読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

映画録65『素敵な相棒 フランクじいさんとロボットヘルパー』

映画

息抜きにブログ更新してたらまた結局活字漬けなんですよね。ごぼぼ。

 

※case.728の映画録は、5段落前後でまとめる既観賞者向けの参考記事を目指しています。ネタバレ・解説記事ではありませんが、物語の中核には触れているので未観賞の方はご注意ください。

 

7月14日 素敵な相棒 ‐フランクじいさんとロボットヘルパー‐

f:id:nanatsuhachi:20140727165550j:plain

「あなたの健康が最優先」

 

1.きっと相棒が欲しくなる

 

ルパン三世の老後ってどうなるんでしょう?そもそも長生きできなさそうではありますが、40代50代を生き延びちゃうとして*1、引退した後どうやって暮らすのかしら。引退しないのかしら。盗品うっぱらって悠々自適っていうのもあんまりガラじゃなさそう。そして引退なんかしたら一気に老けそう。

ものの善悪の話はとりあえず置いておいて、老後の生きがいというものを考えたとき、若い僕なんかはもうわけわかんなさすぎてめちゃくちゃ不安になるか、そのうち考えるのをやめるかします。建設的なことは今から考えなくてもいい、というふうに甘えるのは充分身の丈にも合っているとは思いますが、こうなりたくはない、という反面教師だけは正直考えなくても具体的に浮かんでしまう。テレビを垂れ流しにしてカウチで排水溝の生米みたいにこごりながら溶けていくのは、少なくとも御免こうむりたい。一応僕の生きがいは実にくそったれなことに決まり切ってくれているんですけれども、老人の体力でも満足のいく結果を追い続けられるだろうか、ボケたらもう終わりじゃないだろうか、と考えるとどうも憂鬱な気持ちになります。

そうだ、相棒だ。相棒が欲しい。

ヘルパーなんかいらない。生きがいをサポートして続けさせてくれる、同じ生きがいを共有してくれる、僕の生きがいをそのまま自分の生きがいとして受け継いでくれる、素敵な相棒、夢の相棒。きっとそいつは、機械の体でもいいんだ。そこに見える魂を真実であると僕が思えるのなら。

 

 

f:id:nanatsuhachi:20140727165553j:plain

2.あらすじ ~執事でロボットですから~

 

今より少し未来。

フランクじいさん(フランク・ランジェラ)は手癖が悪い。かつては宝石泥棒で、中年で引退するまでそうやって格好つけてた。往年の高揚感が忘れられないまま、今はもう70歳。認知症の兆候も現れ始めている。息子と娘もすでに独立し、田舎の家でひとり退屈な日々を送りながら、時々万引きまがいをして自分を慰めていた。

息子(ジェームズ・マースデン)の方は近くの町に住んでいるため、毎週じいさんの様子を見に来てくれる。とはいえ息子にも、週末は相手をしてあげたい自分の子供がいる。そこで息子はある日、健康管理用のロボットヘルパーをじいさんのところへ連れてきた。

介護ロボットなんか嫌だと喚く頑固なじいさんのところへ、息子は電源オフの仕方を教えないままロボットを放置して帰ってしまう。ロボットは常にじいさんの健康最優先で、執拗に早起きを迫り、健康に悪そうな食材を無断で捨て、ボケ防止のためガーデニングを趣味にしろと脅迫してくる。日課の散歩は健康にいいからと許可が下りたが、立ち寄った雑貨屋でじいさんはついまた万引きをしそうになった。顔を覚えられている店主に危うく捕まりかけ、盗品をこっそり棚に戻してうちに逃げ帰るじいさん。危なかったなと人心地ついたところで、ロボットが差し出してきたのはじいさんが返したはずの盗品だった。

驚くじいさんにロボットは言う。

「あなたが邪魔されて取れなかったようなので、私が代わりに取ってきました」

最新型で高性能のはずのロボットが、万引きを手伝った。ロボットには、じいさんの“健康”を最優先にして動く以外のプログラムが入っていなかったからだ。これを知ったじいさんは、ロボットを相棒にして泥棒稼業に復帰することを思いついたのだが……。

 

 

f:id:nanatsuhachi:20140727165554j:plain

3.老後こそドラマチックでありたい

 

ドラマ系だと “親と子”というテーマが三度の飯と昼寝を犠牲にしても大好きな僕*2ですが、その次くらいに好きなのが“老後”とか“余生”とかいうふうに言えそうなやつです。老いぼれてからようやく叶う恋とか一度だけヒーローになれるとか過去になんやかんやあった家族と和解するとか愛アムーるとか*3。こういう話で身内を特別扱いしたくなるタチではありませんが、ボクのおじいちゃんがちょうど認知症等で入院中で、いろいろと他人事ではない次第。

そうでなくても、“老い”とか“人生の終末”とかに関わる話には興味が尽きません。一番大事なのはやはり、最後に自分自身と向き合える時間であるという点でしょう。残り時間が少ないということは、やりかけのことを終わらせられないし、取り戻したいものを取り戻せないということであり、ある意味ではそういう自分だけのしがらみや、世の中の責任やモラルからさえも逃げ切ってしまえるということでもある。要は、死の際においてだけ、人間のぶち当たる問題は《自分が納得して死んでいけるか》のみに収束していくものなのです。

万引きや盗難はいけないことです。その点は揺るぎない。盗まれて傷つく持ち主ありきの行為である以上、社会や共同体にとっての秩序の問題に過ぎない、とは言ってもしょうがありません。しかし、共通の真理が個人を規定するものにだけはなり得ないのも事実*4。盗人に生まれついた人の幸福の絶対値は、盗人として生きている瞬間だけなのかもしれない。そういう人が他の生き方をしても、死んでいるのと変わらないでしょう。

もちろん、これは手狭な考え方で、手近なもので済ませようとするような価値観だとも言えます。早いところ深夜のテレビに入り込んでオシャレなメガネでカッ!した方がいいでしょう。おのれを知った後は小さな幸福を積み重ねて、いつか自分本来の最大幸福を越えてみせる。Persona4の登場人物たちのように若い人々は(僕自身も含めて)、そうやって社会の内側で自分を納得させて生きていく努力をするべきなんだろうと思います。いいえ、老いぼれてからあがいたって格好悪いということだけはないはず。

しかし、もし最大幸福の方を掴むチャンスが、人生の最後に手近なところへ転がり込んで来たら?それが人や社会に見咎められるような行為だとして、リスクを冒さず静穏と秩序に貢献して死んでいくか、生きがいのまま生きてみるか、どちらを選ぶかなど人によっては言うまでもないにせよ、天秤にかけてみない人はいないはずです。

ただ、最後に得たそのチャンスというのが“相棒”の登場だった時、なぜか人はそこに大いなる希望を抱くようです。なぜか、ではありませんね。たとえ人に咎められるリスクを冒すものであっても、人はその最大幸福の先にある真実において、ただ孤独でないことを望むものでしょうから。

生きることの孤独と、死にゆくときの親愛とを、本作は一風変わった角度から、しかしそれゆえのつかまえやすさをもって教えてくれます。

 

 

f:id:nanatsuhachi:20140727165552j:plain

4.ちゃんと“ロボットと人間”もテーマです

 

テレビが壁から浮き上がる二次元ホログラムという程度の微近未来な世界観が、地味に本作の隠れた魅力の一つ。なんちゃってSFにさえも程遠い、家電や電子機器がほんの少しだけグレードアップしている程度のものなので、SFだと感情移入がしづらくて苦手!という人もそういうことはまったく気にしなくて構わないかと思います。じいさんのところに来た《最新型ロボット》のデザイン自体アシモみたい、っていうかまんまアシモ*5ですからまったく現代的な画ばかりなんですよね。車もしばらく空を飛ぶ予定はなさそうだ。

この設定を、「家庭用ロボットヘルパー」という商品を企業が市場に出せる程度の時代に調整しただけ、と言うこともできます。そう言えばどのくらい微近未来なのかがさらにわかるでしょう。

しかし、そういうご都合設定だけでは終わらせず、ちゃんと物語の中に組み込んでもいるのが面白いところ。特に《介護にロボットを用いることの倫理》について、ロボットがじいさんの泥棒の相棒になること以外のところで問いかけているのは、ちょっとした見所です。

そのくだりではじいさんの娘(リヴ・タイラー)がいい仕事をしてくれていますね。海外でチャリティー的な活動をしている彼女は、兄がじいさんの世話役にロボットを採用したと聞いて飛んで帰ってきます。慈善活動家らしく人権侵害なんて難しい言葉を使っていましたが、彼女からしてみれば、親の世話を機械に任せるだなんて何事だ、と言いたいわけです。それで秘密のパスワードでロボットを強制停止して、自分がじいさんの介護を始めるのです。

この件自体はじいさんの都合で早々に丸く収まりますが、実際のところ娘さんが自分の仕事(というか貧困地域の子どもたち)をずっとなげうってじいさんの介護をし続けるのは難しいものがあったでしょう。もちろん勝気な娘さんはそれをわかった上で、しかしロボットに任せるのは人間の限界を認めて卑怯に甘えるみたいに思える節もあったのだと思います。

僕も人形愛好家の端くれですからたまに見かけるんですよ。あれは孤独を慰めるためのもので、子育ての身代わりだって言っちゃう人。僕が何を思うかのツッコんだ話は省いてとりあえず非常に嫌な気持ちになるとだけ言いますが、しかし一方で、自分の母親が彼女たちのために小さいぬいぐるみを買いかけたという話を小耳にはさんだときは、うちには女の子がいないからねえ、という感慨が脳裏をよぎってしまったことがあります。

人が他人を見る目というのは、結局そういうものなのでしょう。そしてロボットに介護を任せる、ということにも似たような節はあるのです。人間の感情としてわりと確かに起こりやすい、ちょっぴり気味の悪い抵抗感。代替という言葉を頭から切り離せないのは種族意識の過剰なのだろうか。そんな昏い部分へ、ギクシャク歩きのアシモみたいな身近なデザインのロボットが切り込んでいくというのは、何かしら言葉にはしづらいおかしみがあって、いっそ痛快ですらあるようでした。

 

 

f:id:nanatsuhachi:20140727165549j:plain

5.頭でっかちな僕は頭でっかちに直感を信仰する

 

じいさんが最後にロボットの背中のボタンを押した理由については、かなり長いこと考えさせられました。納得できないわけではないのです。むしろ直感的には、ああ、じいさんは押すことにしたんだなあ、とすんなり受け入れられる自分がいる。しかし僕自身がどう納得したのかを言葉にしようとすると、途端にあのシーン自体がピンと来なくなってしまう。演出に流されただけかとも思い直しましたが、やっぱりそれも違う。あのシーンは《押す》以外の選択肢が見つからない。となるともう考え続ける以外にないわけですよ。意地っ張りなので他の人のレビューもまだ読まずにいます。*6

とりあえず今のところで、これが一番きれいかなと思う結論が、じいさんはロボットの《願い》を汲んだのだということです。

じいさん自身は、ロボットのメモリーが消えてしまうことに抵抗があった。いくらロボットの側が自分からそれに抵抗を持たないとしても受け入れられなかった*7

しかしロボットはあのシーンで、「メモリーを消せばすべてが正常に戻り、次の仕事へ行けます」と言いました。思えば僕はあの瞬間に息をのんだのです。ロボットは過去のメモリーを保存することよりも、それを捨ててでも《次の仕事》へ行くことだけを望んでいた。たとえそれが、じいさんの健康と安全をこそ最優先に考えた結果だったとしても、彼が未来と希望を見つめていたことに変わりはない。じいさんはこの後彼と別れることになるのもわかり切っていたでしょうが、もう彼のおかげで充分に自分の最後の“人生”は堪能したから、あとは彼が持つ未来への希望に付き合うことにしたのではないでしょうか。自分が納得いくように生きたのだから、彼にも彼の納得がいくようにと。

もしかしたらじいさんは、何かの奇跡にも期待したのかもしれません。ただ、本当に幸福な人生の終わりには、奇跡ももはやおまけのようなもの。なかったからといって、それほど残念には思わないのかもしれません。

 

 

f:id:nanatsuhachi:20140727165555j:plain

本日はオススメ度高め。*8

 

*1:ん?待てよ今いくつだ?

*2:ゆえにこだわりも大きい。かなりうるさい。

*3:心温まる×3と弩級鬱×1でバランスは取れている

*4:なり得ないけど矯正して秩序を守護するのも大事なこと。それこそ社会とか共同体の役目。結果的に多数派は強く見えるものの、少数派と正義はイコールでない。

*5:実は運動性能は現在のアシモの方がいい。ホンダさんすごい。

*6:時間がなくて返しちゃいましたが、できれば台詞の原文も読んでおきたかった。邦訳も台詞回しとしては申し分ない出来でしたけどね。

*7:ロボットに向かって「お前にロボトミー手術などできん」という台詞は、脚本家が言わせたくてしょうがなかっただけかもしれませんが、僕は好きです

*8:いつも点数とか星とかで評価を数値化した方がPV稼げそうだとは思うけど、映画によって観方も変わるし基準も変わるのでというか、そういうことを考えちゃう時点で自分には無理だとわかる。「歴史的には80点だがおうちでゆっくり観る用としては云々…」などと話が長くなるのはいつものこと。変えられないマイスタイル。