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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

霜月のラッシュアワー

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11月が……濃すぎるっ……!!

今月は個人的に本当にいろいろありました。しかも全体的に想定外というか仕事外というか。
中でも、いわば自分が一つの門出を迎えたのですが、ほどなくして天国へ逝かれる身内の門出を見送ることになるなんて思ってもみなかったわけで、それが今週の初めのことでして、なんちゅうか、とにかく今は体力がヤバい…!


実のところ今の歳まで身内のお葬式って一度も体験したことなかったんですよねえ。
しかも喪主がご高齢だったので、事情があって動き回れない父に代わって母と弟と三人で走り回り、初めてやら十数年ぶりやらで顔を見るような親戚の方々へ挨拶に回りまくり、てんやわんやしているうちに気がついたら一心不乱に白木の箸で骨を拾っておりました。

精神的にも肉体的にもすごい疲れますねお葬式(^^;) と言いながらこれからまだ地獄の書類仕事です。相続云々でめんどくさいことになるおうちの話なんかテレビやら井戸端やらでしばしば耳にしますが、そんなのもなくって大往生につきなごやかムードでも怒涛だよ人一人死んだ後の手続きィ!
ご夫婦の片割れが後を追うように逝かれることがあるとよく言いますが、葬式疲れで喪主が倒れるというパターンが概ねを占めるのではないかと考えてしまいます。死因イコールお役所とか全っ然面白くない!

これでさらに亡くなった人の死があまりに悲しすぎて耐えられないようなものだった場合なんか、果たして回るものが回るんでしょうか。最近の葬儀屋さんはかなり至れり尽くせりで、死亡届の書き方からお世話してくれるのですが。


しかしまあそれはそうと、先人が逝ってしまうという事態にナマで直面すると、自分に対して“残された”という実感が芽生えて焦りだしますね。
あんまり人の不幸をネットや公然の場で発信と書いてひけらかすものでないとは思いますが、まあ少なくとも身内ですし(他人の家のことなら言語道断)、ちょっとそういうことを言いたくなったので記事にしています。


「いつまでもあると思うな親と金」なんて誰もが聞き飽きてるフレーズでしょうが、この“焦り”ってそういうことでもないんですよね。最近車の運転に注力しているせいか、そのフレーズからはガソリンのことを連想させられます。
自分で車を運転しないうちは、家のある車には親がガソリンを入れてくれる。しかし自分で車に乗るようになれば、「いつまでもあると思うな親とガソリン」となる。でなければ大通りでいつかガス欠を起こして赤っ恥をかくかもしれません。

けれど“残されたことによる焦り”はそういう話じゃない。
再び車の運転で例えれば、車列の一番先頭を走っているときの心細さによく似ています。

自分の前を他の車が走っているときは、基本的にはその車についていくように運転していればいい。
前がちゃんとしたドライバーなら、適当な速度も道幅も、ブレーキのタイミングも横断者がいないことも教えてくれる。こちらは速度計にサイドミラーにとそれほどたくさんは視線を動かさず、ほとんど前を見ているだけで済むので、ストレスも少なく済みます*1


先人がいなくなるということは、この「前の車の走りから得られるはずの情報」が単純に“減じる”ということでしょう。

倣い習うべき相手がいなくなる心細さと焦り。
特に高齢の人については「戦争を知る人」という意識が僕は強いです。
少年少女期に戦争を体験した人々の考え方や行動には、戦時中の体験が影響を及ぼしていることがよくありますし、戦争の体験に裏打ちされたような価値観もしばしば見受けられる。それはもはや僕自身には体得しえない種類の「ものの見方」であり一種の知性です。
それを持つ人が生きているうちは倣い習っていれば済みますが、いなくなってしまえば僕も真似ができなくなる。実質的に自分のできる「ものの見方」のレパートリーが確実に一つ減ることになります。
知性のレパートリーは先人が消えていくにしたがって狭まり、徐々に自分一人だけでなんとかできる範囲へと近づいていく。完全に自分一人だけにはならないし、僕らには記憶という機能があるけれど、それでも遠い先人ほど当人を見ながらでないとモノマネは難しくなっていく。
その人が亡くなり、難易度の高いモノマネがもはや不可能であると実感したとき、その喪失感は自分が車列の先頭でアクセルを踏まなければならなくなりそうな予感と表裏一体となって近寄ってきて、僕に焦りを与えるのでしょう。


お通夜からお葬式まで通して、本番中僕ははずっと会場の受付係をしていました。
その間、弔問に来てくださった方々の中で何人か、「寂しくなりますねえ」と僕に声をかけていきました。
車列の先頭を走るのはいくらか痛快でもありますが、同じくらい心細くてハラハラします。
ここ一年くらいかけて「そろそろだ」「もうすぐだ」と理解してきても、覚悟に実体はありません。
せめてガソリンくらい自分で入れられるようになっておいてよかったとは思いますが、本当に寂しくなってしまいましたね。もう僕は、あの人にならうことができないのです。


もっと多くをならっておけばよかったなどの、少なからぬ悔恨をかみしめながら

合掌。礼拝。


カー・ロボティクス

カー・ロボティクス

しかしこんだけ忙しいとむしろ落ち着いたあとで無気力にならないか心配。

*1:前の車に頼りすぎる漫然運転はそれはそれで危険だが、前方の車がどう走っているかには運転に必要な情報の多くが集約されているもの。