case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

ただ彼らが自分で考える生きものだと確かめられたとき嬉しくて声が上ずった

少し前まで身内で“事故”があるたびに徒然考えたことを記事にしていたものですが、昨今体力も落ちてそんなことをする気力もなくなりましたね。まあ腹の中で処理するのが一番と思い始めたというのもあるんですが。または多かれ少なかれ影響を“与えない”ことにも価値を見出したせいでもあったり、僕がいなくても世界が回ることの愛おしさに気づけたせいでもあったり。

 

まあそうでなくても、このカテゴリの組み合わせで再び記事を書くことになるとは思ってもみませんでしたが。何せサークルには今「後輩しかいない」はずなんですから。

 

 

信用していた人に裏切られるときというのは、人生ままあります。

そのとき僕らはいろいろなことを考えるでしょう。絶望的ないろいろやお気楽ないろいろ。自分のしてきたことの意味や、関係はなくても似たような他のことの真偽。

そんないろいろの中で、いつもほんのちょっぴりとでも必ず考えることとして、案の定ではなかったかということがあると思います。相手の瑕疵に気づいていても気づかないふりをして、信用を与えていたのではないかということ。

人には寄るでしょうが自分の審美眼やら判断力やらはなるだけ疑いたくないですし、裏切りの場合は相手が悪くない方がショックが小さいでしょう。とはいえ、自分の声が相手に届かなかったという認識に、「やっぱり」と言葉を添えるのは、自惚れ屋じみていて恥ずかしいものです。

だからいつもは気づかないふりをしている自分にすら気づいていないふりをする。

 

 

幸運が三度姿を現すように、不運もまた三度兆候を示す。

見たくないから見ない、気がついても言わない、言ってもきかない。そして破局を迎える。

(バトー:映画『イノセンス』より)

 

 

見ざるを得なくなる。聞かざるを得なくなる。言わざるを得なくなる。それが“裏切られる”ということ。

気づくのはいつだって裏切られた後です。

 

 

自分はとあるパイプ役をかつて自負していました。それが自ら与えていた信用の方。

気づかないふりをしていた自分とは何か。パイプ役としてフィルターを完備していた自負。不純物をこし取り、毒を抜き、色をつけにおいをつける。夢物語のようなビー玉の破片を使えそうな瓶にする。向こう側へ通った後で受け入れられるように、うまく流れ込むように。送り込む水槽も受け取る水槽もどちらも傷がつかないように。

そんな立派なフィルター。必要不可欠なフィルター。完璧じゃないかもしれないけれど頑張りはしていた。

必要と判断したから備え付けました。判断したのは僕です。自惚れの激しい字面だから気づかないふりをして。見て、決めて、備え付けて、見なかったし、決めなかったし、備え付けなかったふりをしました。

 

 

そもそも必要な時点でおかしいと“気づかずにいるのをやめた”のはいつだっただろう。

送り込まれるモノは往々にしてごつごつしていました。あからさまにトゲトゲしているものもありました。

ないつもりのフィルターががんばっていました。モノを丸く丸くして輝かせていました。

好きでやっているとそうも言ったっけ。

フィルターはともかくパイプも僕。流しているのも僕。

代わりもいない。うぬぼれるには十分な立場。

はずしてしまえばいいと“気づかずにいる”のをやめ、ようやくはずした。

 

 

ただ、世の中そう上手くはいかない。バルブを閉めたわけじゃなかったんですから。

繋がりたくて仕様のない水槽は、無理やり体を伸ばしてパイプの消えた空間を埋めたようです。

 

やめておけとは何度も言ったんですがね。

どこまで僕の中で案の定だったのか。気づかないふりをしていたのは“全部”かも。

穴同士が繋がっていないから、という言い方をしてしまいましたが、いきなり繋いでも“なじまない”から、という意味のつもりでした。継ぎ目がなじむには時間がかかる。じっくりやらなくてはいけないし、その間モノを流してはいけない。そのくらいは言わなくてもわかるだろうと期待していた。期待しているふりをしていた?

それで、案の定、だったと思います。突然くっついた水槽の穴同士は継ぎ目が当然なじまなかった。そもそもどうやらくっつく過程で何度もぶつけて穴がべこべこになっていたとのこと。絶望的になじまない継ぎ目に、それでもモノが通ろうとした。不純物まみれでガタガタのモノ。案の定。フィルターはもうありません。不純物は穴にまとわりつき、目を詰まらせ、汚し、穴はサナダムシのようにねじくれ、ねじくれた場所が腐蝕に侵され、ほどなくして破裂。欺瞞とごまかしで無意味に不必要に大きな傷をつけて。*1*2

 

 

ほらやっぱりフィルターが必要だった。かしこいフィルターが。

 

これはフィルターをはずしたせい?

気づかないふりをしていたのは、本当に僕だけ?

 

「幸運が三度姿を現すように、不運もまた三度兆候を示す」

見たくないから見なかった。

気がついても言わなかった。

言ってもきかなかった。

案の定。

 

 

僕は裏切られてはいませんね。

かつてパイプ役だっただけのこと。そこで見てきたものが正しかっただけのこと。

ただ、そうでないかのように隠してきました。自惚れを唾棄して。

 

とある誰かの化けの皮がはがれた。はがれる前から知っていた。ヒツジをかぶっているの見たくないから見なかった。気がついても言わなかった。二度目の兆候にいた。そうして知っていたのだから、裏切りなんかではなく、裏切ったのはむしろそう、いつだってそう、自分を裏切るものは

 

 

聲の形(6) (講談社コミックス)

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まあいいや。僕が本命で期待していた通り後輩たちは皆とてもたくましいし、多少視野が狭かろうが大人より賢明で懸命に自分たちなりの良識を用いようとしてるし、何より人を対等に扱おうとする。4月に何の憂慮もないと結論づけた僕の認識は変わらない。

彼らがどう転がっていっても、転がそうと手を出したがるどうしようもない大人がいても、全部ダメになっても止まらず回り続ける世界が愛おしいから、僕はまた気づかないふりに戻る。向かなきゃいけない“前”もある。

ただ一瞬この気づかないふりをやめた瞬間を記事にしてここに残して、何になろうとなるまいと、踏み台にする。踏み捨てたものが足を掴みたいなら振り払わないから好きにすればいい。また何度も巧みに抜け道を探すがいい。僕はまた気づかないふりをする。

これは私信でも何でもない。単なる徒然。二度と思い出されはしないもの。

 

過去の記事 

4月13日【この時期に新社会人に向けて:学生サークル目線のメッセージ】 - case.728

 

*1:たとえで伝わらないならストレートな意味に戻す必要がある。つまり顔を突き合わせずに話をすべきではないと口を酸っぱくして言ってきたが、ならばいきなり現れて話をし始めても「顔を突き合わせてるからセーフ」となるかといえばそんなことはあり得ない。ちゃんと言わないとわからないなら話が長くなるのももう遠慮せず言うが、顔を突き合わせていないというのは継続的な話であり、信頼の話をしているつもりだった。つまり、複数の似たようなタイムリーな問題に対し、互いに近しい立場に立って、リアルタイムで肩を並べて対応するという、まさに「サークル活動」を共におこなっていて初めて、信頼という名の共同体意識が生まれるという話だ。それが僕らにはもうあり得ないと訴えている。チャンスとは一発勝負ではなく断続的なものだと言っている。かつて自分を含む同世代のことをサークルに対して「期限切れ」と断言したことがあるが、それは個人の実力の限界や団体の変容の問題ではなく、単に時間と人の流れによる、ほぼ完璧に自然的な結論で、簡単に言えば「現実」というやつだ。僕らOBが現役にとって肩を並べるほどの信頼を創造できる”時間”というものが、すでに十分に過ぎ去ってしまっている、ということを常に言ってきた。とにかく過去に戻ることはできないし、僕らの時代は過去にしかない。それがここまで言われてようやくわかったら、いい加減にしなくてはいけないよ。過去が現在にないことを認めないことで犠牲になるのは現在の者たちだ。過去に対して掲げる義理やら道義やらのうちに、果たして相手であるはずの現役世代は存在しているのかい?その義理というやつは結局、現実から目を逸らしている自分を美化して守るためのものではないのかい?その義理で書いた感想文を受け取るのは誰だい?いい加減正常に内省した方がいい。できないなら病気だ。医者と薬を頼るがいい。ついでに、自分を小人などと自称して逃げを打つのももうやめた方がいい。社会人の疲労困憊の様子を気遣って言わずにおいてきたがそれが間違いだったのだろう。いかに腐っても頭が悪かろうとOBはOBであり、その発言は巨大であること、信用を失えば「大敵」に転がり落ちるしかないし、現役側からは理性的判断としてそうせざるを得ないことを自覚したまえ。いやまだ足りなかった。いかに相手が小馬鹿にすべき相手だと思い込んでいようとも、舐めた真似をしていい理由にはならないという常識をさっさと思い出したまえ。いいかい?ただ過去だけを見て「あの頃はよかった」とぼやきたいのなら、僕はいまだに隣で相づちを打ち続けようと請け合っているのだ。

*2:作者が好きでか、あるいは「現在の」執筆者たちが好きで感想を書くのであれば、僕らは対等で貴重な「部外の一読者」になることもできたのだ。自分たちが現役だったとき、あれほど待ち望んだ存在を、愛しい子らに与える側になることもできたのだ。無論、愛しいと思うならばこそ。憎いと思うなら、その道はない。