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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

映画録61『レクイエム・フォー・ドリーム』

他人に自分の厭世押しつけて自分を卑下させるよう上から目線を強いる若者に、どう接すればいいのかわからない!めんどくせえ!

 

今日の刹那的マイブームは米米CLUB。昔懐かしポンキッキーズで流れてた『Child's days memory』の歌詞を今ちゃんと見直すと、「よくこんなの子供時代に聞いてたなあ」と驚きます。

でもホントは大人になってからの方がいろんな価値観を知っていろんなものが見えるようになりますよね。っていうのは情報化が進んだ現代になってからの話なのかしら。むしろ視野狭窄の方が子供じみてて悪目立ち。してると思うのも僕が運よくいい出会いをしてきただけのことなのか?

若いというのはしかし一旦狭まっていくことなのかもしれない。若さは時に致命的だが、若狭は永劫に地名である。リアス式海岸からも開けた海が望める。

 

 

※case.728の映画録は、5段落前後でまとめる既観賞者向けの参考記事を目指しています。ネタバレ・解説記事ではありませんが、物語の中核には触れているので未観賞の方はご注意ください。

 

7月4日 レクイエム・フォー・ドリーム

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「輝かしい明日が来るのよ」

 

1.こんなの戦争じゃないわ!ただの虐殺よ!

 

2013年の『米サイト選出「人間不信になる映画25本」』に選ばれ、2010年の『「気がめいる陰うつな映画」30本 英誌が選出 』では堂々一位を飾った本作。

気が滅入ると聞いた映画を観て気が滅入らなかったことのない僕ですが(どんな自慢だ)、さてさてこいつはどんなものかなと未見だったので手を出してみたわけですが(どんな余裕だ)、いや、その・・・・・・轟沈しました。ものの見事に。

寝ちゃったわけじゃないですよ、ええ。眠れなくなりましたからね(にこにこ)。

もうここを読む前にとにかく観てくれと“※既観賞者向けの記事を目指しています”といつも自分で書いてるのも忘れて言いたいくらいすごかったです。ていうかひたすらつらい。

救いがない救いがないとは言いますが、これは『ファニーゲーム』と別種のもはや映画という名の暴力。めちゃくちゃ攻撃的。

人間が生きるのに失敗する悪趣味なファンタジーを観てるの方がまだマシだったくらいですね。

 

本作はドラッグの怖さを前面に押し出した中ではおそらく最高峰のアンチ・ドラッグ映画なのですが、何が真につらいって、薬物依存を掘り下げて人間本来の“依存”の話にも持っていってるんです。おかげさまで後に残る残る。思い返して滅入る滅入る。

観ている間がつらすぎる映画といえば『隣の家の少女』ですが、ストレートに他人事とは思えず尾を引くという意味では本作が最高級品です。

 

 

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2.あらすじ ~ただ一度きりの会話~

 

ハリー(ジャレッド・レト)は親不孝のヤク中だが、好きが高じてドラッグの売買に手を出しひと山当てた。その金でタクシーに乗り、母親に会いに行く。

年金暮らしの母親サラ(エレン・バースティン)は父も亡くしてひとりぼっち。テレビだけが彼女の生きがいだ。

だからハリーは今まで手を焼かせたお詫びに新品の大型テレビをプレゼントした。

母は飛び上がって喜んでくれた。恋人のマリオン(ジェニファー・コネリー)の話もした。彼女とはいずれヤクの稼ぎを元手にブティックを開く予定でいる。もちろんまっとうな仕事を見つけたと母には嘘をついたが、人を疑うことを知らない母は息子の更生ぶりを素直に祝った。

 

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母はこの数週で10キロもやせていた。ダイエット中だという。だがハリーは歯ぎしりを聞いた。

もしやダイエット・ピル(MDMA)を使ってはいないか?母は専門医にかかっているから大丈夫だと信じきっている様子だったが、MDMA*1は立派なドラッグだし、ハリーは「やせぐすり」と称して処方する医者がいると聞いたこともある。

今すぐ服用をやめるよう懇願するハリー。だが母は聞く耳持たない。どうしても痩せたい、痩せて父のお気に入りだった赤いドレスを着るのだと、母は夢を語った。

先週、母には電話があった。テレビ局の仲介業者から、とある番組に視聴者ゲストとして出演しないかというオファーの電話だった。

ハリーはすぐにイタズラだと見抜いたが、母はそれを信じようとしない。孤独な母にはテレビしかなかった。出演依頼の話を友達にして、ダイエットで目に見える結果を出して、自分で神輿に乗り、夢を見ていた。

ハリーはもはや黙って帰るしかなかった。自身も人にドラッグを売る身である以上、何も言えないような気がした。

帰りのタクシーの中で泣いて、泣きやむために彼はヘロインをキメる。

 

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3.ある人は「ドラッグを断つために刑務所に入れてください」と裁判で言った。

 

とにかくまずこの映画はドラッグの映画です。ドラッグの怖さを知る映画(ついでにインフォームド・コンセントの大切さも知れる)。少なくともこの映画を観てからドラッグに救いを求めようとは欠片も思わないはず。

特にアンチ・ドラッグ映画としてこの作品が凄まじいのは、四人の中毒患者それぞれに異なる破滅の形を与えることによって、これから手を出すかもしれない人の言い訳を徹底的に封じているという点です。

世に多くある“〇〇の危険性を訴える”もののほとんどは、捉える側の意向によっては躱されてしまうことがあるのは事実。どうしても手を出したい人というのは、「自分は~だから大丈夫」「タバコは煙を肺に入れなければ大丈夫*2」みたいなふうに小賢しく立ち回ってしまうものです。しかし本作は、並大抵の小賢しさでは抜け道を見つけられないまでにケースが揃いすぎている。

母親サラは医者が出してくれたものだから大丈夫だと思っていたクチ。ドラッグへの知識は皆無でした。

ドラッグのことをよく知っていたハリーや仕事仲間のタイロン(マーロン・ウェイアンズ)もまた、ドラッグから抜け出せませんでした。二人にはまっとうな夢があって、ハリーは依存症になることを恐れていた節があったし、タイロンは楽観的でしたがやめるときはちゃんとやめられそうな強い信念があった。でもダメだった。

マリオンはドラッグの入手経路をハリーに完全に依存していました。だから逆にハリーから手に入らないとなると自然に断ち切れるはずでした。でも結局彼女はドラッグのために、最愛の人も、自分の体も、ドラッグなんかより大切だと言えるはずのものをすべて自ら投げ打った。

清潔な注射器を使っていればハリーと同じようにはならないでしょうか?そこは狙い澄ましたかのように、タイロンとハリーが同様にヘロインを常用しています。注射は問題なかったタイロンは、刑務所の固いベッドで離脱症状にもだえ苦しみます。

唯一、“やせぐすり”と称して依存性の高いドラッグを処方する医者などは、現実にはまだ法整備の行き届いていなかった時代の話と片づけられかねないでしょうか。しかしたいした診断もせずに向精神薬を処方する精神科医などは未だ問題視されていると聞きます。

向精神薬自体の依存性は日進月歩で改良がなされているようですが、正確なことは劇中の母親の言葉を借りれば“アインシュタインじゃないからわからない”。アインシュタインは物理学者ですが、それを知らないことよりも、そうやって屁理屈に頼って「わからない」という問題を棚上げする人々はどんなに社会が高度化したところで減るわけではないでしょう。

疑心暗鬼でも首が回りません*3が、医者の言葉を鵜呑みにしてしまうのではインフォームド・コンセントの甲斐がない。ドラッグを槍玉に挙げるとその永遠ともいうべき課題までもが浮き彫りになってきます。

なぜなら“大丈夫だ”と感じる人間の安心はすべて、信頼と称されるものも含めた“依存”によって成り立っているからです。

 

 

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4.全部クスリのせいだと言ったな。あれは嘘だ。

 

ドラッグと依存の関係は、ヒヨコが先かニワトリが先かという問題を必ず孕みます。なぜなら酔っ払いと同じで、そこには人間の“正常な判断力”が介在すると言えないためです。

何かから逃げるためにドラッグに依存するのか、ドラッグを服用するために何かから逃げる立場であり続けようとするのか。

多くの人は初めてドラッグに手を出す際、「それを自分に許す」という手順を踏むのだそうです(例外はレイプドラッグなど)。そのとき“言い訳”として利用されるものに、人は概ねドラッグより先に“依存”しています。そしてドラッグの依存症は、その闇を引きずり出し、べらぼうに加速させるものです。

 

母親サラのようなケースはレイプドラッグ等の例外に近いのではないでしょうか?

いいえ、先にその発想を抱いた人はむしろ本作の一番深いところにハマったも同然なのかもしれません。

彼女はダイエット・ピルによる多幸感以外にも授かった多くの幸福に魅了されていた。そしてそれを失うことを恐れた。

問題は、おそらく彼女が息子ハリーと会話をした時点ではまだ「ダイエット・ピルを飲むためにダイエットをする」という機序にまでは至っていなかったと読み取れる点です。その兆候が少しもなかったとは言い切れないかもしれませんが、少なくとも主だった機序は「テレビに出演するというゴールに向かって邁進し、友人にもちやほやされる幸福と結果が伴われる達成感を味わい続けるために、ダイエットをする」であり、直接的にドラッグは介在していなかったと言えるのです。

要するに彼女はドラッグの作用(酩酊とか多幸感とか)ではなく、それを用いたダイエットの成功という結果に魅了されていた。息子の言うことを信じて薬を使わないダイエットに切り替えれば、食べたいものが食べられなくて苦しいし、今のように劇的な結果は出なくなる。愛する息子を信じることよりもそれを回避することを彼女自信が選んだ。

それがいかに彼女の生きる環境や精神状態から見て無理のないことであったにせよ、彼女をドラッグの依存症に追いやったのは、ドラッグそのものが持つ身体的依存性ではなく、“ダイエットの成功”に対する心の依存に他ならなかったわけです。

 

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ある意味似たようなことはハリーの恋人マリオンなどにも言えてしまいます。

実際ドラッグにハマる一般人の多くは、売人から直接買うのではなく友人や家族をその入手経路としていて、きっかけも仲のいい人に勧められたからというのが大半を占めるようです。

もちろん、勧める人間は「これは依存性が高くて使い続けると☓☓☓や〇〇〇のような症状が出て…」と詳しく説明することはありません。短くわかりやすく「ハイになれる」です。

しかし、この「ハイになれる」と「楽にやせられる」の間に果たしてどれほどの違いがあるでしょうか。

もちろん、マリオンの場合は“知らなかった”可能性は非常に低いです。しかし、友人や恋人に勧められてドラッグにハマる人の多くには、その関係を維持するためにドラッグを使い続ける人も多いのです。いつしかそれは「ドラッグを手に入れるための関係維持」にひっくり返りますが、それまではドラッグではなく人間関係こそが依存の対象なのです。

 

じゃあ何かに依存することが悪いのか、といえば、そうやって一概に言うことができないのが人間という生きもの。

むしろ幸福に生きている限り、人は何かに依存して生きているものです。自分なりに幸福に生きることに依存していると言い替えてもいいでしょう。

ただ一つの救いのようなものは、依存そのものは普遍的で当然のものであるから、ドラッグは非日常的なものとしてちゃんと忌避しましょうと言えることなのです。

 

 

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5.世に映画の鬼は多かれど…

 

ドラッグ以外のためにドラッグにハマる人を描いてもまだ足りない。そう言ってとどめをぶっ刺しに来るのが本作の真骨頂。

何がおそろしいって、よりかわいそうな人から順によりおそろしく凄惨な末路が用意されているのです。これがどんなに“異常な”ことかはぜひともお分かりいただきたい。

僕は法的に悪であれば必ずしも自分個人までもが好きなだけ叩いてよいという考え方は持っていません。ハリーやタイロンだって元はといえば夢のために先立つ者が欲しかったに過ぎない。しかしそれでもやはり因果応報という言葉は念頭に置いて、より悲惨な結末を迎えるべきはカネのためにドラッグを売りさばいていた者たちであるべきで、サラのような人には救いが欲しいと思うわけです。

もちろん彼らの結末も比べようがないほど救いがなくけちょんけちょんにされるようなものばかりですが、サラの壮絶さと壊滅ぶりは飛び抜けていると言わざるを得ません。ドラッグの“被害者”と呼べる立場に一番近い位置にいるはずのサラが、気が狂うまでダイエット・ピルを服用した挙句に強制入院させられ、正常な判断力もないまま同意書にサインし死ぬほどの苦痛を伴う電気けいれん治療を施されて結局廃人となる一連の流れはどこを切ってもトラウマもの。

この“因果応報の逆転”を、本作がどこまで自覚的にやっているのかはわかりませんが、少なくとも観る側としては「薬物依存の終末には同情の余地の大小なんてまるで関係ない!」という実にもっともな現実を最も攻撃的かつ効果的に強調してくるものでした。

 

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このクライマックスは映像表現としてもとびきりおっそろしいんですよ。二度と観たくないながらも手元にはぜひとも置いておきたいと思うほどの素晴らしい、というか凄まじいシーンと構成。

本作はほとんど中盤の終わりぐらいまで、低予算映画かと思うくらい人物ごとに同じロケーション、同じセットのシーンが連続しています。サラに至ってはテレビの前に座ってばかりなので、場所もほとんど自宅のリビング。

それらはおしなべていわば登場人物たちの“日常”の描写です。ドラッグによって徐々に侵食されていく様子は描写されていますが、これがクライマックスが近づくにあたって一気に新しいロケーションに切り替わり始めます。

刑務所に高級マンションに精神病院。そしてその中での服役、乱交パーティ、電気けいれん療法の手術。言うまでもなくこちらは“非日常”の描写です。

侵食されながらもずっと“日常”が続いていた映画がクライマックスに突入するや否や、これらの“非日常”が画面の中へ怒涛のごとくなだれ込んでくるのです。映像自体の悲痛さや凄惨さもさることながら、それらはすでにもうボロボロに侵食され切っていた“日常”を情け容赦なく粉々に打ち砕いて跡形もなくすり潰してしまいます。そして二度と“日常”には戻れないとばかりに、それからは一度として過去のロケーションが映し出されることはありません。映画の構成そのものが徹底的に“日常の崩壊”を示しているのです。同時に、四人の“非日常”はコマ切れの瞬間映像となってぐちゃぐちゃに入り乱れ、まるですべてが醜悪に作り直されたかのように不可逆の結末が吐き出されます。

 

こんな鬼みたいな映画、正直観たことなかったかもです…。

 

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今日は5段落ではひととおりでも語れた気がしない。この映画、ドラッグ関連除いても除かなくてもまだすごいところ多すぎ…。

作る側もさぞかし映画の鬼なのか。折しもちょうどダーレン・アロノフスキー監督の最新作『ノア 約束の舟』がただ今絶賛放映中です。

 

 

参考図書。

薬物依存―恐るべき実態と対応策 (ベスト新書 248)

薬物依存―恐るべき実態と対応策 (ベスト新書 248)

 
拘置所のタンポポ 薬物依存 再起への道

拘置所のタンポポ 薬物依存 再起への道

 

 

*1:錠剤型は通称エクスタシー。参考:メチレンジオキシメタンフェタミン - Wikipedia

*2:僕はうっとうしい嫌煙主義者ではありませんがこういう小賢しいのは小賢しいから嫌いです。何でもそう。

*3:先入観や“経験則”による素人診断が一番危険。本作から言えば「知り合いが言っていたから」は最悪のケース。