映画録60『Calling』
ハッピーエンドが苦手な人には二種類ある。安易な成り行きによるハッピーエンドが嫌いな人と、ハッピーエンドだから安直に見える人。
好きずきはいいんですが、往々にして後者の人が思い描くバッドエンドはその人自身が思っているほど面白くない、っていうのが持論というか、自分にも跳ね返ってくる話でして。客観的には安易なハッピーエンドの方がまだマシなくらい、はっきり言って面白くない。それはおそらく、バッドエンド特有の“毒”じみた面白味を感じたいという願望が先に出ているだけだからでしょう。要するに自慰なわけです。*1
つまり僕もそういう“毒”が好きではあるんですけどね。“毒”という表現はやなせたかしさんが刺激ばかり求める昨今の風潮を批判(かどうかは人によるでしょうが)するのに用いたものです。その上でやなせさん自身も認めていたとおり、人間はわりと“毒”が大好き。でもたとえさびれたチェーンのジャンクフード屋でも、カバンからコンビニのポテチを出して開けたりはしないものです。
人目があるからや怒られるからではありませんよ?人はネットにいるとそういうことがわかんなくなりがちみたいですけど。*2
……長くなりましたが以下とはあんまり関係がないいつもの雑記。いややっぱりちょっとあります(^^;)
※case.728の映画録は、5段落前後でまとめる既観賞者向けの参考記事を目指しています。ネタバレ・解説記事ではありませんが、物語の中核には触れているので未観賞の方はご注意ください。
6月30日 Calling
「(knocked)」
1.抒情的な邦画を求めて
狙ったような印象的な風景の映像と音楽と、はかなくてささやかな人間模様とのコントラスト。そういう狙いすぎたようなのを観たいときがあります。決して軽くはないようなもの、であればなお嬉しい。そういうのってある意味露骨な才覚の発揮だったりすると思うんです。
本作はそんな映像観へいっそうコンパクトに複雑な妙味が詰め込まれてあって、同監督作の中ではかなり好きな部類。しっかりしていながら主張しすぎないメッセージ性と素朴でつかみどころのはっきりした映像と、全般的な自制とにとても好感が持てました。
2.あらすじ ~都会の片隅で~
ある都会にワーキングプアの若い夫と、心を病んでしまった妻がいました。
清掃の仕事でなんとかその日暮らしをしながら、夫は心を閉ざした幼い子供のようになってしまった妻を支え続けます。
妻の親族の援助も断り、懇意にしてくれている学生時代の先輩からのいい話も断り、好きだった絵筆を捨てながらも、彼は妻にもう一度笑ってほしくて彼女のそばにいつづけるのでした……。
3.“殴らない”というファンタジーも捨てて
外野が多くを語る必要のある映画ではありません。
夫は夫なりのやり方で自閉した妻のために尽くす。やりがいのある仕事も夢もなくした彼にはもはや妻しかない。自殺念慮のある描写などからもそういった構図は充分にうかがい知れます。
わかりやすすぎるという意見もあるかもしれませんが、可能な限り台詞を(ここでは音楽も)排して映像だけで見せているだけに易々しさはうかがえません。俳優さんもかなりいいですね。何に似ているのかと思ったらダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』や『ある子供』を彷彿とさせられたようです。
妻の病み方も表面的には凄まじいわけではありません。急に泣き叫んだり自殺未遂をくり返したりするわけではないですし、どうして心を病んだのかを象徴する行動もそう多くはありません。
しかし、彼女の日常的な異常行動には食べものに絡んだものが多く出てきます。わざとらしく茶碗の中身を床にこぼしたり、ピチャピチャと醜い音を立てながら素手でツナ缶をむさぼったり(このシーンはクチャラー嫌いの僕にはかなりきつかったです…)。ワーキングプアの夫にとって日々の食事は流した血と汗のすべてであると言っても過言ではありません。設定との組み合わせによって地味な描写でも夫の献身の大きさを十分すぎるほど表現しています。
4.道化師の夢
最終的にこの夫にどれだけ好感が持てるか、共感できるかがキモではあります。映画としてもそれを客に“させられるか”が同様でしょう。
後半、一つの小さな“奇跡”を見て、夫は初めてはしゃいだ顔を見せます。そしてその“奇跡”を再びと、あるいはもはや奇跡でないものにせんとして、思いつく限りのあらゆることを試し始めるのです。
彼の思いつくこと自体はそう派手でもなくむしろ馬鹿馬鹿しいだけのしょっぱいものばかりですが、むしろそのおかげでバカな男なりに死にものぐるいで努力しているのが伝わってくきます。やはり台詞がないのがここでも必死さを際立てていますね。
プライド(人間としての尊厳と言い替えることもできますが)にこだわって妻の両親の援助を断ったり、気のある女の子から目を背けたり、といった行動も、見る人によっては夫をただの愚か者と感じるでしょう。その嫌悪に終始してしまうならそれまでですが、夫はそういう愚か者という固定のステータスを背負って病んだ妻と自らの不遇に立ち向かわなければならない、というのがこの作品の中の現実です。
持てるだけのものしか持てない中で燃え尽きるほど全力を尽くす姿に僕は必ず好感を持ちます。短編というコンパクトさを利用してそれを無理なく演出してみせてるのがまた素晴らしい点ですね。
5.実は同い年なんです。
この機に中川監督の作品をいくつか観てみました。ちなみに本作『Calling』のレンタルDVDにも短編がいくつか収録されていてお得です。
するとどうやら本作の良さは設定の際立たせ方の他に、やはり台詞を極限に排していることだったように思います。他の作品の台詞回しがちょっとというのもありますが、かなり印象的な音楽と風景映像を多用するだけに、台詞まで印象的になると人物が悪目立ちするようです。他の作品でも台詞のないシーンが一番ぐっときたりします。
映画とそれほど繋がりのない地方にいますしレンタルもTSUTAYAさんにお世話になっていますから、実のところインディーズの映画には日頃あんまり縁がありません。観ようと思えばYouTubeあたりで検索すれば出てくるのでしょうが、ネットで動画巡りをしていると時間の浪費という強迫観念じみたものが働くので避けてしまっています。学生の映画グランプリなども普段あまり気にかける余裕がない方。
かといって、セミプロで頑張っている方々の作品にまるで興味がないわけではありません。
中川監督は感覚的にはセミプロより一つ上がってプロ新鋭というべきでしょうか。Tokyo New Cinemaというインディペンデント映画団体を自ら設立して海外の映画祭などにもご自分の作品を出品されているようです。
本作『Calling』はその中で初めてDVDとして国内でリリースされた作品。TSUTAYAレンタルにもしっかり配給がありました。実はそれを見かけた時点ではやはり中川監督の名前は知らなかったのですが、1段落目に書いたような作品の匂いがしたのでご縁となったわけです。
DVD化二作目の『雨粒の小さな歴史』もTSUTAYAにあるみたいですね。個人的には本作『Calling』の路線が好きなのですが、こちらはどうでしょう。またしばらくしたら観てみようと思います。
中川監督は詩人でもあります。