読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

2014,2,9 PM12 【映画録22『ファンタスティックMr. Fox』『神々と男たち』】


本日のお品書き

  • ファンタスティック Mr. Fox
  • 神々と男たち


ライオンっていいですよね。
かっこいいところもいいですし、かわいいところもいいですが、ぼくはあの肉づきに何よりうっとりしてしまいます。
隆々としているのですが、大型で毛もぴったりしているので、筋肉の波打つ様子がダイナミックに見て取れるんですよ。
草食動物にはない、っていうかネコ科の肉の付き方がああ鮮やかに見えるのがいいですね。
トラも同じように大型ですが、あれは肉づきだけでなく模様も顔つきもあまりに芸術的すぎて、いろんなところを見すぎてしまいます。
トラは最高ですが最高すぎるのです。無地のライオンがちょうどいいんです。

あ、ライオンと今日の映画録とは何も関係ありません。

※case.728の映画録は、5段落でまとめる観賞済みの方向けの参考記事を目指しています(No.18から現在)。なのでネタバレにつきましてはあることもないこともご容赦ください。

1月25日『ファンタスティック Mr. Fox』


  • CUTで特集を読んだのは2011年の3月号(No.281)のときです。もうとっくにレンタル始まってたのに気がついて急ぎ勇んで借りてきました。現代に贈るストップモーション長編アニメは製作陣の狙い通り、新鮮で刺激的な驚きとおかしみに満ち溢れていたことをここに証言します。
  • ストップモーションの魅力ってどんなものかと聞かれるとCG大好き人間のぼくは結構言葉に困ります。手作り感って言ってしまうとあまり褒めてるような気がしないんですよね。工程に思いを馳せるのも悪くありませんが、そう透明性のない能書きじみたものを本質に据えるのも好きじゃない。やはり「手作り感」を上手く言い替えるしかないのですが、とりあえずそこで“パペット性”なんて言葉を作ってみたりしました。
  • CGアニメで王位といえばやはりピクサーだと思いますからここはトイ・ストーリーと対比させましょう。トイ・ストーリーのキャラクターは、おもちゃという外見を持つにもかかわらずここで言うパペット性のないキャラクターであると言えます。なぜパペット性がないかと言えばそれは彼らがCGによって誕生した時点からすでにキャラクターであって、おもちゃというのは建前でしかないということです。抒情的な言い回しをすれば、彼らは生まれた瞬間から魂を吹き込まれている。パペット性とはこの逆の性質のことをいい、要は映像として動かされることで初めて“魂を吹き込まれる”場合のことを言うのです。
  • つまるところ登場人物があからさまにパペット=魂のない存在であるところへ、後天的に魂の吹き込まれる過程を体験する。それがぼくが“パペット性”という言葉で表そうとするストップモーションの魅力ではないかと思うのです。無生物という前提で捉えられるものが、まるで生きものであるかのような“やわらかい感触”を視覚的に訴えてくる。そこには間違いなく、CGアニメでは容易に味わえない温度と生々しさがあります。
  • 逆算的に、CGでストップモーションのような映像と、ここまで書いた“魅力”とを絶対に再現できないかといえば、やっぱりその答えはノーだと思っています。特撮も同じ。もちろん技術の将来性も踏まえながらの話です。ただ、きっと誰もやろうとは思わないでしょう。ストップモーションや特撮が低次元だと言いたいわけではありません。ただ、そこまで高い技術があれば人はもっとやりたいことをやってしまう。トリアー監督ばりのへそ曲がりな芸術家がCGアニメ業界に現れない限り、結局“ストップモーション的な映像”はストップモーションでしか作られないことになる。そして“ストップモーション的な映像”にしかない魅力が間違いなくあるのだとすれば、その担い手そのものである“手法”はとても尊い。ここまで実感できた上でなら、工程に思いを馳せるのも楽しいものになるだろうと考えます。
  • 手法の話ばかりになってしまっていたたまれないので6段落目。手法との兼ね合いもうまく扱い、極めてユーモラスに演出しながらウィットにも富んだ映像作品として非常に優秀だったと思います。絵本原作だと聞きましたが、“野生”“父性”“男性”を互いにリンクし合うキーワードに、結婚や家庭の中にある普遍的なジレンマを鋭くえぐり出す側面もあり、大人も子供も楽しめる、いやさ、捉えようによっては子供が笑いながら観ている横で大人が真面目な顔で観入っていてもおかしくないほどのものにまでなっています。「すばらしいおとうさんギツネ」とは何なのか。『ファミリー・ツリー』あたりといっしょに観て思索にふけるのもアリかもしれません。

1月26日『神々と男たち』


  • 本当に時々ですが、常に意識するほどの信仰・宗教を持たないことが人としてこの上もなく恥ずかしいことに思えることがあります。アルジェリア内戦中に起こった「ティビリヌの修道士殺害事件」を元に、殺害された修道士たちの前日譚を描いた本作『神々と男たち』に見たものは、題名通りまさに登場人物たちと彼らの信仰との対話であり、信仰に真正面から向き合う彼らの勇気と傷ましいまでのたくましさでした。かくも丸裸のような純真さとひたむきで人は信仰と向き合えるものなのか。そもそも信仰とは何なのか。
  • 「真にかっこいい男たちの映画」というもので何かないかと探していたときに「この映画の修道士はかっこよかった」とは聞いていたのですが、いやはや本当に「かっこよかった」です。「男らしいかっこよさ」とはまた少し違うかもしれませんが、「人として」そして「信仰に生きる者として」のかっこよさ=美しさやたくましさが、この映画の中にまるで結晶のように浮かんでいたのでした。「信仰に生きる」=「仕事人(聖職者)」という意味でなら男性的と言えるかもしれません。まあその点はともかく、ぼくが日常においてもしばしば感じる「信仰、あるいは信仰心の魅力」の正体もまたそこに見出せたように思います。
  • 別にキリスト教(のさらに一派)が素晴らしいと称えたり憧れたりしているわけではないのですが、映画がキリスト教徒の話なのでここでもキリスト教を切り出しましょう。そもそも現代人である上に一般的な日本人ですから、聖書に基づいたりする唯一神的な信仰にも、それが日常の中でまで意識されるなんていうことにもピンとは来ないわけです。英語ではちょっと驚いただけでもオーマイゴッドと言いますよね。現代における形骸化の進み具合とかは当事者であるあちらさん側の問題なのでさておくとして、少なくともだいたいの日本人は本当に追い詰められたときや、重大な事柄について結果は運次第だと割り切ったときぐらいしか「神頼み」という発想は出て来ないんじゃないかと思います。しかしながら、この「神頼み」という発想自体、すでにキリスト教圏なんかの信仰意識とはいくらかのずれがあるのではないかとも思うのです。
  • とりわけ神に仕える人々の信仰意識というのは“奉仕”のかたちです。つまり神様に助けてもらうとか、神様を頼る、神様に運命を預けるといった、わかりやすい投資的意識が根本にあるわけではないんじゃないかと考えています。そして分かりにくい投資的意識ならあるのかといえば、それがおそらく“赦し”を求める精神なのだと思われます。ここがまたたぶん日本人がピンとこないところだとも思うのですが、聖教圏の人々にとって“赦し”とは「人から人へ」のものと「神から人へ」の二種類があるのではないでしょうか。
  • ぼくらのような無意識の無神論者の頭の中にある“赦し”といえば「人から人へ」に限定されます。「世間から人へ」という場合もありますが、世間は人の集合体であるという文法で同じものと考えましょう。そのぼくらからの中には「神から人へ」の“赦し”を指して弱者の逃げであると揶揄する人も多いです。しかしそれもまた意識のずれによる思い違い。「神から人へ」の“赦し”とは、絶えず心に灯りつづける無二の希望であり、それは対外的な心の強さの源泉ともなり得ているのではないでしょうか。それは前を向き、行動するための“赦し”であり、自らの行いが正しいことを信じて行うための“二つ目の支持”である。また、自らの行いが間違っていたとき、“赦し”と引きかえにそれを素直に認めるという心との約束でもある。これらは行動と勇気の裏付けとなり得るのでしょうが、それを求める心はあたかも人は皆孤独であるとともに孤独が弱みであることを真正面から受け止めているかのようです。開き直りだと見る人はいるかもしれませんが、ある種のそれだとしても彼らの堂々たる様の勇ましいことには変わりありません。
  • 6段落目です。突き詰めた話をしているととても5段では収まりません。ここに書いてあることのすべては、ぼくがこの映画から受け取った「信仰」というものの正体に関わる一説です。肯定か否定かを問う前に、この映画を観てもらえばその必要すらなくなることでしょう。ただ、少しわかりやすいよう、最後に日本にもある西洋的な「神から人へ」の“赦し”の意識に近いものを挙げれば、お遍路巡りと弘法大使があります。遍路を巡る間はそばに弘法様がついて見守ってくれているという思想です。それは病気や災害から守ってくれているのだという捉え方もできますが、常にそばにいて見守ってくれていることが何よりも“心強い”という見方もあるはずです。“赦し”とは、まさにこの“心強さ”なのではないでしょうか。

アメリカンハッスル断念するくらいクソ忙しいのに今からマイティ・ソーとアベンジャーズ観てダークワールド観に行けるかってんだ!

というわけでソーは諦めました。でも今週末の土竜の唄は観てきます。

それはともかく、『RED』が全然借りられないんですよね。

REDリターンズ』の公開はとっくに終わってるはずなんですが、そっちがかなりよかったらしいので前作観ずにリターンズ観たって人たちも押し寄せてるんでしょうか。
ぼくは公開前に前作観られたらリターンズも観ようと思ってスタンバイしていたクチなのですが、DISCASだといまだに回ってくる気配がありません(^x^;) まあリターンズのレンタル開始までに観られればいいかなとのんびり構えてはいます。