case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

五月病を斬る

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仕事用と称してクロームブックを導入。この記事もクロームブックで書いています。
目下の課題はショートカットキーの習得です。
文章書くのにHomeキーとEndキー、F7キー、deleteキーが無いとこんなに不便なのか……とさっきまで思っていたのですが、まだ知らなかったショートカットキーの組み合わせがなんとSearchキー!こんなところまで!って買ってからこんなにわたわたしてるなという話ですね(^^;)
まあ実際不便なのはMicrosoftでいうところの「変換キー」がなさそうだということくらいでしょう。AltとCtrlとShift、さらにSearchをいろいろ組み合わせながら駆使して足りないキーを補っているので今はこんがらがってブクブク言ってますが(だから買ってからry)、そっちは覚えて慣れるまでの辛抱。寛容さが肝心です。


慣れるといえば、この新しい体にもそろそろ慣れ新しい生活が始まってそろそろひと月です。ブログ的にはいつの間に始まってたんだそんなもん(;'ω')という感じかもですが、まあとにかく普通の日記のようなのくらいしか記事を書く余裕もない生活が始まっておりました。映画は映画館で『神様の言うとおり』と『紙の月』と『インターステラー』を観ました。家では『渇き。』を観てなぜか過去記事に見つからない『ダークナイト』を観直しましたってなんかめっちゃ余裕みたいですけど感想を書く余裕はありません(^^;)*1


とはいえ環境には慣れるものです。まだまだ初級編が終わったぐらいでは、すぐさま中級編が始まるので気が抜けるわけではありませんが、それでもいらない肩の力は抜けてきたように思います。薄れゆく緊張との反比例。あるいは緊張そのものに対する慣れなのでしょうか。いずれにせよ、意識の視野が広がりクリアになっていく聴覚には、次第に“それ”の足音が聞こえ始めています。


五月病になっちゃう!このままでは!(;゜Д゜)*2


3日以上続いたことは3月続く、3月以上続いたことは3年続くとよく言います。
しかし“五月病”は例外。緊張の糸が切れてしまうと、それまで気を張ってオオゴトに捉えていた物事がなんでもないことだとわかってくると、そのギャップの大きさのせいで「なんでもないこと」どころかいっぺんに「つまらないこと」に思えてくる。「つまらないこと」なんかに今までやたら一生懸命になってた自分がなんだがアホくさくなってくる。アホくさいことにはもう一生懸命になれない。一生懸命になれない自分を自分で見て、「やっぱ俺この仕事向いてないわ」いるいるいるよね貝社員♪アサアサリンリン♪('∀')


歌ってる場合じゃない。車の運転も慣れてきた頃に事故率が上がります。


自慢ではありませんが、今までの人生で「長く続けてきたこと」というのはいくつかあります(もちろん「続かなかったこと」もたくさんあります)。ただそれらのほとんどは、慣れる慣れない以前に果てや落ち着くところがなく、先を見れば途方もなく長い、上を見ればとてつもなく高い、といったたぐいのものばかりだったので、3ヶ月くらいでちょっとした結果を出してこの先も続けるか続けないかという自由選択の岐路に立つことはあっても、慣れのせいでつまらなくなって投げ出すような“五月病”とは無縁と言ってよかったのです(もしくはやめたくてもやめられない理由があった場合など)。

しかしこの“今の生活”は違います。ひと月と少しで間違いなく無気力になっていくかどうかなんてわかりませんが、少なくとも条件は揃っています。自分の五月病を心配しても何もおかしくはないでしょう。


しかしそれではどうするか。
今までの体験から、「長く続けてきたこと」が続いた理由の大半は“慣れることがありえないから”です。どんなに自分が手慣れてきたように思えても、さらなる高みが無限大にあるので「慣れの自覚」がただの甘えであることをたちまちのうちに思い知らされます。前を上を見続けるしかない。そのストイックさの強制に嫌気が差して逃げ出しさえしない限り、僕らは半永久的に貪欲たりえます。


貪欲。そう、五月病にならないために必要なのはこれです。ハングリーです。


目標を設定しましょう。

僕の「長く続けてきたこと」は、それ自体が僕を貪欲にしてくれる装置でした。しかし、今は自分で自分に貪欲さを付与していかなくてはいけません。
そのために、私的なことでいいので“今の生活”の成果が関与する目標を設定するのです。


というわけで、

犬を飼うぞ!

おー!('ω')丿


なんで、犬?というかそれ以前に、そんな動機でペットを買い始めちゃうと普通に後悔するぞ?と人からは思われるのが当たり前でしょう。それはきっとそうですが、犬を飼いたいということ自体は、それだけで独立した考えとしてかなり以前から温めていたものです。実のところは、その計画実行の機会を今へ持ってこよう、という話にすぎません。

犬を飼うのは二度目になります。もちろん一度目は天寿を全うしてもらうまで飼いました。
今なら一度目よりもっといい条件、いい待遇で飼える自信だってあります。あの頃は子供で、親が誤った飼い方をしていても文句を言えませんでしたが、大人になった今は家族を説得できます。

実際には2月を目標に、環境や資金を整えていくつもりです。前に飼っていた犬が死んだ後に彼のものはほとんど処分してしまったので、ここは時間をかけなくてはいけません。さらに11月の喪中が尾を引いて家族もドタバタしています。
慌てることはありません。当面の目標が“飼うこと”なのです。ならば五月病は乗り切ったも同然ではありませんか。

なんで犬?
犬はいいものです。真面目に躾ければ答えてくれますし、家で待っていてくれます。そして愛らしくエネルギッシュで、この世で最もむき出しの魂に触れさせてくれる生物です。
農学系の大学を卒業して僕もしばらく経ちますから、命のお世話に飢えてきたというのもあるのでしょう。ハングリーです。

まあこの話を家族にしたら、それはお前、犬より女を探すべきなんじゃないかと笑われましたが。うーん、人間のお相手は、下手くそですし緊張するのでもっと落ち着いてからでないとちょっと。目下のところ気があるかもと言えるのは美術館の学芸員のおねえさんくらいですが、話しかける勇気なんて毛ほどもないですし。まだ石川寅治展やってるから前と同じ日時のギャラリートークを聞きに行けば会えるかも、とは思ってますが完全にストーカーなので却下しました。今日はしばらく行けてなかったカラオケと喫茶店に行きましたよ。まあこの話はこれでおしまいにして。


それで、どんな犬を飼おうか、という点で長く考えた末に、今ちょっと里親になることを考えているんですよね。

いや別に、恵まれない子どもたちに救いの手を!みたいな褒められたレスキュー精神があるわけではないんです。義憤を元に行動するのもあまり好きではありませんし、めちゃくちゃ穏やかな気持ちで、里親になろうかな、と思うわけです。
そりゃ、血統書付きのアメリカン・コッカーとかボーダー・コリーの子犬とかがかわいくて好きですよ。でも、お金を出してペットショップやブリーダーさんのところにいる彼らをお迎えしてくれる人は世間にゴマンといるわけです。それなら、別に僕がそっちに手を回さないと、売れ残りが出て殺処分がされる、なんて、まあ実態はどうかわかりませんが、手に負える危惧じゃないでしょう。その世間にゴマンといる人々がみんな信用できるかどうかっていうのも、じゃあ会ったこともない人を最初から疑ってかかるのかいという話です。

ペットショップのダックスフンドは自分以外の誰かが幸せにしてくれる。それはもう前提。
だからじゃあ、自分は別に歳を取って捨てられた犬でいいんじゃないか、と思ったのです。
正直なところ、血統書付きであることや初めは子犬であることには全然こだわりがありませんし。

また他にも、まだ見ぬ彼か彼女かがすでに前の人生(人生じゃなくて犬生ですが)を持っていることに魅力を感じるし、自分のところで第二の人生(犬生)を歩んでもらおうというのも素敵な考えに思えて、幸せにしたいモチベーションもグンと上がる、という理由があったりもします。
ただ、そのへんはさておきですね、里親という選択肢自体には、実は結構“人間社会の側の”面倒ごとがつきまとうみたいなんですよね。
まあ恋は困難な方が燃えるというか、もはや貪欲に考えを巡らせるうちに五月病なんてすでに風前の灯だぜ神に祈る間をやろうハリィハリィって感じになっちゃってますが、それでも学芸員のお姉さんに話しかけるモチベは上がりませんが、その面倒ごとについてはまた改めて、記事にする気になったらするかもしれません。単純に今日の記事が長くなって脱線もしてきたので、今日はこのへんで。


それにしてもこのクロームブック、バッテリーの持ちがパないです。しかも「パない」を変換してくれます。マジパないです。

acer ChromeBook C720 (日本正規品)

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*1:その他にアメリカ版『オールド・ボーイ』、『Persona3』劇場版第一弾、『新しき世界』、『声を隠す人』、『クソすばらしいこの世界』をDVD観賞。

*2:Wikipediaの五月病とはちょっと違います。独自解釈ですが、これもきっと立派な「五月病」の一つ。