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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

4月13日【この時期に新社会人に向けて:学生サークル目線のメッセージ】

徒然 サークル

あと2年は黙ってるつもりだったんですけどねえ。

新社会人の方々は、明日から出勤3週目とか、少なくても2週目とかで、中には研修終わった人とかもいて、職場の雰囲気も掴めてきた頃合いじゃないかと思います。慣れたかどうかは、概ねまだてんやわんやだとよく聞きますが。

ですからタイミング的に微妙なのか絶妙なのか紙一重な気がしますが、この記事は新社会人を送り出した側から新社会人に贈る記事で、しかし祝辞などではありません。このタイミングで、新社会人を送り出した側、つまり概ね後輩の学生たちのうち、サークルや部活といったつながりのある者の立場から、卒業していったばかりの先輩方へ向けて、お願いの儀がございます。


団体の運営に、OB・OGが自分から口を出してはいけません。


活動の内容や団体の慣例などによっては、そういうことが常に必要とされる団体も多いでしょう(体育会系やOB会がスポンサーになっているところなんかはそうでしょう)。そういうところはさすがに除外しておきます。イベントを起こすために卒業生の協力が必要なところなんかもあるんじゃないかと思います。

問題は、ぼくがいたサークルなんかがそうですが、非営利非利潤の学生主体でやってて、お金もあんまりかからないこぢんまりとした趣味の集まりみたいな団体のこと。

いえ、関わりを持つこと自体は悪いことではないと思います。そう思いたいですね。卒業してハイサヨナラー、仲良しだったとしてもこれっきりだねー、では悲しい場合も多いでしょうし、現役学生側からしても、意見を求められる“経験者”がいるというのは心強いことです。

しかし、自分から運営に口を出す、というのは、そうそう褒められたものでないことだと知っていただきたい。そしてそれがなぜなのかをよく考えていただきたいのです。

これから書き出すぼくの体験したケースがかなり特殊だと思うなら、この主張は根拠のないものだと考えてくれて構いません。少なくともご自身が同様のケースに陥らない自信がある場合も、気兼ねなく現役の後輩たちと関わってくれていいでしょう。

ちなみにぼくはいろいろと事情があって卒業が2年遅れたりしたおかげで、先輩や同期がOBやOGになった後、卒業者と現役生の橋渡しみたいな役目を人より少しだけ長くやっていました。かなり上の方のOBさんと交流があったことなんかもありますが、一番多かったのは今は懐かしきツイッターでの立ち回りです。

そう、特にSNSの発達によって、就職によって物理的な距離が開いてもコミュニケーションの距離はそんなに変わらないというパターンが多くなって、上に書いた「ハイサヨナラー」となる機会はむしろグッと少なくなりました。人のつながりが消える心配が薄くなった一方、卒業した者が運営に口を出したくなる機会やきっかけも増えていきました。

しかし、今の時代だからこそ気を付けてほしいのが、このSNSでの繋がりです。
コミュニケーションの機会やきっかけの単純な“数”はこれで増えます。
しかし、それが常態化することによって、物理的距離というものの存在感が、どんどん希薄になっていくのです。

この物理的距離というものの大切さと、それを忘れたり、ないがしろにしたりすることの愚かしさを、ぼくはこの2年ほどで嫌というほど味わったし、見せつけられました。

断言できます。特に神経質な人は要注意です。SNSだけで信頼関係は基本的に維持できないし、作り出せません。

人は概ね、自分が持っている情報のみから物事を判断してしまうものです。
実際のサークルの集まりにも出ず、全体の空気も知らず、情報はツイッターで読み取れる文字と、誰かの又聞きしかない。そんな状態にもかかわらず、状況判断が自分はできていると思い込んで口を出してくる人間を見て、ぼくは何度も戦慄を覚えました。現役の顔を見て、声を聞いて、直接話をしてみれば何の心配もいらないと容易にわかることに対して、SNSは危機意識だけを振りかざしてくるのです。

何が怖ろしいかといえば、他人事と言ってしまうにはこの現象が自分にとってあまりに説得力を持ち過ぎていると感じたことです。
少なくともぼくに限っていえば、自分の性分から考えて、卒業生という立場に立った時、まったく同様の醜態を晒すことになる。そう思い至った瞬間、卒業したらサークルと関わるために使っているSNSのアカウントは絶対に停止しようと決めました(そもそもしばらく無理にツイッターを使い続けていたのは一番信用の置けない卒業者たちの窓口として一括監視するためでもありましたが)。

他にも物理的距離の問題はあります。
文字で平均化された「ありがとう」と、実際口にする「ありがとう」の差。
文字だけでやりとりしているとギスギスしてしまうようなやり取りでも、お互いの顔を見て、笑ってごまかしたりフォローし合ったり気を使い合ったり、そういうのが全部目に見える状態であれば、人間関係は上手くいくこともある。喧嘩になったりしても、相手が真剣なことは伝わってくる。
顔が画面の向こうにあっては、ショックを受けていることも悲しんでいることも笑っていることさえもわからない。音声の存在しない場で疑心暗鬼は解決しないし、そばに立って見れくれている人間という心強い味方を感じ取ることができないのです。

もちろん、顔を見ればすべてわかるというわけでもありません。しかし、SNSが起こす孤独の妄想と現実とのギャップは見るに堪えないレベルのものです。

さて、ここまでSNSによるつながり全般に言えてしまうことですが、新社会人の先輩と現役後輩との関係においては、これに加える形でもう一つ。

はっきり言って、社会人になって人が変わらない人間なんてひとにぎりです。
しかも今のこの時勢のせいか、大多数の人間は、社会に出た途端“疲れた人”になります。

あとは、よくある家庭崩壊みたいな話です。
まだ仕事のストレスを持ち込む先も見つけていない大人が、SNSなんかで後輩関係にある学生と関わって、ろくなことになるわけがないのです。

非常に心無い意見に聞こえるかもしれません。しかし、学生の目線で考えてみてください。
学生はまだ社会の厳しさをほとんど知らないのです。その厳しさを知ることで生まれるものに有益なものもありますが、疲れた社会人が持ってくるのは妥協や諦めや多少の不実には拘泥しない無神経さ、無責任さではないでしょうか。
本当に言い方は悪いと思いますが、ぼくは社会人になった途端急激に“腐っていった”人間を何人も目にしました。彼らはまさに若者が忌み嫌う“なりたくない大人”の典型なのですが、学生時代はいい先輩と言われていた人ほどこの傾向が顕著で、やる気を養うべき学生時代の人間が交流していていいものだとは思えません。そういう卒業者と現役生の橋渡しもしましたが、もっと早く、恥を忍んででも切り捨てるのが後輩たちのためだったのではないかと今は悔いています。

社会人になる前に知っておけという世話好きな気持ちもあるかもしれません。しかし、今学生時代を謳歌し、目の前の活動にやる気を持とうとキラキラしている若者にはまだ不要なものでしょう。だいいちそのようなお節介をされる筋合いが、学生時代の先輩後輩という関係から生まれるでしょうか。それは職場の先輩と後輩では?

なにより、仕事先や勤務地で孤独を味わう新社会人も増えている昨今、学生時代のサークルといえば、勝手知ったる自分のステージだと錯覚しやすいものです。
しかし、学生として学生を謳歌することに全力を傾けたい学生の側に、疲れた社会人の憂さ晴らしにまで付き合う余裕はないはずなのです。彼らが憂さを共有したいと思うのは、同じ学生同士でしょう。

そういうこともよく考えずに、ずかずかと学生の中に入り込んでいった場合、その後輩たちは、先輩であるその人に出て行けと言えるでしょうか。普通言えないんですよね。

立場が対等でないことは、年齢によるものだけではないのです。
学生の側は、社会人が自分たちよりも苦労していることを知っています。
その苦労を思えば、自分たちが大変な状況でも、相手をしてやらないなどと言える立場ではないと萎縮してしまうのです。気を使うな、という方が無理な相談であることを、学生より“大人”である社会人の側がわきまえてあげないでどうします?

そう言いたいのですが、“疲れた大人”はここまで考える余裕がなかったりもします。そのままいろんなことが雑になって恥を知らなくなって“腐って”いきます。声の大きい人を嫌って、周りのためにその人の牽制を図ってくれるような人柄だったのが、いつのまにか自分の発言力の大きさもわきまえずに、卒業後もサークルに口を出し続けるようになってしまうのです。
後輩の負担を軽減するためなんて大義名分まで掲げ、老婆心なんてものを笠に着始めたらもう手に負えません。そのくせ「いやたいしたことじゃないから」などと謙遜気取りで逃げを打つなど、“気づかいができるいい先輩”を演じるのに執心して、その無責任さ、先輩というものが言葉を発することの意味の強さにも気が付かない始末だったり。

ですから、冷静に自分を見つめ直せとはあえて言いません。
何様だと言われようが、揚げ足を取られ得るのも、いくらか自分に跳ね返ってくるのもわかっていながら、恥を忍んで、頭ごなしにお願いするのです。

卒業した以上、どのように些細なことであれ、
サークルの運営に自ら進んで口を出すような真似は、もうしないでください、と。

また、もしも学生の方がこの記事を読むようであれば、
卒業した先輩からの意見には「善処します」とでも言ってやんわりと受け流すようにして、
なるべく癖になってしまわないように働きかけてあげてください。
いつまでも口出ししていい場所があるんだとわかると、その先輩は新しいはけ口を探すのが面倒になって居座り続けて、諭してくれる人もいないものだから、どんどん腐っていってしまうかもしれませんよ。


ぼくはこの春サークルを卒業するにあたり、卒業後に絶対口出ししなくて済むように、気にかかっていたいくつかの未整備のシステムに手を加え、調整を施してきました。
その活動にあたっては卒業生の協力を得ずに進めることで、橋渡し役の存在を否定し、サークルの運営は現役の学生で行われるべきものであると意思表示をしてきました。
残念ながら“腐った大人”にはあまり効果のない意思表示だったようですが、この活動を通し、直接顔を突き合わせて人とかかわれば猜疑心は薄れ得ることを学び、そして最後まで協力してくれた現役の後輩たちが、とても有能で心強い連中揃いであることを思い知りました。
彼らを誇りに思うことで、ぼくは今、何の憂慮も持たずにいられます。