case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

映画録74『エレファント・マン』

最近早寝早起きでなんですが、どう考えても早すぎ寝早すぎ起きなんですよね。明らかに日中の非効率で疲れて、ストレスで中途覚醒。一糸乱れぬ生活リズム。なんて健康的なんだろう(3д3)

 

 

※case.728の映画録は、5段落前後でまとめる既観賞者向けの参考記事を目指しています。ネタバレ・解説記事ではありませんが、物語の中核には触れているので未観賞の方はご注意ください。今日は3段落です。

本日の映画録は気が狂っています。それ以上何と説明すればいいやらわからないのですが、とにかくご注意ください。また、映画の紹介や解説にもまるでなっていませんが、一応物語の中核には触れているので未観賞の方はその点にもご注意ください。

 

 

8月10日 エレファント・マン

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「これで全部終わった」

 

1.ひざまずいて許しを請いたくなる映画ベスト

 

なんだそれは、ととりあえず聞きたくなるかもしれませんが、それを答えられたら苦労しない映画なんですよ。のっけから滅茶苦茶なこと言ってて本当にすいません。いやこの「すいません」ももちろん違います。自分が何について謝りたいのか、ひとくちに説明できない以前に、自分の中でも一概に把握できないくらいに混沌としてて、にもかかわらず、謝りたいって感情があることだけ確かなんです。もう今日の記事は完膚なきまでにグダグダになる予感しかしなくて、この一段落目からガクガクしています(’ω’;)

ただ一つだけ前に置いておきたい。本作がそれほどまでに愛おしいということを。僕にとってだけの話なのか、共感してくれる人がいるのかはわかりません。ただ、人が何かに許しを請うのは、その何かに見放されたくないとか、その何かに対する敬意を否定されたくないと思うからこそです。僕は自分の浅はかさと未熟さゆえに、本作に対する敬意を粗末なものにしかけていた。いやさ、その過ちを思い知らせてくれたからこそ、際限のない敬意でもって返させてもらいたいと、あさましくも切に願うのでしょう。まだ抽象的ですがこれが謝りたい理由の一部です。

 

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2.あらすじ ~象に踏まれた聖人~

 

時は19世紀。サーカスに見世物小屋が付き物だった時代のこと。あまりのおぞましさから見世物としても警官に阻まれるほどの“目玉”がいた。彼の芸名は「エレファント・マン」(ジョン・ハート)。胎児の時分に母親がタイの奥地で受けた象の呪いにより、骨と肌が肥大して象皮のように硬化する病気を患ったという触れ込みで売り出されていた。

その日のロンドンで、外科医のフレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)が見世物小屋の彼を見かけたのは全くの偶然である。トリーブスは彼の世にも稀なるその奇病を目の当たりにして、治療と研究の名目で彼を引き取ることにした。頭部の異常もあって当初発達障害と思い込まれていた彼だが、病院側が彼の無期限入院に難色を示したとき、彼が人と関わる恐ろしさゆえに固く口を閉ざしていただけだったことがわかる。病院に居残るため、ついに言葉を口にした彼の本当の姿は、聖書を熟読し、芸術と文化を愛する、誰よりも紳士然とした知的で穏やかな心の持ち主だった。本名はジョン・メリック。彼を一人の人間として扱う人々が、周りには徐々に増え始める……。

 

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3.懺悔衝動の真相

 

初めに、ジョン・メリック(=ジョセフ・メリック)氏は実在の人物であり、劇中の彼の奇病*1もまたほとんど現実の再現となっています。脚本も彼の半生についての伝記として作られたものです。ただし、ある程度の脚色と恣意的な演出がなされていることもあるため、僕はあまり実在性には目を向けず、「ジョン・メリック」を作中の一人のキャラクターとして見るようにはしています。

それで、この手の映画作品が僕は常に好きであるとともに、いつも警戒していることがあります。それは、共感や同情を“脅し取る”ような節がないかということです。題材とされている人物が、ただ憐れまれるように誘導するような作為的な見せ方がされていないか。他の人間が恣意的にすべて悪人や愚物のように描かれ、特定のキャラクターの神話化がされていないか。そういう作品を卑俗だ矮小だと非難したいのではありません。何しろたとえその内容が真実であったとしても、それについて抱く感情を「ね?悲しいでしょ?ね?」みたいに画一的に強要してくるようであれば、気持ちが悪いから僕は「ノーコメント」としか答えないぞ、と言いたいだけですから(そういう作品に対するメタ的な批判に付き合わされるのもさらに面倒くさい)。

そういうのはですね、僕がいわゆる天邪鬼で、「周りがすごいと言ってるからすごい」みたいなマジョリティマインドに振り回されるのが、心の底では大嫌いだと思っているからなんです。たとえあるものを面白いと思っても、「周りが言うからじゃない、自分でそう思うからそうなんだ」と主張していたいという感情が常にありますし、一方で、「自分の考えが周りと違うことを主張したい」というオンリーワン願望は否定したいというか、周囲を意識した主張なんかしたくない、周囲がどう思おうがとにかく関係ないという唯我独尊の極致*2に行きたいとも考えているわけです。考えているというかもう性分なので、条件反射なんですよね。しかしマジョリティが明確となってしまう議論の中では、どうしても自分の立ち位置を意識せざるを得なくなりますし、そんな自分も体験も嫌で、それを呼び起こすような作品とはまともに付き合うのがそもそも莫迦らしい、と言いたいわけです。

前置きが長くなりましたが、本作を観るにあたってもまた、少し倫理観が古そうな時代の作品だからということもあって(奇才たるデヴィッド・リンチが監督ということをあらかじめ知っていたらもう少し安心して観られたかもしれませんが)、煽動的な作品じゃないかってガチガチに警戒していたんです。結論として杞憂だったならまあ、安心して内容の反芻を始めますし、たいていはかなりいい作品だったと思うことが多いです。先日の『チョコレートドーナツ』は実はすれすれのところでしたが、少なくとも嫌な気持ちにはなりませんでした。

しかし、本作は、次元からして違いました。僕が警戒していた点について、最終的な結論が「出ない」という意味ですでに本作は素晴らしい作品だったとも思うのですが、その結論に至る前に、身構えていた僕の心構えやこだわり的なものは、粉々に打ち砕かれてしまったのです。

それは誰あろう、本作の「ジョン・メリック」の最期の独り言によってでした。

 

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思い知ったのは僕の浅はかさにほかなりません。しかもそれは、お前の考えていることなどどうでもいい、つまらないし関係ない、というふうに否定されたのではありませんでした。もしそうであったなら、僕は本作を「あっぱれ」と評しつつも「敵ながら」と付けて、敗北の痛快さに大笑いしたことでしょう。しかし「ジョン・メリック」は“否定”をしなかったのです。うぬぼれるなら、言外に肯定してもらえたと言ってもいいでしょう。少なくとも、僕は僕で構わない、と言われた。ただその上で、関係ないと言って突き放されてもしまったのです。そうなる可能性に僕は自分の知性を自負したいなら気づいているべきで、だから気づけなかったことがこの上なく悔しいのに、しかしそれもまたよしだと言うのです「ジョン・メリック」は。

彼は一度として僕のような人間を卑しいと言ったり浅はかだと言ったりはしていませんでした。むしろ僕の中の葛藤や議論にも感謝していたと言っても全く過言ではありません。不遜でしょうか?しかし今の僕は謙虚になることの方がむしろ度し難いほど浅ましいことだと考えている。彼が、彼のような人間が自分がこの世に生まれてきたことを押しなべて感謝してみせたというのに、どうして凡庸として五体満足な僕なんかに自らへりくだるような真似ができるでしょうか。排斥による高潔を求めることを高潔と言えるでしょうか。

あの最後の台詞を聞いたときほど、僕は自罰的な衝動に駆られたことはないように思います。心の底から謝りたくなったし、泣いて許しを請いたくなった。自分の愚かしさが認められて裁かれることを望んだのです。しかし「ジョン・メリック」はまた、それもよしと言います。謝りたければ謝って構わないし、すべて許すと。選別され罰されることを望む僕に、罰することはしないと言うのです。私はただ、横になって眠りたかっただけなのだからと。

そう、彼は横になりたかっただけ。誰とも同じように、あたたかいベッドに横になって眠りたかっただけでした。ただそれだけだった。本当にそれ以外の何も望んではいいませんでした。それをさせてくれる諸々に、自分を囲むすべてにわけへだてなく感謝してさえいた。人権も人道も倫理も、何が真であり何が偽であるかすらも関係なかった。眠るときは皆同じなのです。手も足も出ない。ただ100%の安らぎの中で、あらゆるものに感謝できることくらい僕も知っている。知っていたのです。ただそれ以外に望むことを僕は知りすぎていた。僕こそは救いようのない阿呆だ!

こうして自分を詰っても、彼は穏やかに眠り続けます。彼の眠りによって僕はまた許されてしまう。世はすべてこともなくなってしまう。心の本質は太平楽にあると諭され、謝れども謝れども許され続けるのです。まるで生きている限り唱え続けなくてはならない念仏のようではありませんか。いやさ、小賢しさに傾注するうちに僕は唱えることを忘れ去っていた。この世に生まれたそのときからただ安眠をこそ欲していたはずだというのに。

ごめんなさい。ごめんなさい。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

あまりに言葉にならず、本作の映画録はここまでにします。

 

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*1:この奇病の正確な正体は現在も不明。2012年10月下旬に彼の遺骨からDNA鑑定によって病院を特定するプロジェクトが始まったらしいが、その中途の見立てとしてはプロメテウス症候群が最も有力視されている。ただし、ネットで「ジョセフ・メリック」や「エレファントマン」を軽く検索しても、2012年10月24日や25日というタイムリーな時期にこぞって書かれたであろう記事が雁首を揃えるだけで、プロジェクトのその後に関する最新の情報はまるで見つからない(2014年9月現在)。ちなみに、心臓の弱い人には「プロメテウス症候群」で検索をしないことをお勧めしておく。

*2:しかしこれにもまた「客観的に認められる」という条件が付いて回る。因果なものだが性分だししょうがないと受け入れている。