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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2013,12,7 AM4 【ToDoリスト、あるいはネタ帳のススメ】

創作 徒然

先日、局長氏のはてなブログエントリ「アナログで読書記録をつけるために京大式カードを使ってみた。」に次のようなコメントを残したのですが、

エントリからの引用>アイディアを(略)自分也にアウトプットしてまとめあげる。
一度整然とアウトプット=吐き出してしまうことで、頭の中に余裕ができてくるんだとも思う。
アマチュアの僕が言うのも何だが、文芸作品を考えるときも、そういえば似たようなことをしてきた。思いついた作品のことを大学ノートに解説調で仮アウトプットしてから、二次・三次の変化を待つんだ。
それをちゃんとやったときの方がいいものを作れてきた覚えがある。ネタを書きだしてしまうとそれで満足してしまうからネタ帳は作らないと言う人がしばしばいるが、僕はむしろそうして自分を一旦満足させることでリラックスした方が、その次の段階、一つ上のレベルへ進みやすいんじゃないかと思って、実践しているかたちだ。これも“思考を整理する”ことの効能ではないだろうか。


エントリの内容自体は、書評ブログを書いている局長氏が読書記録を効率的につけるために、「京大式カード」を購入してみたというお話。

そこから外山滋比古先生著の『思考の整理学』を引き合いにして、
「新しいアイデアを得るにはただ情報を集めているだけではだめで、それを自分也にアウトプットしてさらにまとめあげることが大事なのだ」
という彼なりの意見で締めくくっていました。

この意見へほぼ全面同意した上というかたちで、さらに自分の専門分野である創作活動に視野を向けた上述のコメントを残してきたのですけれど、
その中で言った「ネタ帳を作る」という創作活動的な行為は、ほぼそのまんま日常生活にも逆輸入できてしまうんじゃないかと思い直しまして、

試しに、世に言うToDoリストなるものを自分も作ってみました。


今までも一応、予定ややりたいこととかをメモパッドに書いたものをコルクボードに貼ったりはしていたんですが、

それはパッと目にはつきやすいものの、書いて貼る作業が妙にまどろっこしく、
おまけにコルクボードの上を整理するのに労力を持っていかれてしまう。

スケジュール帳は具体的な時間の使い方を書くものですし、時間本位の書き方では、やりたいこと・やるべきことを思いついた端から書き込んでいく、ということがスムーズにやりづらいです。特に、“いつでもいいこと”の扱いに非常に困ります。


やはり形式を自分で自由に決められるアナログのノートがいい。

以前はスマホのスケジュール帳にあるToDoリスト機能を使おうとしたこともありましたが、予定の呼び出しとフリック入力の鬱陶しさからやめてしまいました。
正直閲覧のしやすさと書き込みの手軽さでアナログに勝るものはいまだにあり得なかったというわけです。



で、今まで気がつかなかったんですけど、
自分はいわゆるToDoというやつを実際頭の中だけで整理していて、記憶だけが頼りだったんですね。
そうすると、覚えていなくてはならないっていう強迫観念じみたものが無意識下にできてきて、特に忘れてはいけない重要なものほど大きくなる。

それとは別に、期限が迫ってきて焦らざるを得ないようなものが出てくれば、もちろんそっちに意識が行くんですけど、
他のToDoを忘れないために、いくらかそっちへも意識を回すことを要求してくるわけです、無意識が。

さらに、重要なことでなくても、些末事は些末事で数で押してきます。

その結果、自分の意識は引っ張りダコで、当然意識にもキャパシティはありますから、
そんな状況のままだと遠からずパンクします。
頭の中だけでToDoを管理しようとすると、自然とそのくらいの負荷がかかってくるものなのです。

負荷の英訳はもちろん、ストレスですよね。



では、このストレスを取り除くにはどうすればいいか。

その答えがToDoリスト。

急に思いついた“やりたいこと”、“やるべきこと”
全部そのリストに書き出してしまえば、少なくとも「覚えていなくてはならない」「意識していないと忘れてしまう」という強迫観念からは逃げられるはずなんです。

言ってしまえば、そこに外部記憶装置的な役割を見出したわけですね。



ちなみに、リストを書きつけるノートの名前は「スッキリノート」としました。
中には、ToDoを書き込んだ日付と内容を並べて箇条書きにし、それぞれのすぐ横に完遂した日付と時刻と、さらに完遂したことを示すためのチェック欄を設けています。

これは、上の仮説をさらに広げ、“やりたいこと・やるべきこと”が“終わったかどうか”も外部記憶化してしまうための工夫。
さらに、チェック欄が埋まっていくことで、パッと見たときに自分がどれだけ有意義に過ごせているかを読み取ることができるでしょう。
もちろん、チェック欄が空欄だらけな場合は焦りますし、書き込んだ日付と完遂日があまりにも離れていると、サボっていた決定的な証拠となってしまいます。


とりあえずそのスッキリノートを作ってみて、今日を振り返ると、
たとえばお風呂に入っているときなんか、日頃から今日はアレが終わらなかった、明日はアレをしなくてはならないとぐるぐる考えてしまってほとんどリラックスできない性分だったのですが、
どうやら今まで日課にしてきたそれは自分の中の記憶の整理作業だったようで、
「まあ後でノートを見てみればいいか」と考えるようになった途端、かなり気が楽になったように思います。

これだけでももう充分、上述の仮説の証明と言えるでしょう。



で、そこからまた話を少し戻してです、

そもそも眠つけないのが何よりの理由で書き始めた今日のこの記事は、
久方ぶりの[創作]カテゴリに入っているわけですが、

かつて一度、サークルのある後輩に、ネタ帳を付けることの効能について自分なりの肯定意見を説いてみたことがあります。

つまり、ネタ帳を自分の外部記憶装置兼、端末と考えて、自分の脳にある別のアイディアと絡ませるために、並行処理の真似事にみたいなことができる、という考えです。
アイディアを進化させるには、そこに新たなアイディアを組み込む必要がありますが、
それを効率よく行いたかったら、一次的なアイディアを“思い出す”というプロセスを省くべきではないか、という意味でもあります。

しかし、今日のこのToDoリストの話をネタ帳に置き換えれば、
やはり一度書き出すことで、自分の記憶と意識を満足させることができるわけですから、
その後のブラッシュアップや製作において、無意識下での精神的ストレスを軽減しながら作業ができるはずだ、と付け加えなくてはいけませんね。


ただ、ぼくの想像が及ぶ範囲でこれに反駁するケースがあるとすれば、
その「意識しなければ忘れてしまう」という強迫観念が作品を製作する意欲となっている場合があるかもしれません。

しかしこれについてはですよ、
地力が備わっていて、アドリブでいいものが書けて、それで満足できる人ならいいですが、
そうでない人は、たいていアドリブで書いて出来上がるものなんて推して知るべしという出来にしかならないはずなのです。
そうでなくても、後々見返したときに直したいところが出てくるのが必定。
物書きには概ね、あるタイミングで自作がただの吐しゃ物にしか見えなくなる機能が備わっているといいます。

一度アウトプットすることで、
この吐しゃ物と向き合って、どうすればより良いものになるかを考える機会が得られるわけですが、
ネタ帳で満足してしまえるということは、この吐き溜めから鶴を生み出すプロセスについて、ネタ帳で充分代替が利くということなんじゃないでしょうか。


ていうか、ぼくがそうです。

あんまりやりすぎて、長編が頓挫と改稿をくり返したりはしているんですけど、
それだけに、着実に煮詰まっていく実感を持ちながら創作することができている。

アイディアは一度寝かせた方がいいと言いますが、
頭の中で寝かせとくこともありません。スペースは取りますし、歩くとき踏まないように気を使います。

さっさと適当な紙やノートに書き出して、スッキリと身軽になってしまいましょう。
こと創作において、新たなステージへとたどり着く鍵は、がむしゃらな努力よりも、むしろ心の余裕にこそあるのかもしれません、と思いながら自分も目下模索中の身です^^;