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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2014,1,26 PM12 

徒然

「戦争を知らなければならぬ。

戦争に死するのであれば覚えることに意味などないが、
生きて戦争を知れるのであれば、知らなければならぬ」

これは誠実な意志や使命感から言うのでは全くありません。
たぶんストイックなものではありますが、単なる知的好奇心です。

もちろん個人の趣味や教養の域でですが、
戦争の資料やドキュメント、そして戦争を題材にした映画等の創作にもそれなりの数触れているうちに、頭に浮かぶようになってきたのが上の言葉です。

なにしろ、いまだに「戦争」というものを理解し切れるような予感が致しません。

理屈の上の問答を求めるつもりはないのです。
初めこそ「戦争がなぜ起こるのか」というが自分の問うべきところだと考えていましたが、どのような方の結論もそのアプローチだと大きなメカニズムの話にばかり行き着くようで、
しかしながら自分の理解したい“戦争”とはそういう話題の先にあるものではないようなのでした。

特に、人間が愚かだからとか動物的だとか、そういうもはや分かり切ったようなことに興味はないのです。必要以上に偽悪的になっていじめと戦争はなくならないとか、なくすためにはどうしなくてはいけないとか、希望絶望どちらにせよそういう結論的なところへ結びつくような話を聞きたいわけではないのです。
だいいちそれらは全部理屈です。思考の先に生産されるものです。

私は“知ること”を求めています。
そのためには傭兵か戦場カメラマンになるのが一つの手じゃないかと考えたことすら過去にあったような気がします。

だからきっと、もしかしたら、もっと“個人”という枠の中にあるものを見定めたがっているのかもしれません。
そこにいる人々の、理屈で説明のつくものではなく、生々しいもの。
市民の、兵士の、軍人の、政治家の、老若男女の、一人一人の。
こころとか精神性とかではなく、ひと続きの思考。
簡単に捉えるのか複雑に捉えるのかすらどっちでもいいと思っていますが、とにかく総括ではなく、あらゆる作用とあらゆる感傷の集まったもの。

映画ばかりからアプローチして求めていっているからそんなことになってしまうのかもしれません。いやこれでもまだしっくりきていない。
そもそも不勉強もいいところですから、もっと多くのものに触れながら考えていくべきなのでしょう。そもそも自分の中にある「戦争を知る」とはいったい何を求めてのものなのかから。それを知るためになら、「戦争がなぜ起こるのか」からやり直すのもいいでしょう。その問い方が一つの糸口になるような気はしているのです。


今夜は『神々と男たち』を観て自分の好奇心を再認識し、真夜中の徒然として書き出してみた次第。いい加減明日が早いので眠らなくては。