんなよって言われてエェーッ!?ってなって、い、いつの時代?っておそるおそる聞き返したら現在って答えられてまたエエェーッ!?ってなる。ぼくの中のアメリカ・ヨーロッパ先進国のイメージってそんなところ。
  • 最近見た『偽りなき者』も狩猟用の森もすぐ近くにあるデンマークの田舎町でしたけど、スーパーはありましたし道路も舗装されていましたし、建築物もだいたい普通にきれいだった。それ以上の深い森や山の中は、『アンチクライスト』みたいにペンションみたいな施設に利用されてたり『キャビン』みたいに個人がひっそり住んでる感じで、コミュニティと言えるものはあらかた撤退してるもんだとばかり……。
  • というのはさすがに言いすぎなんですけどね。ただそこへもう一つ、村の荒んだ雰囲気ですよ。また『偽りなき者』を引き合いに出しますけど、コミュニティの内部はわりと和気あいあいとやっている。表面的にはと付け加えたいですがここはそもそも表面の話です。『白いリボン』なんかを持ってきてもまだ楽しそうに見える嫌いがありますね。
  • 村社会の例に漏れず、この『ウィンターズ・ボーン』も「村人ミナ家族」って感じの共同体を描いてはいるんですけど、その様相は家庭内別居かお前らと言いたくなるような寒々しさ。もちろん、まだ村社会の根幹に関われていない17歳の少女の視点で描かれるからこそそうとしか見えないのかもしれませんが、先述どおりのアメリカンイメージに囚われていた自分からしてみれば非常にカルチャーショックだったわけです。
  • それに気を取られたせいと一概に言うわけではありませんが、しかしながら本作は自分にとっては感情移入しづらい作品でした。いや、むしろ、だからこそ打ちひしがれるとも言えるのですよね。自分は環境的にとても恵まれて生きてきた。だから主人公の少女・リーのつらさはわからない。そう、きっと自分にはわからないくらい彼女はつらい。そんな計り知れない過酷な環境の中で、17歳の少女がかたくなに流されず、家族を守るために小さくも凄惨な社会と闘っていく。映画を観るよりもその構図に思いを馳せると背筋が凍ります。
  • いやいや、映画を観るよりもなんて言うと映像表現を真っ向から全否定してるみたいですけど、本作は映像によるただの媒体的な“再現”ではなくちゃんと“表現”に特化できてるんですよね。半径十数メートル程度という少女の視野でのみ映すことによって、彼女のいる社会の全体像を非常につかみづらいものにしています。その不安感にだけは引き込まれずにいられない。視覚的にだけではなく、言葉によってもたらされる情報も曖昧で虫食いだらけです。最後のティアドロップの台詞なんかかっこいいですよね。渋いといえば渋いですし、取りようによってはミステリアスとも言える小説チックな調子が、ある意味非常にオシャレで気のきいたエッセンスにもなっていたように思えます。
  • さすがにここで主演のジェニファー・ローレンスに触れないわけにはいかないですね。髪ほどいてるときのくるくるした栗毛が超キュート!とかそういうことはいいんですが、それが似合うかわいらしい顔立ちで「しかし山の女である!」と言わしめんばかりにめちゃくちゃ野性味あふれる表情と演技を見せてくれるんです。動きがアグレッシブなシーンとかはないんですけど、静かな野性味というやつでしょうか。少なくとも飼い猫には見えない。動物園のトラだって萎縮しますよ。最初はちょっと顔が綺麗すぎて先述したカルチャーショックの緩衝剤っぽくなっちゃってはいたんですが、中盤でボッコボコにされて鼻血だくだくをさらした後は終盤まで顔が腫れたままですからね。何も問題ありません(笑)
  • ティアドロップ役のジョン・ホークスもいいなぁ。しかしあんまり見たことない。かろうじてラッシュ・アワーとアイデンティティーを覚えていたくらいですね。彼がパブで張り込みをしたり車を割ったり警官と話したりするシーンは、ちょっと意図が呑み込めなかったので観直さなきゃなあと思うんですが、警官はつまり村の暗部を知ってるせいでビビったっていうあれがジョークじゃなくて本音。パブでの一件は後で独断に出るメラブを暗にせっついた(事を荒立てて焦らせた)という伏線になっている、というあたりが真相でしょうか。ドラッグという言葉が出てくるとそこそこアメリカ味が出てきて現実感を覚えられるようです。

【映画録14-B】につづきます。

余談

ところでウィンターズ・ボーンから、
あまり本筋とは関係ないっていうかほぼ自分のことなのでこの余白に書きますけど、

自分の倫理観の根幹近くへ根ざすものに真っ向から反発するものって
どうやら“死体損壊”のようだぞ、と本作を観て気づきましてね。

単に死体が傷つくことではなく、人為的で作為的な損壊を与える場合に限るようではあります。
特に、すでに眠っている遺体を後になってどうこうすることほど、反発が強いようです。

そりゃ“損傷の激しい遺体”とか“生きたまま切断”とかも見てて平気なわけはないんですけど、それはなんていうか“恐怖”とか“逃避”とかいう反射が何よりも先にあるんですよ。

対して“死体損壊”は、似たような忌避感を通り越して憤りが先に出張ってくる。

我がことのように、というやつなんでしょうか。
ちょっと不思議なのは、数行前に同じようなことを書きましたけど、
これは、死体になってしばらくたってから手が加えられる場合のみの感傷で、
死体になる過程でボロボロになったりするのとはまた全然別なんですよね。

ミンチにはなりたくないですけど、
生きたままミンチにされるよりも、
死んでからミンチにされる方がより冒涜的な気がしてしまう。

祟りとか呪いとかを疑い切れない性分なだけかもしれませんが、
死者を辱めることは、その人にとって最大級の拷問に匹敵するとも思えるのです。
つまり、仮に損壊する側に回ったとき、ぼくの中ではその動機として機能してしまう。
まあ祟りや呪いが怖いだけなら、前述した忌避感止まりということになるんでしょうけどね。

明らかに無意識にそう判断しているだけなんですが、
これも一種の死生観みたいなもんなんでしょうか。

変なところで信心深いのは昔っからですけど、
何か幼児期に印象に残る体験があったのかもしれません。

でも『スペル』の終盤とかは普通に爆笑します。
なんなんでしょうね、いったい…(’x’;)

まあ、正しい倫理として根差したものである分にはいいことなんでしょうけどね。
強く実感できたのが珍しかったもので、少々長い余談になりました。