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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2013,12,3 PM6 【映画録14-B『劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME』】

本日のお品書き

【映画録14-B】

【映画録14-A】

【映画録14-A】のつづきです。

case.728の映画録は、ネタバレは「もしもあったらごめんなさい」でお送り致します。
(最近わりとネタバレ路線な気がします…)

12月3日『劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME』


  • 自分の記憶の中で2クールを非常にうまく使ってきれいにまとまっているいい作品はと聞かれて一二を争って出てくるのが花いろなんですよね。キャラももちろん好きなんですけど、老若男女入り乱れた群像劇がやはり心地いい。青春モノというと少年少女たちに焦点が当たりがちですが、花いろはもう一つ、仕事場でかつ旅館という魅力的で稀有なコミュニティのお話なんですね。その劇場版ができるという話を聞いたときは、そりゃあ欣喜雀躍の体でしたとも(残念ながら劇場では観られなかったんですが)。
  • 時系列的にはTVシリーズの第23話「夢のおとしまえ」の前あたりでしょうか。結奈さんがすでに女将志望ですし、エニシングとコンサル崇子が婚約しています。皐月さんと緒花の和解もまだのようでしたし。ていうか本作のエピソードはそのための伏線として見ても支障ないものかと思われます。
  • そう、本作は皐月さんの青春時代のお話。と一概に言うわけでもありませんが、その一端に触れたことと、菜子に関わるとある事件とを通して、緒花がまた一つ、母親・皐月へと歩み寄り成長する、物語の1ページ。ちなみに予告編では結奈がちょっと持ちあげられ気味でしたが彼女は脇役です。いや、結奈姫成分はお腹いっぱい食べられるんですけど。ハイスペックだとは思ってましたがまさかチートキャラだったなんて……。
  • 話のスケール自体はTVシリーズとそんなに変わらず、2話分ってところです(上映時間も)。確かに皐月さんが緒花くらいだった頃に緒花の父親と出会って喜翆荘を飛び出すまでのエピソードが核ではあるのですが、そっちに大きく尺を取られているわけではありません。なにしろその部分は、緒花が豆じいの古い業務日誌を見つけて、端的にしか書かれていない断片的な情報から彼女が類推できる分を、回想に似た形式でちょっとだけ補完しながら描くだけですから。


  • 皐月さんの出会いと恋の始まりと、同時に夢を見つけたことと、当時のお母様・スイさんとの確執。それがだいたい全体三分の一くらいにギュッと凝縮されていて、しかもその後の経緯(皐月さんが東京へ行ってからどうやって緒花父親をゲットしたかなど)はご想像におまかせ。まとめられている箇所も全体の中盤です。緒花が「母親にも今の自分と同じように悩み苦しみ恋をした時代があった」と実感することに本作の本題がありますから当然と言えば当然ですが、ここに見える脚本のバランス感覚が単純に上品で綺麗だなとも思いましたね。
  • やろうと思えばできたはずなんです。緒花が序盤で日誌を見つけてから、時系列が完全に過去へ飛んで、セーラー服の皐月さんとカメラマンの父との惚れた晴れたを終盤までかけてひととおりって。そうしておいた方がよかったという人もいるかもしれませんが、僕はこのオシャレな感じこそが好きです。いや何より、もはや過去となって結果も提示されたストーリーよりも、それはただ介するものとしておいて、今を生きる緒花たちを描くべきであるという姿勢は、ただのエンタメとしても尊敬に値する考え方ではないかと。
  • ていうかもう、弱いんですね、自分は。母と子なんですけど、お互いに苦労のある少しいびつな関係。結局本作の行き着くところ、描き出したところの一つもこの構図だったわけですよ。
  • 本作は上述のあらすじの通り、菜子に関してちょっと事件が起こるおかげで菜子にも少し焦点が当たります。「人魚と貝殻ブラ」のときとはまた少し違った当たり方でして、両親共働きの家庭で弟妹から一人歳の離れた姉として、まだ大人に甘えられる環境にありながら親の代わりを務め果たそうとする、ある種の長男長女にありがちな板挟みの様相が描かれています。その苦労の様子に緒花は自分を重ねたりするのですが、一人っ子である彼女と菜子とではまた我慢の方向性が微妙に異なるんですよね。どちらかといえば菜子の妹の心理に同調したりして。

  • もしかしたら緒花は、こんな姉が自分にいたら、もしくは皐月さんがこんな母親だったらよかったのにと、あのデパートの屋上で思ったのかもしれません。しかし、歳も近くて人の娘である菜子の苦労は自分とも重なるところがあるわけで、つまりその苦労の半分がわかるだけに、縋りつきたくなる気持ちがやるせない。いっそ菜子が泣いてくれればいいのに、しかし菜子のもう半分は、緒花の前で理想の母親の姿そのままを保ち続けます。そう、自分の理想。それが縋りつけないところにあって、実のところまやかしだと分かっていて、けれどそのまやかしは健気で、本来あるべきところにはなくって。そんな現実をつきつけられたら、せめて代わりに泣くしかないじゃない。そんな素直な緒花が切なくて愛おしい終盤です。
  • けれど、緒花は大人に変わっていった母親の面影に触れたばかりでもあったのです。その“本来あるべきところ”もまた、今の自分から遠く無縁のものであるとは思えなくなっていたかもしれません。自分もいつかその場所に立つんだ。母親もかつてはここに立っていたんだ。“縋りつけないところ”と“本来あるべきところ”が実は同じだったとすればこれほど切ないことも他にないでしょう。またそれに気づいていなかった自分が恥ずかしかったりもして頭がごちゃごちゃになる。緒花がそこまで完璧に気付けたかどうかはわかりませんが、無意識に手をかけていたようには思うのです。
  • 本作は残念ながらTVシリーズを未視聴の人に勧められるような作品ではありません。なぜなら緒花たちはゴールを迎えるわけではない。しかし、その軌跡の輝くひとかけらとしてあるには、この物語が終わりも始まりも“途中”でなくては意味がないのです。かつて緒花の父親がセーラー服の皐月に言ったとおり、悩み葛藤する過程もまたとても輝いているのです。
  • HOME SWEET HOME。本作だけで緒花はそこに辿り着けない。けれど、皐月さんは一度緒花を連れて帰ってきて、母親・スイさんの輝きにようやく辿り着きます。その説得力は、脚本が緒花を代わりに描くことで満たしてくれている。皐月さんを直接描く尺は本当に短いのだけれど、それでも彼女が作品の核にい続けてぶれないのは、本作の脚本の妙であり、また母と子という構図の持つある種の魔力ではないかと一つ痛感させられた次第であります。
  • まあさすがに緒花が好きすぎてかなり補正がかかってるのかもしれませんけどね。TVシリーズの話をしてしまって恐縮ですけど、初期の緒花はホンッットに可愛くなかったですからねえ。女子成分的にはみんちとなこちいなかったらどうなっていたことか、と思いつつも緒花のアホの子変な子っぷりに笑わせてもらいながら見続けていた記憶があります。ほぼワンクール分その調子で、しかし2クール目突入間近に来てあの「じゃあな」ですよ。まさに青天の霹靂。あの緒花が、なんと、泣いたんです。あれで、完全にやられましたね。健気とか我慢強いとかとは全く別の方向性で、この平和ボケした能天気が泣くことなんて絶対にあり得ないんじゃなかろうかと思っていた人物がですよ、現実に打ちのめされて、泣きべそをかいた。わりとアホの子っていうのはある意味人間離れしたところがありますけど、それが長く続いたところへ突然人間くさいところをドカーンと見せつけらたことで、なんだこの子も実は我慢してたんじゃないか、と気づかされた時の衝撃たるやもう、もう、もうですよ。同じ現象が『魔女と百騎兵』のメタリカ様でもありましたね。ああいうのでくらりとこない方がどうかしてるんじゃないかってくらいにはもう、もう。
  • いけない。感極まって結局何が言いたかったのかわからなくなってしまいました。いやー、緒花ってやっぱり変な子だなぁー。