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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

4月18日【映画録37『ウェイヴ』『ザ・プロジェクト』】

本日のお品書き

  • ウェイヴ
  • ザ・プロジェクト


DDS妖夢……こいつあ……。


※case.728の映画録は、5段落でまとめる観賞済みの方向け参考記事を目指しています(No.18から現在)。なのでネタバレについてはあることもないこともご容赦ください。

4月7日『ウェイヴ』

独裁制に必要なものは?」

  • 『es』を観た頃(映画録8)に毛色の似た作品ということで興味を持っておりました。加えて図らずも『白ゆき姫殺人事件』の記事で「集団の“火”」がどうのこうのと御託を並べた後すぐにレンタルしていたという数奇さ。取り立てるほど共通項はなかったのですが、描かれている“集団心理”は『es』から『白ゆき姫〜』にちょっと寄ってるところはあるように思います。実験としてかなり極端な『es』よりは比較的自然発生的で、「ウェイヴ」がツイッターのフォロー小集団のように開かれた存在だからでしょうか。まああまり重要なことではないのですが。
  • どこの国でも政治のお勉強は大事。特にドイツ人は「憎きナチ」を象徴する独裁体制の性質についてよーく知っておかなくてはなりません。当然ハイスクールの社会科選択科目には、「現代の自由主義について」なんかと並んで「独裁について」の講義が入ってるわけです(ドイツだけではないけどね)。しかしながら戦争を知らない若いやんちゃな世代にとっては独裁よりも自由民主主義よりも自分たちの“自由”が大好き。なめられやすい先生の講義室はアフリカのジャングル。こりゃ普通に授業やっても締まらないと思った先生は、クラスを当時のナチスドイツに見立て、独裁制の“模擬講習”を開始します。先生が王様で生徒がみんな忠実な部下という固定型王様ゲーム。“王様”は生徒が自分たちで“独裁制の実現”に取り組むことで、独裁制の本質を身をもって理解できるように仕向けていきます。この独創的な授業にハマり込んでいった生徒たちは、自らを「ウェイヴ」と名乗り始めるのですが、このウェイヴ=“波”は次第にまとまった勢いを持つ運動へと変わり始め、いつしか制御不能な“大波”となって講義室の外まで溢れ返っていくのでした。
  • 本作はアメリカの高校での実話が元になっているそうです。そちらは厳密には事件というより、やや精彩を欠きながらも、結果を想定した計画的な講義だったようです。対してフィクションたる本作は、事態の異常性、過激さを演出するためにか、完全に想定外の“暴走”として、この「独裁制について」の授業の凄惨な末路が描かれています。終盤は加速の仕方が妙に急で、やや突飛に思える箇所もありますが、それまでは概ね「独裁制の形成」が段階的に描かれていくため、興味深い内容となっています。面白いのは、そうやって段階的に進んでいるはずなのに、この時点から“暴走”が始まった、という明確なターニングポイントがないことですね。娯楽を求めると多少もやっとするところですが、気が付かないうちに浸透していく「集団ヒステリー」の再現としては、この気持ちの悪さがほどよいリアリティを醸し出しています。
  • 序盤、問題の授業が始まる前の、まだ通常の座学講義だった段階で、本作を対比的に象徴するようなところがあります。ある生徒が、自由主義全盛の現代において独裁制はもう絶対に発生し得ない(だからこんな講義は無駄だ)、というような主張(野次)を口にするのです。じゃあその自由主義にのっとって、自由なやり方で講義をしてみよう、という担当教諭ベンガーの思いつきが事の発端でもあります。上に書いたとおり、その“模擬講習”はベンガーを王様に見立てた独裁制を、生徒たちに自分たちの知識と意思だけで作ってみろと指示するもの。ほぼ完全にレクリエーションというかゲーム感覚で、生徒たちは座学より楽しそうだからという、まさに自由意思に基づいて参加していくのです(馬鹿馬鹿しいからと言って抜けた生徒もいます。それも自由です)。独裁制の実現のために何が必要かなども、すべて生徒たちから意見を集めて行いますから、授業は生徒たちの自由意思によってコントロールされていたと言えるはずなのです。このこと、それ自体が、集団心理の落とし穴であるということを本作は如実に証言してみせています。
  • もう一つ面白いのは、指導するという立場で「ウェイヴ」を客観的に観察していたはずのベンガーが、いつの間にか自分もその“波”に飲み込まれていたことですね。彼は自分の授業の成功を肯定的に見たいあまり、冷静に自分を見つめ直す姿勢を欠いてしまった。それは科学者が実験にのめり込むあまり倫理を忘れるという心理にも似ていますが、もう一つ彼の場合は、自分が“支配者”という立場に祀り上げられたことに酔っていたとも言えるようです(実際劇中で彼は妻にそれを指摘され、むきになって反論します)。集団を支配する者は、いつのまにか「集団を支配すること」に支配されてしまう。集団心理の肥大化が生むもう一つの“暴走”がこれだと言えます。集団心理の肥大化を、最も急進的に後押ししたのは、“従属欲求”の権化であるティム。彼の行き過ぎた行動に触れて、ベンガー“様”がようやく自分の支配欲求を自覚したのは、幸いというべきか皮肉というべきなのか。悲劇を指して幸いと言うわけにもいきませんが。

4月8日『ザ・プロジェクト』

「全然感じないな」「ボクは感じた」

  • 初めて買ったギャルゲー(恋愛シュミレーション)は『双恋』でした(オーソリティ気取り)。まあ「双子」という属性が持つ神秘性なんてものはそれこそ大昔から方々で取沙汰にされてきたものです。見分けがつくとかつかないとかで、話のネタにも事欠きませんからね。双子は双子というだけでとりあえず目を引きます。本作は、そんな双子の兄弟がサイコキラー倒叙系サスペンス。神秘性に暗黒性が加わると一瞬で妖しげな雰囲気がにおい立ちます。ただし、そのハッタリと釣り合うほど激しくサスペンティックな内容でなかったのはちょっと残念。程よくかつあくまでダークでスプラッターではありましたが、概ねは双子属性のイケメン兄弟に萌えるばかりでした。萌えすぎて集中できなかっただけの可能性はありますよ?(謎の予防線)
  • ジョナとセスは高校生で双子の兄弟。趣味は“映画撮影”。手頃なターゲットを決めては自殺に見せかけて殺したり浮浪者にレイプさせたりして、その様子を動画に収める。彼らが捕まらないのは超能力のおかげ。二人で手を繋いで同じ人間を見ると、その人間に望む幻覚を見せられる。その幻覚を利用して、精神的に追い詰めたり事故を起こさせたりして殺すのです。録画したビデオはおうちで観賞。「感じる?」「うーん、感じないなあ」「これもダメか」と、撮影にはさらに目的があるらしい意味深な会話。そんな彼らの異常な日常に、突如飛び込んできた美少女転校生。その転校生にジョナがドキッ。セスはイラッ。二人は徐々にシンクロ出来なくなっていき、そこへ、どちらかというとこっちのがサイコなんじゃないかっていうくらい超能力について肯定的な刑事の黒い手が!ちなみに黒いのは皮下色素の話です。
  • 導入までのこのあらすじだけですでにわかってしまうような気もしますが、ジャケットのイメージなどから、ジョナ・セスの兄弟があくまで邪悪なモンスターとして活躍するような話を期待して観てしまうと、概ねガッカリすることになるとは思います。彼らは人として大事な倫理観を欠いていますが、なんというか、例えば「マジで怖い双子」といえば『ファニーゲーム』の二人組(あれは双子じゃなかったかもしれない)が思い浮かびます。あの二人のように常軌を逸してぶっ壊れているのではなく、若干ネタバレ気味になりますが、ジョナ・セスはいわば倫理観が未発達であると言った方が的確だと思います。要するに二人とも“お子ちゃま”なのです。倫理観以外の面でも、超能力による万能感とおごりからか、幼い部分が目立つ兄弟です。このあたりでしょうね。双子がそんなに怖くない上に、彼らが誰かを追い詰める様子も追い詰められる様子もそんなにワクワクしなかったのは。そもそもヒロインである転校生の存在が二人の間で大きくなっていくにつれて、彼らの青臭さが露呈していくお話だったわけです。
  • いえ、双子がやってること自体の、一つ一つはかなりえげつないんですよ。犯行は常にゲーム感覚、遊び感覚で、絶対に捕まらないという自信もたっぷりで、ついでに高校生なんて若気の至りも絶頂な時期ですから、自分たちの“犯行”を妙に芝居がかってたりして気取った演出で装飾したがるのです。心の未熟さが露呈しないうちはそれがまた不気味といえば不気味ですから、序盤のうちはそういう気色悪さを楽しめます。後半は後半で、彼らの青臭さにちょっと同情してみたり親近感を覚えたりしながら、しかしダークな部分はあいかわらずダークなままなので、いわば昼ドラ的に観ていけばニヤニヤできるのではないかと(ホラーにそういうのは求めてないという声の方が多そうですが)。序盤の気色悪さの正体が徐々に見えてくるという流れでもあるので、この目線のシフトはわりとスムーズに行けます。ただしラストは色々と無理やりです。それまでに目線をちゃんとシフトさせておけば悲壮感は感じられるんですけどね。ただそのオチでなんだか他人事みたいになってしまって。そおこは惜しかったです。
  • 全体的に見てももったいなさが目立つ作品でもあります。原因は概ね“詰め込みすぎ”です。あるいは消化不良。双子は、こう、手を繋がないと能力が使えないとか、妙にメルヘンチックな制約を設けなければ、もっと動かし易かったろうに、クライマックスもあんなに泥臭くならなかったろうにと思います(二人でないと能力が不安定になるが一人でも使えないことはない、というふうに最初からしておいても何ら問題はなかったのでは)。ジョナがヒロインに惹かれた理由ももうちょっと特異的な何かが欲しかったですし。特に刑事さんの最終的に「何だったの?」感はすごいですね。悲壮感、虚無感……うーん。彼が同情にたる要素を多く抱えていたのは確かですが、映画のつくりはそこへ感情移入できるようになってはいませんでした。ですから、何に対して虚無感を抱けばいいのか。こちとら双子だけで手がいっぱい。正直、刑事さんはもっとキャラ薄くてもよかったのでは……。
  • 6段落目ですが、映像については触れておきたいです。こっちは予算のわりにかなり凝った演出や編集がなされていて、表面的な見応えは終始申し分ありません。CGもかなり健闘している方です。何よりやたらかっこいいんですよね。かっこよすぎてシュールになっているところもないではないですが、それもそういう粋なアクセントだと捉えられなくもない。かと思えば堅実なところは堅実で、双子のクローズアップや刑事さんのトラウマ表現なんかには効果的な演出をこれでもかと盛り込んでくる。終始色彩抑え目の絵だけでもなかなか雰囲気があって引き込まれます。表面的なダークも一段と映える。“ボリボリ・ベビーシッター”はトラウマものですよ。日に日に熱くなってきた今日この頃ですが、しばらくアイスコーヒーを作る気にはなれそうにありません(笑)