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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2014,1,21 PM10 【劇場映画録『エンダーのゲーム』】

王道から逸れるものはえてして反発を招きます。

でも“時代遅れ”と“古きよき”を混同したまま、いい方にばかり捉えていたら、
ただおいて行かれるだけですよね。

老人ホーム的な楽園もこの世にはアリですが、若い時分には怖ろしくもあるものです。


昨日は半ドンを利用して、『エンダーのゲーム』を観てきました。

おうち観賞マン卒業の第一歩。うそです。

ていうかついにTOHOシネマズの手先に実は年末のかぐや姫観賞時からシネマイレージを利用し始めました。
ですからこれからはちょくちょく劇場観賞の記事も増えていくことでしょう。
カテゴリ分けとかは調子に乗ってきたら考えます。


さて、妙に気合いの入った能書きから書き始めて何ですが

観賞のモチベーションの方はいつもどおりたいそうなものではなく、
概ねはシネマイレージの会員特権(500円OFF)振るってみたかっただけというむき出しの貧乏性。
それから上映時間との兼ね合いです。後者がなければペルソナ3だった可能性も。

もちろん予告編くらいは見て、
「主人公が指揮官として成長していく」
「最後は3Dディスプレイで艦隊を指揮して陣取りゲームするらしい」
というあたりには食指を動かされてから行きました。
指先一つで巨大な宇宙戦艦を右に左に。それも一隻や二隻ではない!
って言われるとワクワクします。コードギアスの第2期終盤とかもそんな感じでしたし。ああ懐かしい。

遺憾ながら原作は未読。
しかしながら海外のSF小説。てことはものっそい長編だったんじゃないかと。その映像化の結果やいかに?


※以下、観賞済みの人向けの記事ですが、一応ネタバレ注意。




《つめこみすぎ?/知性的なマチョイズムの権化/終盤は一見の価値あり》

さすがにおうち映画観賞にばかり偏って年季が入ってくると
ぼくのようなのは「映像がすごい」というだけで満足し、
正直2000円でも破格じゃないかと世間一般から外れたことも言い始めるのですが、

とりあえずいったん冷ましてみてから脚本を思い返すと、
なんというか非常に“早かった”です。

序盤で主人公・エンダーは、バトルスクールのベースキャンプ(軍学校のエリートコース的なところ)に送られるのですが、最初は新米部隊から始まって、次に実戦訓練のあるエリート候補部隊、そしてその中に自分の部隊を持つようになります。
この流れの中でエンダーは、彼個人の実力を上から認められることでのし上がっていくので、当然昇進の前と後では身近な人間関係がそっくり入れ替わってしまうことになります。

こいつは相棒になるのかな、この子がヒロインかな、と多くの人は物語を追いながら主人公以外の登場人物にも役名をラベリングしていくでしょう。しかし本作の場合、ある程度人間関係が発展して形が観客にもつかめそうになってきたところでエンダーが昇進してしまい、新しい別の人間関係が始まります。
人間関係ごとにエンダーが抱く感情も違いますし、それらを充分に掘り下げないうちにまた昇進が決まる。という流れを、どうも120分という映画の短い枠の中で4回、5回と繰り返していました。これではついていけない、感情移入できないと言いたい方はきっと多いんじゃないでしょうか。

尺の問題はエンダーの訓練や終盤のバトルシーンにも影響していました。
端的にいえばダイジェストという有様。
艦隊戦は映像がすごいので「なんかすごい」ぐらいは伝わってくるのですが、陣取りゲームやチェスに擬えて考えられるような「戦略的なすごさ」「エンダーの天才性」は非常に不透明です。艦隊も主力以外の説明はおざなりです。
バトルスクールでも、模擬戦闘の最終試合は詳細に描かれるのですが、エンダーの部隊「ドラゴン隊」がそこまでのランキングを塗り替えていく様子は、その事実だけが言葉で語られます。
ドラゴン隊はクセの強い隊員揃いで高いポテンシャルを発揮できない、典型的な“指導者次第では最強”の部隊で、その結束の過程を描くことも、指揮官候補・エンダーの天才性を表現するには不可欠だったでしょう。

ここまでダイジェストっぽさ、淡々とした話の運び方や、キャラクターの深みのなさを肯定しておいて何ですが、なんだかんだでそういった特徴がそんなに嫌な感じでなかった、というのがぼくの率直な感想です。
そういう方面に期待してなかったからとも言えます(もっと横暴な言い方をすれば間違いなく大味そうなアメリカ映画が実際に大味だったところで幻滅はありませんし)が、
概ね観賞者を置いてけぼりにするくらい立ち直りも決断も早いエンダーのキャラクターが、その“早さ”においてぼく個人としては好感が持てたというのが大きかったのだと思います。

おそらく一般受けするキャラクターというのは、プレッシャーに負けそうになればくよくよとしばらく悩み、権力の強い相手に虐げられればしばらく涙を呑むというふうに、とにかくカタルシスを得るために間を置いたり溜めたりするのだと思います。そのほうが等身大的なためにリアリティを持ちやすく、観客の共感も得やすいためです。

それはまあ、そうだとも思うのですが、しかし本作のエンダーは反骨心が人一倍強いながらも、頭の回転が非常に速い少々特殊なキャラクターとして描かれているように見えました。概ねそんな彼が常に大局的な判断ができていないわけではなく、むしろ常に理性的な答えが自分の中にある上で、自身の衝動的な感情に対して葛藤を抱いてしまうタイプ。これは、実は数あるアクション映画のマッチョ主人公と、まったく正反対の精神構造にして、ある意味それらとほとんど変わらないくらいにパッショナブルな性質を持っているということです。


はっきり言って、本作のエンダーは言葉で語れる以上に面白いキャラクターでした。

並み居るマッチョ系主人公たちというのは、答えがわからないながらも衝動に任せてぶつかっていくことで最終的に答えを導き出すという、言い方は悪いですが右脳で動いて左脳は筋肉でできているタイプです。そしてどうやら普通の人というのは、このタイプの方に好感を持ち、感情移入もしやすいらしいです。

対してエンダーは、何らかの衝動を覚えることはあっても、同時に理性的な答えを用意してそれを優先する必要性も自覚し、実行までできるタイプです。
彼が答えをサクサク出してどんどん進んでいく様子は、多くの人には淡泊に見えるかもしれません。しかしその反面で、どんなに理性的な判断ができても、それに対する好きか嫌いかを自問することを彼はやめられません。
反骨心豊かであるという描写がここで生きてくるのですが、このタイプの人間というのは見かけだけパワフルな行動選択をする連中よりもはるかにパッショナブルで、最終的にはその情熱をも納得させるような合理的な判断をくだし、そして実践してみせるという、あらゆるマチョイズムの頂点に立つような存在なのです。

要するに、やりたくないことをやりたくねえと死にものぐるいで叫び続けながら、それをやらなくちゃいけない理由まで自分で用意してやり遂げる。そういうキャラクター。

本作のエンダーは間違いなく、右脳が筋肉でできている頭でっかちです。

そして自分は、そういうパッショナブルでありながら知性的というキャラクターが大好きです。というか、この二つの性質を併せ持って初めて実現する“大局的マチョイズム”というやつですね。正直現実でもそういう人が好きです。スカしてないというだけでも好感触。
また作品自体がそこのところを礼賛してきますからね。ちょっと気が付きにくいかもしれませんがめちゃくちゃ終始「ようこそ…『男の世界』へ…」です、この映画。

もちろん、エンダーをそういうキャラクターとして愉しめても、そこだってもっと丁寧にやればよかったろうと思わなくはありません。
それこそ『ホビットの冒険』よろしく3部作くらいでやればよりよかったでしょうし、原作では個々のキャラクターやエピソードにちゃんと深みがあったというなら批判したい人の気持ちもわかります。

しかし、さすがにそのあたりの事情を決めるのは製作会社の意向であって、スタッフの判断ではありません。
小さな製作の範囲で言えば、エンダーを一貫して上のようなキャラクターとして描いてくれただけで個人的には大満足。
むしろ、大きな流れではラストに繋がるようにわりと細やかな布石をしっかり置いていて、そういう意味ではなかなか堅実な脚本だったとも思います。

そしてそのラストがまたひと癖あるという。

全体的にも下手なアクション映画よりマッチョだぞこの映画は、と思って観ていた自分にとってはことさらに、終盤は唸らせられる展開でした。

先に書いた通り、艦隊戦自体は尺も短く内容も大雑把で、期待していた人の多くはがっかりしたことでしょう。
しかしながら、思えばどんなに戦闘で凝った描写をしたところで、敵を倒して大団円、なんやかんやでめでたしめでたし、という王道的な流れの最後の部分が捻じ曲げられることというのはほとんどないわけです。
この映画も見ているうちにどうやらそういう手合いのようだと思い始めて、正直にいえばうんざりするような気持ちもちょっぴりあったりしていたのですが、
それだけに「やられた」と思いました。

いや、単に意外だったというだけならそれほどの感動もありません。
思い返したときが肝心です。終盤までの流れは明らかに王道的な“撃破と大団円”を臭わせるような展開でした。
しかし、思い返すとどうもクサいのです。
当たり前すぎてまんまと乗せられてしまいましたが、よくよく思い返すと「これは王道的な展開である」と不必要なまでに強調して主張されていたような気がする、というか、間違いなく狙っていたんじゃないかと思うのです。

その上での王道外し。
いや、まだまだそれだけでは飽き足りません。

正直ぼくが“撃破と大団円”にうんざりするのは、反戦意識も高まり続けている(と思っている)このご時勢に、まだ見敵必殺マンセーみたいなことをしているのか、ということを少なからず考えてしまうからでもあります。戦争反対とかこの場を借りて主張するようなつもりは毛頭ありませんが、しかし時流に乗り遅れているように見えてその点がつまらない(面白ければ別です)となると、溜め息をつきたくもなります。

子どもの喧嘩の話を戦争の方便に持ち込んでくるような戦争脳。
思い返すと狙いすぎてて逆にきな臭い。
もしかしたら深読みのしすぎかもしれません。しかし、思い返すと、そういう時代遅れに対するウンザリ感情まで含まて、実は脚本の狙い通りだったんじゃないでしょうか?

なにしろ、何よりもあの終局です。

最終兵器が敵の惑星に命中したときのエフェクト。

反戦大国の日本人ならちょっと共感してほしいとまで言っちゃいたいくらいです。
ていうか、あの瞬間の登場人物たちの表情がわりと赤裸々なのです。

人によっては殲滅が無事に終わるのを固唾を呑んで見守っているように見えたかもしれません。
が、ぼくには恐怖で唖然としているように見えました。

そして明かされる真実と、エンダーの激昂。

マチョイズム溢れるガチガチの軍事ものが、最後の最後でひっくり返って戦争の理不尽さをぶちまけてきた。

似たようなことをしてきた映画ってそんなに少なくもないとは思うのですが、しかしこんなふうに懐に潜り込むようにしてどストレートにえぐり込むアッパーカットみたいな挑発的で挑戦的な作品って、世にどれくらいあるでしょうか。
というか、最終兵器のあのエフェクトって“現代の戦争”のシュミレーションにも近いんですよね。あの兵器自体はファンタジーですが、“現代の戦争”がもし起こればああいう結末しか待っていない。それをまるまる描いちゃっただけでも革新的。

いやはや、ここまで含めてめちゃくちゃマッチョな映画だったと思います。
映画の出来だけを見るとやはり何かとしょっぱいのですが、最後のドグサレアッパーカットとエンダーのキャラクターのせいでまったく悪い感情が抱けないという、自分にとってはちょっと不思議な作品でした。ヘルシングの少佐に観せて感想聞きたい(笑)


一つだけ、個人的に気になったことをいえば、
あれだけ突き落とすような終盤だったのに、女王の卵を見つけたところはともかく、あのラストって軍に容認された上で出発してますよね?取引上手のエンダーがうまく上層部を脅して説得して許可してもらったとは考えられますが、それでもあの上官たちなら「事故に見せかけて暗殺」とか普通にやりそうなものです。戦争が終わってエンダーは用済みですし。
続編がどうのという噂もちらほら耳にしますが、全然そういう気配のするエンディングでもありませんでした。製作側的にはそういう話が出ているのかもしれませんが。

まあ、単純に飛び立っていったエンダー機が遠くで爆発するとかは、さすがに趣味が悪すぎて本作にもそぐわないとは思いますけどね。


次は暇があればやっぱりペルソナ3を観に行きたいです。わりかし好評のようですし。

今年はあとはとりあえず、3月の『アナと雪の女王』が待ち遠しいですね。
イディナ・メンゼルが歌ってるあのPVとか設定とかCGのクオリティとか、キャッチマイハートもいいところ。エルサ女王超プリティアンドビューティフォー。あのPVでネタ帳にページが一個増えたなんて余談もすでに(笑)