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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2014,1,31 PM13 【劇場映画録『ウルフ・オブ・ウォールストリート』】

実在する証券仲買人の回想録を元にした伝記コメディ映画、『ウルフ・オブ・ウォールストリート(R-18)』。

マーティン・スコセッシ監督で主演もおなじみディカプリオ。『シャッター・アイランド』以来ですから4年ぶり5回目のタッグです。

そしてカネとオンナとドラッグにディカプリオ。
『ジャンゴ 繋がれざる者』、『華麗なるギャツビー』と来て本作で成金キャラ3連続。
ぼくの中ではもうすっかり“今一番成金のイメージが似合う俳優”でしたが、ついに欲望のるつぼことウォール街デビューの時がやってまいりました(笑)

さあ、もはや煩悩の臭いしかしないぞ!という179時間、たっぷり楽しんでまいりました。
日本での公開は本日が初日でございます。


※以下、観賞済みの人向けの記事ですが、一応ネタバレ注意。






《FUCKを数えろ!/ひたすら“狂乱”の二文字/ウォール街はアフリカのジャングル》

結論から言って、期待通りもいいところな“最低映画”。いやいやただの“最低”ではありません。
犬にも劣る“畜生映画”と言ってやりましょう。
こんな映画のためにお金を出して3時間以上もの貴重な時間を浪費しただなんて、考えるだにモウサイコーです。サイコーと叫ばざるを得ません。サイコーすぎて非常に人にお勧めしづらいのが難点になるくらい。

ええ、実はベタ褒めしてます。
“サイコーにゴキゲンな◯ぁっきん映画”というやつです。

ストーリーは単純明快。新進気鋭のとある若手証券マンが、かのブラックマンデーを経たのちに自分の会社を設立し、ウォール街の外から怒涛の勢いでのし上がり、そして違法取引で落ちぶれていくまでの話。
描かれるのはその過程が常にどれだけ“ヤバかった”か。“ヤバい”でなければ“ウハウハ”とか“真っ黒”と言い替えましょう。客にクソを投げつけてカネをむしり取る悪逆非道の大逆無動なんてものは基本中の基本という具合です。

株式操作に強引な売り込み、違法な商取引にロンダリング
電話口での口先三寸でできるカネ儲けになら詐欺だろうが何だろうが片っ端から手を出していく。
嘘でも何でも聞く側を信用させた者の勝ち。
思想も倫理も越えて動物みたいに貪欲さだけが研ぎ澄まされていくべき、それこそがげき怖ろしきかなマネーゲームの世界観。

電話のベルと勝ち鬨と喝采と嬌声と悲鳴と怒号と罵倒が入り乱れる証券会社のオフィスはまさに狂乱の様相。市場が閉まる17時には銘々がガッツポーズし拍手しビールとシャンパンが開き、パンツ一丁で楽隊になり切った若手社員が練り歩きストリッパーがなだれ込む。社内セックスは禁止しても無意味。美人秘書は男子を完食済み。10万ドルで女子社員を丸刈りにして金魚鉢の金魚は踊り食い。

「ここはアフリカのジャングルか!」とは劇中人物の言葉ですが実に見たまんまです。
これがいい意味でも的を射てるから笑ってしまいます。

狂乱のオフィスは人としては堕落していても仕事は仕事としてきっちりやります、ただし仕事は「クソも生み出さない(劇中談)」カネ儲け、であるがゆえの貪欲なに求められていく堕落です。その場はまさに野性味そのものとも言うべき濃厚なエネルギーで常にみなぎっています。そしてこの映画自体も、同じように“狂乱”でみなぎっている。
ディカプリオ演じる本作の主人公・ジョーダン・ベルフォートが最初に魅せられたのもまさにこのエネルギー。そして同じエネルギーが映画の観客をも魅了しにかかってきます。だからこの映画は最低のくせにサイコーなのです。

またカネ以外の“狂乱”のタネでもあり、本作を語る上ではずせないもう一つのエッセンスとして凄まじかったのが、ドラッグに関する描写。
(劇中にて「カネこそ至高のドラッグだ」みたいなことを言っていますから本質的には同じ位置づけになっているものとも思われます)

いやさ、描写自体にはとりたてて個性的な工夫趣向があるわけではありません。ただ吸ってるだけ。ただし、四六時中、と言っていいほど吸いまくっています。ほとんど常に。
クラックから始まり、マリファナ、コカイン、モルヒネ等々。また本作で目立っているのは“ルード”という、すでに調合すら禁止されていて数の限られている、いうなればプレミアのついた限定品。これらをまるでビスケットみたいに無造作にキメまくっているので、ある意味特別な描写などいらなかったのだと思われます。18禁も当たり前でしょう。

こういう描写ながら、しかし全体として締まりのないドラッグ崇拝と拝金主義に終わっているわけではありません。ドラッグ描写は序盤から終始イケイケで、いい仕事ができるのもドラッグのおかげみたいなことがまことしやかに言われていますが、結局はそのドラッグ(とカネ)で身を持ち崩すストーリーでもあります。
壁を這い落ちるペッタン人形そっくりの動きでホテルのロータリーを這いずり回るディカプリオの近年稀にみる怪演を目にすれば、「……ああ、うん、何があってもドラッグだけはやめとこう」という気分になること請け合いですし、「ほーら、依存症ってこんなに根深いのよー?」みたいなこともたっぷり教えてくれます。適量主義なんてものにも依存症の前には説得力がなくなるそうです。特にカネ持ちがハマるとさらなる刺激を求めて“レモン”みたいなプレミア中のプレミアみたいなものを追っかけはじめるらしいですから余計タチが悪いんだとか。

ところで、ひたすらウォール街の新興証券会社の狂乱と社長の盛衰を描いただけというこの作品、ジャンルとしてはジョーダン・ベルフォート個人の伝記という位置づけであると共にコメディ映画でもあります。
が、ここも本作がある種個性的と思える点でして、確かにしっかりとコメディでありながら、直接的なタッチはほとんどコメディらしくありません。いわゆるコメディタッチだとかコミックリリーフなどと呼べるわかりやすい表現がほとんどないということです。ジョークを飛ばす流れも少ない。

ではどこがコメディなのかといえば、シナリオそのものと上で書いたような“狂乱”のありのままの様相がそれになっているのです。

なにしろ終始展開されるのは、傍から見れば趣味の悪い冗談のような出来事だらけ。それらがもし他人事でないとしたとき、冗談だとしたら笑えないし、現実だとしたらもっと笑えない。ハメを外したカネ持ちが、不謹慎な下ネタ以外喋るわけもない。
そういう常にブラックユーモアに富んだ内容が、至って真面目ぶった撮り方で撮られ、編集されています。

そういう本作において、作品をコメディたらしめるためのデフォルメや脚色は必要とされなかったということなのでしょう。
ただしその“分かりにくさ”が、大衆的にはある意味ネックになるような気もします。
言われなければ「えっ、コメディだったの?」となるような全体テイストに仕上がってもいますし、その上でそもそも押さえている笑いのツボが結構狭いです。数行前に書いたとおり、本作は基本的に“笑えない冗談”ですから、眉をひそめる人が何人いてもおかしくありません。
スクリーンの前で登場人物たちと一緒に雄叫びをあげたい気持ちを必死に抑えながらニヤニヤしていたぼくですら、エンドクレジットで出た「この作品は実話に基づいている」というテロップを前にして笑顔が引きつりましたし。むしろフィクション、他人事だからまだ遠い世界の出来事として感傷や反感はスルーできていたのかもしれません。なにしろ要するに「オトコってバカね」(そしていくらかは女性も一緒になって騒いでいましたから、全体としてはややオトコ寄りながらの「ニンゲンってバカね」)という内容ですから。ぼくらも同じ才能を持って同じ立場に生まれていたらジョーダンと似たような道を歩んでいた可能性があります。もちろんぼく個人はそういう容赦ない毒気が映画的にサイコーにクールなものだと思っています。

まあどんなに言葉で飾り立てても要はお下品な映画でお酒でも飲みながらでないとやってられないんですが、観てるうちにお酒がどんどんまずくなってくる感じもしそうでそこがまたたまんないですね。持ち込みOKの劇場ならあえていつもの晩酌よりワンランク上のお酒を持っていきましょう。自分では試してませんが、きっとだいたい2時間くらいでどうしようもなくイイカンジににみじめな気持ちになれます(誰がなりたいのか)

ちなみに、狂乱のオフィスに溢れ返る罵声と快哉、それから劇中のあらゆる台詞の端々、ほぼすべてのシーンにおいて、“Fuck”という言葉が登場します。あるいは“Fuckin'”、もしくは“−Fucker”。
この変形型も含めてかどうかわかりませんが、Wikipediaによれば本作でこの言葉が使われた回数は506回。非ドキュメンタリー映画では史上最多だそうです(ドキュメンタリー含めて最多はスティーヴ・アンダーソンのアレかな?)。上映時間は179分ですから、1分間に2〜3回、20〜30秒に1回“Fuck”と言っていることにもなりますね。もちろんスタッフロールも含めて179分ですから、実際は1分に3回は余裕でしょう。

たいてい“Fuck”の形容詞形である“Fuckin'”は「クソ〜」という接頭語に翻訳されますが、本作で首尾一貫して描き出されているのもまさに「クソ」。つまるところ本作自体も「クソ」を扱った「クソ映画」と言っても過言ではありません。もちろんこんな評価には作中から「Fuck you!(意訳:ありがとう)」と返してもらえることでしょう。

伝えるもの・心に残るものがほとんどないという意味でも本作は最低映画ですが、しかし「クソ」を「クソ」以外の何ものでもないかたちで、美化も貶めもせず無造作に描き切った点には称賛を贈れます。この点はコメディタッチがほぼないというあたりともつながりますね。事実として“バカ”をやっている有様をそのまま映すのですから、コメディたらしめるための過剰な演出など必要ない。被写体がすでに“悪い冗談じみた”コメディだ。観客はウォール街の狂乱の一部をそのまんま味わうことになります。

途方もなくどうしようもない映画を楽しみたいという方はもちろん、感動の物語とか衝撃のサスペンスとかにも飽きてあからさまなコメディにもうんざりしてる、そんな方々に新鮮で痛快な刺激としておススメの逸品です。ブラックジョークが嫌いな方だけご遠慮ください。そうでなければ上映中、“バカ”をやっている主人公たちと一緒になって吠えないようにだけご注意を。

カネ持ちなんてみんな死ねばいい。それを崇拝する映画もだ。そう思ってる方々もどうぞ劇場へ。スクリーンの前で一心に呪詛を呟いてみてください。むしろその方がきっと笑えます。

余談

ちなみに同じくマーティン・スコセッシ監督と主演ディカプリオの組み合わせでもある傑作『ギャング・オブ・ニューヨーク』(’02)は、本作と特別に合わせて観るものとしてもおすすめです。

同作はウォール街成立よりずっと前のニューヨーク・マンハッタン島における、アメリカ生まれの白人たちとアイルランド移民団体の抗争を映したもの。舞台が南北戦争時期と重なっていることもあいまって、人種のるつぼが成熟する前の混沌とした阿鼻叫喚の有様が描き出されています。

最後には抗争と戦争が終わりを告げ、抗争にかかわった人々の記憶はマンハッタン島の地層の一部となった、というふうにも取れる描写がそちらにあるのですが、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』が狂乱するニューヨークの摩天楼がその地層の上に立っているのだと思い返すと、一風寂しげな感慨が増すと共に、主人公を演じているのが同じディカプリオというあたりに噴飯してまた黒い笑いが込み上げてきます。スコセッシ監督も意地悪……いえ、粋なことをなさったものです。

ただし、『ギャング・オブ・ニューヨーク』はまったくコメディ色のない映画ですので、余計なイメージに真面目な感慨を害される可能性が気にならない人以外は、必ず『ギャング〜』→『ウルフ〜』の順に観ることをお勧めしておきます。(余韻を汚される方が嫌だという人はこの逆です)