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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

映画録73『ミッドナイト・イン・パリ』

映画

素数

最近また記事が長くなってきた気がします。そのこと自体はもう性分なので別に気にしませんが、時間をかけすぎるのはいただけない。それというのも文章を考えながら打ち込みをするせいで目が疲れて眠くなったり、なまじちょくちょく書き直せたりするのがよくないようです。

じゃあまずアナログで下書きしましょう。メモパッドばかり常用していますがここで京大式カードを有効利用。うちのブログで言う「1段落」単位を一枚に収めるという具体的目標によって格段に作業が早く、しかも疲れにくくなった気がします。しかしなんでまず一枚にまとまんないんですかね?*1

 

 

※case.728の映画録は、5段落前後でまとめる既観賞者向けの参考記事を目指しています。ネタバレ・解説記事ではありませんが、物語の中核には触れているので未観賞の方はご注意ください。

 

8月9日 ミッドナイト・イン・パリ

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「何か価値のあるものを書こうと思ったら、幻想は捨てるべきなんだ」

 

1.会ってみたい過去の偉人はいますか?

 

こう尋ねられても僕はなかなか答えられない人間です。出不精のせいか、敬愛する過去の人は多くいても、その誰かに会おうなんて発想自体がまず出てこないんですよね。著作があるならそれを読めば充分だなんて考えている。つまりそれは、会って何がしてみたいというロマンを持ち合わせないものですから、仮に会いに行けたとしても、行くことさえしないということなのでしょう。

しかし、❝遭遇❞ならどうでしょうか。もしその偉人が目の前に現れ、あまつさえ声をかけてきたら?誰かに紹介された相手がその人物だったら?それが対処しなくてはならない事態だったとき、自分が何をしたいなどと考える余裕なんかあるようには思えません。もちろん、尻尾を巻いて逃げ出すのは社会的でない、という以前に、その仕打ちは自身の敬愛に泥を塗るのと同じでしょう。

たとえば僕なら夏目漱石ですか。そこいらの喫茶店で彼が茶を飲んでいるイメージはありませんが、もしそこにいたら僕はどうするんでしょう。写メですか?顔本にうpして旧千円なうですか?阿呆の極みですが動転してやりかねませんね。シャッター音に気づかれ、おい、君。それは何だ?とあちらから話しかけられます。へぇ、《すまほ》と申します。明治にも写真機はありました。坂本さんちの龍馬くんがお気に入りだったそうで。しかし、そんなうすぺらい小さなもので君、撮れるわけがないだろう。銀塩の板よりも薄そうじゃないか。へぇ、それが、へへ、撮れるんでさ。どうして撮れる。そいつはあたしにもよくわかりません。ふうん、変わったことを云うやつだ。

そうして僕は《すまほ》とあだ名をつけられることになり、その日はそれでおしまいです。銭湯へ行くと言って彼は帰ってしまい、慌てて追っかけますがもうどこにもいやしません。そのときになってようやく後悔が襲ってきます。自分は何をやっているんだ。夏目漱石だぞ?もっといろいろあっただろう!へへっ、撮れるんでさぁ、じゃねえよ!写ルンですのいとこか!

当然、もう一度会いたい、と思って僕はその喫茶に通い詰めるでしょう。それで一向に会えないとなると、今度は自分の生まれた時代を呪い始めるのです。スマホのシャッター音も聞かない時代に生まれていれば、彼に声をかけられもしなかったくせに、です。

 

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2.あらすじ ~午前0時のパリの魔法~

 

ギル・ペンター(オーウェン・ウィルソン)はハリウッドではそこそこ売れ筋の脚本家だが、本当は小説を書きたがっている。昔からの夢だった。結婚を機に転身しようと処女作を執筆中だが、勝手が違ってなかなか難しい。婚約者のイネス(レイチェル・マクアダムス)は呆れ気味だ。裕福な彼女の両親からも、最初からあまりよく思われてはいない。

とはいえ彼らの出張に便乗してパリを訪れたギルは嬉しかった。彼はパリが大好きだからだ。上手く小説家に転身できたらここに移り住みたいとイネスに話す。素晴らしいだろう?いいえ、あたしマリブに住みたいわ。パパもママもパリが嫌い。雨の街が素敵だなんて理解できない。

非常に面白くない気分のギル・ペンター。偶然遭遇したイネスの男友達も嘘八百の薀蓄を並べるエセインテリ。それに気がつかないイネスにもイライラ。とうとう夜中まで一人で街をうろつき始めるギル・ペンター。12時の鐘が鳴る。

不意に、目の前に車が止まった。ずいぶんとアンティークな趣きの車だ。中の人たちの格好も妙に古い。’20年代っぽい。ギルは心酔するアメリカ文学の数々が隆盛を誇った20年代が大好きで「黄金時代」と呼んでいる。乗客たちは気前よくギルをパーティへ誘いたいようだ。酔っていたのでギルも応じる。到着したパーティ会場もやけに古風な趣味だ。うわ、あのピアニストめっちゃコール・ポーターに似てる!ご丁寧に本人の曲弾いてるよ、こいつは傑作だ。おっと、失礼、こんにちは、どこかで見たことあるご夫婦だね。まあでもそんなわけないよね。僕はギル。初めまして。そちらは…F・スコット・フィツジェラルド?はは、またまた。確かにそっくりだけどね。じゃあ奥さんはゼルダなわけ?え?ゼルダなの?ゼルダ・フィツジェラルド?フィルジェラルド夫妻?はははは、まさかまさか。え?あの、一緒に飲みに行こうって?いや、あの、そちらの方は?え?へ……ヘミングウェイ

 

 ↓ 右がギル。ヘミングウェイに会ったところ。そりゃこんな顔になりますよね。左はフィツジェラルド氏。

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3.時代よ止まれ。時代よ戻れ。

 

こういう映画にもまたメジャー的なセオリーがあると思います。結局派手じゃなきゃと言って、偉人を皮肉ったちょいブラなコメディ。タイムスリップから直結で歴史改変ネタが入ってちょっとシリアス。最後は今までネタキャラだった偉人に偉人らしいことを言わせてなんだかんだでイイハナシにー……って好きですけどね、そういう安定感があるのも。別に揶揄してはいません。

ただ、たぶんそれがセオリーだろうという僕の認識はある意味で偏屈です。偉人を素直に自身の敬愛に沿って描いていけないという法はないはずなんですから。もちろん、セオリーの先入観なんてマーケティングが前提だったりするともう話がずれてくるんですけど。一人の人間をピックアップした伝記的作品などもまた別です。

対して本作は、上記したいくつかの「セオリー」からことごとく逸した作品となっています。ならば地味だったか?いいえ、まったくもって華々しい上に、これがすばらしく面白かったのです。映画的にもよかったと言えるし、手放しに感性だけで見ても楽しかった。登場する偉人は誰も彼も、後世の人の抱く幻想通りにしか描かれていないにもかかわらずです。

これはきっと、彼ら偉人たちに対する敬愛から生まれた幸せな幻想が、作中においても《幸せな幻想》として成立していたためにそう思うのでしょう。その成立要因はひとえに、主人公の抱えるとても微妙な現実との絶妙なコントラストによるものです。決して人生がうまく回っていないわけではないけれど、明らかに自分の望む通りではない。という現在に対して毎夜訪れる夢のような「黄金時代」が《幸せな幻想》たるべくしてそうなっている。そこに登場する偉人たちの威容も活力も愚直さも瑕疵も、すべて必然的に敬愛のみに基づいて描かれてしまっているのです。やー、伝わってくる愛って素晴らしいですね*2

「❝現在❞って不満なものなんだ。それが人生だから」

主人公のギル自ら口にするこの結論が、本作においては何より素晴らしい。当たり前でもなかなか受け入れづらい真理だという意味でもこの台詞は至言ですが、本作ではさらにこのセリフによって幻想が幻想へと還されるのです。幻想は幻想のままに、現実を現実として受け入れるという結論ですから、「黄金時代」はあくまで揺るぎないものとして示される。それもまた本作の❝敬愛❞なのでしょう。揺るがぬ愛ほど素敵なものもありませんよね。

 

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4.元来、人は贅沢なもの。

 

ていうか本当に主人公ギルのこれまでの人生は❝微妙❞ですね。若輩で身が固まる気配があくびほども出てこない僕なんかからすればまったく羨ましいくらいの境遇にはあるのですが、実際本作の体験をする前の彼のようになりたいかというと、本音は嫌です。自分の境遇と比べたところで絶対値が下がるわけじゃあないんですよね。多少の自慰になるだけで。

いやさ、本作は前の段落の通り結論が結論ですから、彼が抱えているのは一般的に見ると《ぜいたくな悩み》なわけです。マッチ売りの文学少女を主人公にした方が本作は断然絵になるでしょう。マッチを売らなくていい時点で、お前は病院の窓から見える枯れ枝の後ろの壁を葉っぱの写実的なストリートアートで満たしていろという話になります。(※なりません)

しかし本作の主人公は「マッチ売りの少女」ではいけなかったのでしょう。「マッチ売り」では少女の不遇さが引き立ってしまいます。本作が観客を感情移入させたいのはそこではないわけです。

決して不遇ではない人生であっても、「黄金時代」という幻想との比較によって、自分の現実を不遇なものだと思うエゴが発生する。それを「ぜいたく」と言って批判してみたところで、苦悩は遠のいたり視界から消えたりするだけで、なくなるわけではありません。それはその苦悩の正体が、普遍的な人の持つ❝憧れ❞の原型の一つであり、❝見果てぬ夢❞であるからだと思います。本作は、主人公たちの憧れる昔の時代が❝見果てぬ夢❞であることを印象付け、さらに❝見果てぬ❞ことに注目して共感させるために、「マッチ売り」ではなくある程度悪くない人生を歩いている男を主人公としているのです。

いろいろと持っている人の方が、憧れが高いところに集中しますからね。それこそ「マッチ売り」だったら、「何でもいい」になりかねないわけですし。

 

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ところでしかし、そんな構図で描かれているにもかかわらず、彼が最終的に脱却した(最初から脱却したがってもいた)具体的なところがその「何でもいい」だったのは、❝憧れ❞の本質に立ち返っているみたいで面白いですね。

できそうな仕事なら「何でもいい」。結婚してくれるなら「誰でもいい」。しかしこの「何でもいい」は惰性によってすでに「しなくちゃいけない」に変質していて、能動的な真の自由からは最初からほど遠いものであったとわかるものです*3

特に婚約者のイネスは象徴的ですね。まだまだ人生経験の浅い僕には、二人がなんでここまで続いて婚約にまで至ったのか、まるで実感を持って理解できないのですが、下世話な憶測を述べれば、お互い手近なところで済ませて惰性で続けているうちに引き返せない歳になっちゃいました、ということだったんじゃないかと思います。

愛があるならそれでもよかったんでしょうけど、あれはさすがに……。ことあるごとに「僕は懐が広いんだ」と、カウンセラーがそろって苦笑いしそうな強がりにいそしむギルが涙ぐましすぎました(^_^;)。

 

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5.パリ礼賛!

 

それにしても本作に映り込むパリの街は本当に素敵ですね。退廃も栄華も一つ残らずというか、見事に玉石混合が猫も杓子も隙間なく混ざり合っていて、パリは街自体が芸術品とはよく言ったものですが、もはや狂気じみているとすら感じます*4。普通に観光に行くだけでも目を回しそうですが、住み着いたらもう自分が別の何かになれそうな予感がするというギルの気持ちもわかろうというものです。

パリの街並みを堪能できると映画といえば、短編オムニバスの『パリ、ジュテーム』が非常にイチオシ*5ですけれど、本作もなかなか外しがたい。現代の街並みはもちろんのこと、タイムスリップ先である’20年代風に再現された盛り場やサロンのセットも味わえて二度おいしい仕様です。もとい、実は三度おいしいのですが、それは観た人だけのお楽しみです。そろそろ芸術の秋ですね。

 

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どう考えても本作を観てアドリアナ(マリオン・コティヤール)に触れないのはおかしいと思いますが、余白も尽きてしまったのでここで退散します。ただ一つ、彼女は『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーの再来を思わされるほど、あまりに素晴らしすぎた、とだけ。

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ミッドナイト・イン・パリ [DVD]

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*1:しかも今回はそれでも全然書き足りない。これはもう作品がよすぎたせい。

*2:本作のヘミングウェイいわく「真実の愛は一時(いっとき)死を遠ざける。小心は愛のなさゆえに起こるのだ。愛ある者は勇敢に死へ立ち向かう」マーケティングに傾注したセオリーを「小心」と揶揄することとは全く別ですが、本作はまさにこの「愛ゆえの勇敢さ」に裏付けられた作品の一つだとも思います。この台詞自体僕は本作で一番好きですね。本作の偉人の台詞はすべて引用ではなくオリジナルのはずですが、どれもこれもすごく❝らしい❞のが秀逸です。この台詞もすごくヘミングウェイらしいかっこよさがあると思います。これも愛のなせる業なのか。

*3:本作のヘミングウェイが言った「何を書いてもいい。真実を語り、簡潔で、窮地における勇気と気品を肯定する限り」と、ガートルード・スタイン「人は死を恐れ、宇宙での魂を思う。作家の仕事は絶望に屈せず、人間存在の救いを見いだすこと」の二つは、記事本文に余裕がなくて脚注としてしまうには忍びなさすぎる、本作きっての名台詞ですけど、これが主人公に対する救いの示唆として、どちらも条件付きの「何でもいい」に回帰して見えるのもまた面白いですね。単なる言葉遊びじみてはいますけど(笑)。

*4:手塚治虫の漫画『ばるぼら』ではよく「芸術とは狂気じみているものである」というような記述がみられます。狂気じみているのは芸術の女神ミューズの素の性格の一面であるとも同作中で言われます。

*5:パリにある18の地区を地区ごとに堪能できる短編オムニバス映画。日本の監督もいる。1作品につき5分の超短編なので超観やすい。 大枠のテーマは愛の物語だが、作品ごとに題材が違うので飽きない。