case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

4月15日【映画録36『デビル(2010)』『オーディション(1999)』】


本日のお品書き

  • デビル(2010)
  • オーディション(1999)

本当に怖いホラーは人間が怖いタイプが多いですが、観ててワクワクするホラーは悪魔とか悪霊とかモンスターとかの方。どっちも好きですが、個人的に親しみ深いのは後者です。まあ人間やめてるレベルの怖い人がどっちに入るのかちょっとわからないんですが。

最近そんなことを考えていたせいか、今日の映画録は“悪魔”と“人間”のホラーセット。こうなってるのに自分で気がついてなかった(^_^;)

※case.728の映画録は、5段落でまとめる観賞済みの方向け参考記事を目指しています(No.18から現在)。なのでネタバレについてはあることもないこともご容赦ください。

4月4日『デビル』(2010年の米映画)

「やつが来るとこういうことが起きる。パンはジャムを下にして床に落ち、子供はころんで机のかどにぶつかる」

  • シックス・センス』のM・ナイト・シャマランが長年をかけて構想を練りあげ、原案・製作を手がけたという本作。高層ビルのエレベーターに閉じ込められた5人の男女が、停電のたびに一人ずつ殺されていく。正直「こんな脚本に何年も?」と首を傾げそうになる大筋ではありますが、しかし自主製作映画の多作で鍛え上げられた小規模の構成力は、構想についての疑いを推してなお、見所に余りあるものだったと思います。
  • ネタバレも何も本作は、欧米伝統の“悪魔”の仕業だとわかり切っている状態から始まります(登場人物たちが了解しているわけではありません)。始まり方も誰かの自殺が“合図”であるとなかなかハッタリが効いている。集められた罪人が順に裁かれ、その穢れた魂を連れ去っていくのが彼らの目的、彼らの“狩り”。本作はシチュエーション・スリラーの皮をかぶりながら、その本質は“悪魔の狩り”をドキュメントしたものになっていると言えるのです。どちらかというとかなり寓話というか童話チックな骨子なんですよね。ただし現代を舞台に据えてゴア表現をまじえて撮ることで、お伽噺クサさは上手に大人向けとして料理されています。
  • ここで面白いのは、“悪魔”というのが観客目線だとわりと最初から存在感を放っているのに、うさんくささやオカルトっぽさが鼻につかないあたりです。シチュエーションスリラーとしてすでによくできているからというのもありますが、“悪魔”に対する登場人物たちの反応も大きく貢献しています。よくある“悪魔憑きもの”では、誰かが悪魔の存在を訴え始めると、必ずその人物がヒステリックに描かれ、観客的には「そんなに喚いても無駄だよ」という気がしてしまいます。また、他の登場人物たちが真面目に取り合わないのも、観客からすれば「いやマジで悪魔(悪霊)いるんだけど」「でなくても不安がってるんだからちょっと聞いてやれよ」と、距離のある感情を抱かせがちです。特にこのあたりの議論がダラダラと平行線を辿る様子は、画面のこちら側からすると面白くなかったりする。
  • しかし本作は、“悪魔”の存在を主張したりそれに反論したりする人間が、エレベーターの外、“マイクが壊れていてスピーカーは繋がっている監視カメラ”の向こうにいます(シチュエーション・スリラーなのに状況が外向きにだけはかなり開かれている点も本作の特徴の一つ。『キャビン』を思い出しますね)。“悪魔”の存在について主張する人物はちゃんといますが、そこまでヒステリックに扱われないし、どちらかというとエレベーターの中の当事者たちよりも“それどころではない”という感じが強いのです。中の混乱ぶりが客観的な異常として捉えられるおかげで、「どうやってエレベーターの中の人間をなだめ、(現実的な方法で)無事に救出するか」の方が大事になってきて、状況を生み出した元凶の方はわりとどうでもよくなってくるのです。そしてこの構図の最も効果の大きいところとして、観客の目が「(悪魔を退けるパターンも含め)救出が間に合うか」に集中していくようになります。
  • もしも本作がエレベーターの中だけに状況を閉じたものとしていてとしたら、誰かが“悪魔”の存在を主張して誰かが反発するというお約束の流れになり、観客も話の筋を追うにあたって、その議論の行く末にばかり意識を向けるようになっていきます。それは、大局的に状況を見定めるのが不可能な環境にあることで、目先の課題にのみ希望を集中させてしまうせいだと言えます(ゆえに絶望感はこちらの方が強いです)。対して本作のように、実際に動かなくてはいけない人物らが状況の外側に配置されていると、なまじ対極的に状況が見えている(ような気にさせられる)せいで、希望というか曖昧な選択肢が増えてしまいます。選択肢が増えるということは、それだけ動きが鈍るということでもあります。しかも、“悪魔”という元凶に対して普通の人々が最善の選択肢を握れる可能性は、切羽詰まったエレベーターの中の人間よりも限りなく小さい。そしてもちろん外側の奮闘ぶりをまったく無視してエレベーターの中では状況が加速していきます。この絶妙なバランスが観客に「間に合うのか?」と懸念させ、画面に集中させていく。本当に一見誰でも思いつきそうな作品だと思えるのに、構図をほどいていくと、おおよそ単純には及びがつかないような発想と計算に裏打ちされていることがわかる、なかなか奥深い作品です。

4月6日『オーディション』(1999年の日本映画)

「きりきりきりきりきりー」

  • 原作は村上龍、監督は我らの三池崇で映画化された痛くて怖いサイコホラー。正直観る前からブルってました('x';) だって『着信アリ』より前の三池ホラーですよ。しかも90年代のJホラーですよ(公開は2000年ですけど)。原作も村上龍で怖い女タイプって役満ジャン。予告編からすでに奥歯ガクガクだったんですってば。「キリキリキリ……恐いでしょう?(キャッチコピー)」はい、めっちゃ怖かったです。そして痛い!
  • 奥さん亡くして約十年。独立して男手ひとつで会社も息子も育て上げてきた中年男が、そろそろ再婚でもしたら?って息子に言われたもんだからひと思案。でもお見合いって柄じゃないんだよねー、教養というか何か訓練(稽古事)したことのある人がいいなー、時間かけて見定めたいなー、とかつての同僚に相談したら、恋愛モノの映画をうちの会社が作るから、そのオーディションで相手を探しちゃあどうかと勧められます。そりゃあなんだか詐欺みたいじゃないかと最初は及び腰だった主人公ですが、エントリーシートで妙に気になる女性を見つけて乗り気に。そのままその女性と実際会って、徐々にそのとりことなっていくのですが、しかし同時にこの女性の経歴が次第に怪しくなっていき……
  • 大網を張って漁をしていたらサメを引き揚げて足を持っていかれる。要はそういうお話です(本当に足を持っていかれます)。五段落使っても言うことはあまり思いつきません。ただとにかく怖い。ヒロイン・山崎麻美(椎名英姫)の地雷女っぷりが尋常ではない。派手な美人というわけでもないのに妙に色っぽくて、そんな顔のくせにうふふという声でケラケラ笑いながらいろいろな“プレイ”をしてくれます。デカートさん、こっちです。
  • また撮り方が効果的なんですよね。カット、ショットごとの角度と構図と、常に大事な部分を引き立てるようになっている。なんちゃっての気取ったカメラワークも少ない。「三池さんはわかってる」はこの頃から体現されていたようです。
  • 一つ特徴的なのは終盤“プレイ”が始まる寸前の幻覚描写。観客目線だと山崎麻美の全貌についての説明にも等しかったりはしますが、これ、全部主人公が自分で麻美について調べあげた断片的な情報から類推した妄想である可能性も考えられるんですよね。しかしこの異常な妄想が一部真実であるかのように捉えさせるだけの“魔力”を持つ女として山崎麻美は描かれている。“プレイ”後のラストに至ってはどちらが現実かわからなくなっていますよね。あるいは両方現実かもしれない。山崎麻美の“魔力”によって世界が二つに分かたれたのかもしれない。片方は主人公の妄想が元になって魂の半分がそっちへ逃げ込んだもの……とか適当に解釈してみると麻美の無気味さがもう一段増します。ていうかどっちが現実でも最悪なので……。

おまけ。始まった途端から怖い『オーディション』の予告編。黒電話は兵器。

これを見てから上の画像(3番目)をじっと眺めていると楽しい気持ちになれます(^^)