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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

映画録76『フルートベール駅で』

映画

今月一番のおすすめ(暫定)。

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いい年した大人になった今でも、「死んだらその後どうなるの?」なんてことをちょくちょく考えてしまうのが僕ではあります(^^;)

ただ昔と違う点として、死後の自分の意識がどうなっちゃうのか、を考えるのではなく、死んだ後に“この世界での存在”がどうなっていくのかを考える。自分のことだけでなく人間全部を見て、“人一人が死んだ後の、その人の世界”がどうなるのか。

ギャング・オブ・ニューヨーク』のラストを観れば、“その人”が今やこの世界のどこにもいないとして、ひたすら世の無常を感じるし、遺したものがあってもいずれはそれらも滅び消え去ることを僕らは知っています。

しかしながら、僕らがその非常に強大な真理である“世の無常”に、特に憂鬱でもない限り流されることってそんなにはないですよね。

いよいよ危ないと言われている祖父が仕事をしていた頃の帳簿を開いて見たとき、そこにある几帳面さには感嘆を覚え、自分もこのように生きようかな、なんてふうに思う。いずれは死ぬんだからこんなことをしても無駄だ、なんてふうには思わない。

にもかかわらず一方で、いずれ死ぬこと自体はよく理解している。

だけど自分や他人の死を受け止める覚悟ができているというわけでもない。

 

 

映画『フルートベール駅で』は、人間の純朴で特に刺激的でない“生”をふんだんに描きながら、ただひたすら“死”の一色に満ちた作品。

2006年元旦、サンフランシスコのフルートベール駅で実際に起きた、警官による青年銃殺事件の顛末を語るこの作品は、冒頭でその事件の概要と実際の記録映像(一般人提供)を紹介したのち、事件前日である大晦日の朝からの青年の“最後の一日”が本編として始まります。

元日の夜明け前に青年が銃弾を受け、手術台の上で息を引き取る早朝までの、ちょうど24時間です。

 (以下、ネタバレ注意。

 

 

主人公の青年にとって、2005年の大晦日は実に特別な一日でした。母親の誕生日でもありました。

大麻(と思しき)の売買で過去に何度も刑務所のお世話になってきた彼は、母親の苦悩を知ったことと、奥さんや三歳になる娘への愛のために、まっとうな生き方をしようと努力し始めたところでした。ところが、仕事は二週間前にクビになり、クビになったことを家族みんなにずっと黙っていたのです。

青年は働けているふりをするためにどうしてもお金を作らなくてはと思い、再び大麻の売人に戻りかけます。

しかし彼はすんでのところで思い直し、大麻を海に捨て、奥さんに仕事をクビになったことを打ち明けたのです。

 

奥さんは彼を許しました。

刑務所で一度勘当されたような関係だった母親とも、家族みんなといっしょに彼女の誕生日を祝うことができました。

新しい年へ向けて、彼は今度こそ自分を新しくするためにまっすぐ歩き出そうとしていたのでした。

 

 

僕が今まで観てきた映画の中で、本作ほど「途中で映画が終わればいいのに」と願うように思わされた作品はないかもしれません。『隣の家の少女』のように邪悪で凄惨な描写や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のように陰鬱な展開を目の当たりにして「もう観たくない」と思うのではなく、「今がラストシーンならどんなによかったろう」と考えたのは初めてな気がします。

あんなにも幸せで、苦しさと切なさの中に“生”の輝きも見せながら、あらかじめ強調して教えられた結末のため、劇中には常に“死”の香りが立ち込めている。

少なくともそれが絶対に「振り払いたいもの」だということを、本作を観れば知ることになります。あるいは、未来を見据えて歩く人間がいかに輝いていて魅力的かということを、です。

 

要するに僕は、主人公の青年に「生きてほしい」と心から思ったのです。

そしてその思いこそ、今まで観てきた映画の中でおそらく一度も抱いたことのないもの、あるいは同じ思いでも、そこまで強く大きいものを抱いたことはかつてなかったのではないかと思います。

撃たれた青年の運び込まれた病院へ彼の母親が駆けつけたとき、敬虔なクリスチャンである彼女の「主よ、お守りください」。僕はキリスト教徒でもないのに彼女の口走ったその言葉を、青年の手術が“終わる”まで延々胸の内で唱え続けていました。別に青年を救ってくれるなら仏でも魔法使いでも何でもよかったでしょうが、母親が神に祈ったので神に祈るべきだと思ったのです。青年に救われてほしいならば。

 

繰り返しますが、主人公の青年が銃弾を受ければ死に至ることはあらかじめわかっていたことです。わからされた上で観せられるようになっていますし、僕自身わかった上で観たつもりです。

それでも、青年の“生”を見て、たとえ苦難に満ちてはいてもそれが輝きを秘めていることを感じ取って、決まり切った結末に対して“覆ること”を僕は望みました。

これが“人の生の尊さ”というものの存在証明でなければ、いったい何だというのでしょうか。

いかに世の無常が真理として強かろうと、きっとこの感傷が消え失せることはない。強く最後にそう感じた次第です。

 

 

 
『フルートベール駅で』予告編 - YouTube

作品情報『フルートベール駅で』

原題:Fruitvale Station
2013年/アメリカ/85分/映倫:PG12
監督:ライアン・クーグラー
製作:フォレスト・ウィテカー
製作総指揮:マイケル・Y・チョウ、ボブ・ワインスタイン、ハーベイ・ワインスタイン
脚本:ライアン・クーグラー
撮影:レイチェル・モリソン
音楽:ルドウィグ・ゴランソン
キャスト:マイケル・B・ジョーダン、オクタビア・スペンサー、メロニー・ディアス、ケビン・デュランド、チャド・マイケル・マーレイ、アナ・オライリー

(あらすじ)2009年の元日、米サンフランシスコのフルートベール駅のホームで、3歳の娘を持つ22歳の黒人青年が警官に銃殺された事件が起こる。ごく普通の市民にすぎなかった青年が、なぜそのような悲惨な死を遂げたのか、青年の人生最後の1日を描く。(映画.comより)

 

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