読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

映画録57『マラヴィータ』

映画

会場が高校だからということもあったかもしれませんが、それにしてもこれが上級かというくらい全体の雰囲気が雑然としてて軽くめまいがしましたよ。

記述試験だけの場でスーツにネクタイは絶対浮く(ていうか気温を考慮できないのは判断力が疑われる)だろうと踏んで長袖開襟とスラックスのみ、暑ければ腕まくりもしてやろうと臨みましたが、それでも浮き気味だったという始末。

いくら学生が多いからといっても企業就活だってそうなのに、あのギャップはどうしたことか……。

 

 

※case.728の映画録は、5段落前後でまとめる既観賞者向けの参考記事を目指しています。ネタバレ・解説記事ではありませんが、物語の中核には触れているので未観賞の方はご注意ください。

 

6月21日 マラヴィータ

f:id:nanatsuhachi:20140624164330j:plain

「今日はどうだった?」「……順調」

 

1.リベ×スコは相乗?相殺?

 

リベソンが監督でスコセッシが総指揮!?

デニーロにファイファーに宇宙人ジョーンズ!?

キャストもスタッフも笑えるくらい豪華な上に、やはりスコセッシとベッソンがタッグで手掛けた作品とあってはダイソンの前のゴム風船みたいに吸い付いていかざるをえなかった次第です。

内容もマフィアがらみで、組織に追われてる元マフィア家族が刺客を返り討ちに~、ってお二人とも得意そう!

 

そんな感じで期待を膨らませてレンタルしてきたわけですが、なんというか、終盤前まで三谷幸喜が脚本を書いて終盤だけ小手先に頼らないドラマが専門の脚本家に急遽パスしたかのような締まらない作品でした

全体で見ると概ね期待どおりで悪くないのですが、それであの物足りないクライマックスに「期待しすぎた」と自省してしまうのは、ちょっと無理あるよなあ……(´-`;)

 

 

2.あらすじ ~元マフィア一家は追われる日々~

 

 初老の夫婦におよそ16と14の娘と息子が一人ずつ。その四人一家の“今度の姓”は「ブレイク」らしい。

引っ越し先はノルマンディーのド田舎。家長の身分はアメリカ人の作家。

これらはすべて偽装だ。家長の本名ジョヴァンニ・マンゾーニ(ロバート・デ・ニーロ)は自分がボスをしていた反社会組織をFBIに売り払い、その証人保護プログラムの下でマフィアたちから逃げ回っていたのだ。

 

MIBFBI捜査官スタンスフィールド(トミー・リー・ジョーンズ)の助言に則って田舎町に溶け込もうとする「ブレイク」一家。しかし身にしみついた習性やら生来の気質やらのせいで、四人はそれぞれどうにもうまくいかない。ていうか揃ってメチャメチャ。

スーパーマーケットはガスで吹っ飛ばすし、配管工はバットで12か所複雑骨折させる。誰彼かまわず脅迫するし、バッグを盗まれたら取り返す前にマウントポジションで半殺し。等々。

都会からこんな田舎に引っ越してきたというだけでも目立つのに、四人は銘々悪目立ちしまくり。

こんな一家じゃ追っ手に見つかるのも時間の問題だったが、思いがけない不運によってその時はさらに早まることとなった……。

 

 

f:id:nanatsuhachi:20140624164323j:plain

3.カタギになりたいのにハジキが持てるか!

 

先に、人によって期待の持ち方でかなり印象の変わってくる作品だとは思います。

少なくとも観賞前もしくは観賞中に、「カタギになろうと彼らなりにそれぞれ頑張っていた一家が刺客の前で吹っ切れたようにドンパチしてくれるクライマックスに違いない」という類の期待をしてしまうと、僕のように物足りなさに悶々とせざるを得なくなることでしょう。僕としては、そういう期待をしない方が難しいという見解なのですが。

 

本作はそういうある意味下品な痛快娯楽作に見えても、おそらく本質は《カタギになりたがるヤクザ者たちの宿命》といったところに置こうとしたんじゃないかと思います。

銃撃戦を派手にしないことで家族一人一人の表情に観客の焦点を絞らせ、殺されたくはないという必死さとそのために銃を握る戸惑いや怖れを読み取らせる。とか。

夫婦にはあえて銃を使わせないことで、マフィアとして生きてきた今までの人生を否定し新たな生き方を望むように示唆する。とか。

いろいろ好意的に解釈はできますし、下地の部分ではやはり「普通の暮らしがしたい!」という渇望が全体を通して見えてはいるのですが、終盤にて唐突に表だって辛気臭くなられても手遅れ感が大きい。

 

クライマックスそのものが印象に残れば深い考察もしたくなるのですが、そういう牽引力まで放棄して本質をむき出しにし始めてしまう本作。

《はみだし者の業》なんかは確かにリベソンもスコセッシも好きそうなテーマですけど、ともすれば終盤にて投げ出したかにも見える保守的な脚本となってしまったのにはやはり残念な印象を抱きます。

ていうかクライム・コメディって言ってるじゃん!

 

  

f:id:nanatsuhachi:20140624164327j:plain

4.※血は争えません

 

そんな終盤を別にすれば、僕の下品な期待が裏切られることはそうなかったと言っていいでしょう。

 

デニーロが演じる元マフィアのボス・マンゾーニは、やはり組織をまとめていただけあって家族思いで頭はいいけどこらえ性がなさすぎる癇癪オヤジ。

知的で平和な暮らしがしたいとぼやきながら自分を変えられない上に、心の隅では過去の栄光も捨てがたく思っている。そもそもマフィア仕込みの暴力性と強欲さが自尊心の根源なので、情けなくてもどうしようもない。

 

ファイファー演じるミセス・マギーは今までの人生に罪悪感タラタラで、街に溶け込む努力も一番してるけど、頭に血が上ると報復をいとわないクレイジーマダム。だから僕は貴女の二丁小銃とかが見たかったって言ってんのに歳を取って凄味が増した演技はとにかく濃いデニーロのそばにいても食われるにあたわず。

教会に通ったりバーベキューパーティに街の住人を呼んだりと、わりと涙ぐましい姿が多いです。息子のウォレンが汚い言葉を使うのをたしなめたり、娘の恋を応援したりと、母親としてもよくあろうとします。スーパーの件はアレですが、それでも報われなくて一番かわいそうな人。情けない親父に結局LOVEなあたりも憂いを誘います。

だからせめてあのクソ神父には一矢報いてほしかった。いや彼女が直接やっちゃうとそれはそれでダメな気がしますが、そういうところを脚本がちゃんと(ブツブツ。

 

f:id:nanatsuhachi:20140624164328j:plain

f:id:nanatsuhachi:20140624164324j:plain

 

そして何より痛快なのは、この二人の気質を足して二で割って綺麗に分け合ったような性格の子供たち二人ですね。

 

姉のベル(ディアナ・アグロン)は知的でおしとやかな金髪ビューティ。

ちょっと純真なところがあってナンパされてホイホイついていっちゃって家まで送ってもらうだけのはずが湖畔の公園みたいなところに連れてこられて遊びたがる男の子たちは気取って下心を隠そうともしないのでカチンと来て股間を蹴り上げてテニスラケットで折れるまでボッコボコに。

もちろん真っ当な理由のない暴力は振るいませんし男女平等ですし、惚れたオトコには全部捧げちゃうデレデレぶり。そして振られると泣きながら電話口で「あなたのところに行く」とか言いながら高い建物の屋上に立っちゃうハイパー純真乙女なのです。

 

f:id:nanatsuhachi:20140624164329j:plain

 

一方、弟ウォレン(ジョン・デレオ)は体格にこそ恵まれていないものの、飛び抜けた度胸と打たれ強さと冴えた頭脳の持ち主。

転校してものの数日で学校中の情報を収集し人に取り入り人脈を形成し軍団を組織し、不良グループの洗礼は受けたフリをして必ず多勢で報復を与える。その才覚はまるでマフィアになるために生まれてきたかのよう。

加えて文書偽装スキルはすでにプロ並みでパスポートまで自作できるハイスペック14歳です。

 

この姉弟の構図にはなんとなくスパイキッズを思い出します。使い古されたものではあっても、僕が見たかったものはコレだ、という感じがしました。

一応登場人物のキャラと彼らの痛快な日々を見るだけで、満足できる人はできるかもしれません。

 

f:id:nanatsuhachi:20140624164326j:plain

 

5.持ち替えども暗夜行路

 

ところでタイトル『マラヴィータ』は、仏語の原題通りですが、意味は イタリア語で「暗黒街」とか「アンダーグラウンド」。

また本作は米仏合作なので英語題があるのですが、そっちは『The Family』。

この二つの原題を合わせると、要するに暗黒街育ちの家族を描いたものという意味に取れて、その宿命を描かんとしたという解釈はそれなりに当たっているような気がしてきます。

 

終盤で娘と息子の二人はそれぞれの思惑に沿って今の生活から《逃亡》しようとするのですが、結局家族のために戻ってきて銃を手に取る羽目になります。

そしてラストは四人で車に乗って街灯のない長い道のりを登っていくのですが、その先に待ち構えている果てしない夜闇はこの一家の未来についてのあからさまな暗示と取れるでしょう。

 

自伝を書いていたマンゾーニは、再び氏名が変わるので自伝を書き直さなくてはいけないと冗談めかして語りますが、一度刺客をやっつけただけではまた新たな刺客が追ってくるでしょうから、彼が自伝を書き上げる日はきっと来ないのだともわかります。

《書き出すこと》は《吐き出すこと》――というのは私見ですが、マンゾーニはマフィアの現役時代を紙に書き出すことで、未来の自分から切り離そうとしていたとも取れる。だとすれば、彼が自伝を書き上げられないということは、つまりはそういうことでもあるということなのでしょう。

全編通して彼は自伝を書き続けていますから、こう解釈すると脱力させられるような、ややショッキングなエンディングです。