case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

4月20日【映画録38『フッテージ』『SOMEWHERE』】


本日のお品書き

屋根裏部屋には、憧れがあるじゃないですかっ?(゜∀゜)o゛

奥の方にあるダンボールをわざわざ掘り出してきて、特に目的もなく開けてみる。想像するだけでにやにやできますね。想像するだけですけど。うちの屋根裏には生活の歴史がぎっしりですし。
この家をこのまま人に譲ったら、おそらく屋根裏ごと存在抹消されるんじゃないでしょうか。
たとえ怪しい年代物の8ミリフィルムをそこに隠してたって、見るからに手を付ける気が失せ消えて箱の一つも開けてもらえないかもしれない。

しかし、薄暗いがらんどうの屋根裏に、1個だけぽつんと箱が置いてあったとしたら、その箱を開けずに粗大ゴミの山に積んだりとかできます?(▼皿▼)?

※case.728の映画録は、5段落でまとめる観賞済みの方向け参考記事を目指しています(No.18から現在)。なのでネタバレについてはあることもないこともご容赦ください。

4月14日『フッテージ

「もう一度有名にしてあげる」

  • まあ別に屋根裏部屋がうちみたいにごった返していても、“事故物件”である場合は事情を抱えた人間や物好きがわざわざ見分しに来てくれたりしそうなものです。スランプ中のルポ系ノンフィクション・ブックライターである本作の主人公もその一人。彼は、一家四人が庭の木で首吊り心中を図った家に、わざわざ嫁と息子と娘を連れて引っ越した。その理由は、そこで起こった一家心中事件の真相と、その家族で唯一行方不明になっている娘の行方を独自に暴き出し、同ジャンルのベストセラー作家として返り咲くためでした。彼は引っ越し作業中、彼は屋根裏で「ホームビデオ」と書かれた箱と、その中から“フッテージ”=未編集の録画済み8ミリフィルム数点と、それ用の映写機とを発見。フィルムに写っていたのは、なんとこの家の事件を含む数件の一家惨殺事件の、犯行の一部始終だったのです。
  • この“フッテージ”を、警察もまだ掴んでいない連続殺人の重要証拠と確信した主人公は、飛んで火にいる超大作の予感に駆られ、独自に各事件の調査を始めます。当然それに当たって夜な夜なフィルムを一つ一つ再生していくのですが、その度に、家の中でかすかな異変を感じ取るようになっていき……と、いつもより文字が長くなりましたがこんな導入。オーソドックスといえばそうですが、それだけに気安くワクワクさせてくれるものではないかと思います。ちょっぴり過剰に期待が膨らんでしまっただけに、ややイマイチげな世間評価を見て今まで敬遠しておりましたが、結果的に、絵的な雰囲気も話の運び方も約一点を除いていや最高でしたね。個人的にはど真ん中ストライク。こうきたかーって感じはないんですが、こうきてほしい、こういうのが観たかったんだよッ、という僕の心をがっちり掴んでくれました。
  • 不気味ミステリ系洋ホラーここにあり!とでも言いたいところですが、個人的により近いと感じるのは一昔前のジャパニーズ・ホラーゲームなんですよね。僕は本当にサイレントヒルが好きなんだなあと婉曲的にしみじみしてしまった次第(まあ静岡がそもそも洋ホラ映画の影響を多分に受けているはずですが)。フィーリングでしかありませんが、怖がらせ方と構図の雰囲気がなんとなく似てるんですよ。じわじわと沁み出してくるような、つかみどころのない恐怖感。それから、焦点の当たっているところより奥の暗闇がやたら気になる構図とか、画面外が気になってしょうがないのとか。音響とかも、どこか懐かしくも心震わせてくれる(凍)ものがあって素敵でした。再生機の「カラカラカラカラカラ…」って音が夜中になってたらそりゃ怖いですよね。
  • 脚本的にもステキなんです。まず“邪神崇拝”というワード。あんな儀式的要素と不可解な点に満ちた連続殺人が題材でそう来ないはずがない。と思っていたら来てくれました。スーパー・ウェルカム。“動くスクショ”とか最高ですね。またこの作品、例によってゲームにしたら面白そうだとも思ったんですが、主人公の設定とかはむしろゲームから映画化するにあたって構築したみたいな、映画を映画として引き立てるようになっている。彼は自分がルポ小説のベストセラー作家に返り咲きたいという、非常にわかりやすい私欲にまみれているんですよ。そして家族を巻き込む程度には自分本位で身勝手で、けれど自分では全部家族のためだとも思っている。だからとっても人間臭い。そしてこの後ろ暗い人間性が、邪神とか悪魔とかつけ入られるにはお誂え向きもいいところなのです。事件という餌につられ、己を過信し、盲目的な正義のために無自覚な(あるいは気づかないふりをしている)まま私欲を達成にいそしみ、すでに化け物の口内にいることに気づいていない。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」を体現してくれるキャラクターは、僕らをとてもドキドキさせてくれます。
  • こうも「君を待っていた」と言いたくなるような本作なのですが、唯一、約一点だけ、しかし致命的なセンスのずれ(僕のセンスとだけかもしれませんが)を感じてしまったのが、特殊メイクへの謎の過信です。本作には邪神であるといわれるブグールと、やつに魂を食べられてしまった「行方不明の子供たち」が出てきますが、子どもたちは顔が陶器のようにひび割れた特殊メイクで、ブグールは逆三角の暗黒の目に格子をはめたような口をしています(こんなん→(▼皿▼)ジャシーン)。この顔でですね、あれやっちゃうんですよ。画面外とか暗闇とかから突然飛び出してきて。いわゆる“いないいないばあ”。すっごい愚直。その愚直さの方にびっくりする愚直さ。いや、子どもたちが音もなく主人公の死角でかくれんぼしてるあのシーンとかはまだ不気味さと妙な神秘性があって一概に悪くはないんですが、(▼皿▼)の人は自重してくださいよ。他のところがすごく丁寧に出来上がってるだけに、この一点だけが白いシャツのシミみたいに気になって、全体がいまいちに見えてしまうという人は多そうです(終盤ほど▼皿▼の率が上がりますし)。先述のとおり「そうきたかー」などの意外性による突き抜けたインパクトもないため、こういうマイナス要素を押し流しにくいというのも難儀なところ。やはり大好きなのは変わりませんが、最後の最後で惜しい作品でもありました。

4月19日『SOMEWHERE』

「そばにいなくてゴメン」

  • 家庭内の不和は、当人同士の不仲ばかりが原因ではないものです。それこそ、会えば笑い合え、話せば息が合うような家族であっても、軋んでいることはある。家族や親子を扱った作品って、当人たちの間に目に見える隔たりがあったり、最初から関係がぎくしゃくしていたりして、ここから再生や絆の話になるんだとわかりやくはあるのですが、必ずしも我がことのように捉えられるかと言えば、難しいものがあったりします。むしろ他人事としてすげなく捉えてしまって、うちはこんな家族でなくてよかった、仲のいい親子同士でよかったと、妙なところで安心してしまうかもしれない。親の心子知らず。子の心親知らず。子どもは親のために耐えていて、親は子のために孤独かもしれない。絆を確かめ合うようなドラマチックな事件も起こらない日常で、彼らの穏やかな淀みを表現することができたら。その映画がこんなにも愛らしいものだとは、予想だにしていませんでした。
  • ハリウッド映画スターのジョニーはホテル暮らしで放埓気味なだらしない私生活を送っていました。彼には前の奥さんとの間に11になる娘が一人。名前はクレオ。ジョニーは彼女を二度預かります。最初は一日だけ。クレオが通っているスケートスクールに連れていって練習を見学。ジョニーはぎこちなくクレオを褒め、でもクレオは笑ってくれました。二度目は数日後。元奥さんがしばらく実家を留守にするので、2週間後のサマーキャンプまでクレオを預かってほしい。ジョニーはホテルでクレオとTVゲームで遊んだり、一緒にプールで泳いだりして、穏やかな時間が過ぎていく……というあらすじの、本当に終始穏やかな映画でした。予告編の時点では親子ものという以外つかみどころがなさすぎて、ただ父と娘という取り合わせで仲がよさそうなのは珍しいな、程度の気持ちでした(ヴェネツィア金獅子って知らなかったんですよ)。主人公が映画スターだからセレブだろうとも思っていて、離れて庶民的な暮らしをしている娘を、こう、成金趣味な感じでもてなすという、ケバケバ☆フィーバー(?)な画面も予想していたのですが、そういう派手派手しさがほとんどなかったのは最初に意外だったことです。
  • 車なんかはさすがに高そうだし、自室でパーティ開いても怒られないホテル暮らしって、考えてみれば庶民レベルでは無理ですよね。けれど目に見える華やかしさの部分は、ほとんど拝金的ではなく、どちらかといえば質素。せいぜいが「金と女には困ってない」「不自由とだけは無縁」といった感じ。決してケチ臭くはないんですけどね。ポールダンサーを毎晩部屋に呼べるくらいですし。それこそスコセッシのギャツビー氏のようなパーティ(は言いすぎか)を開催してるような主人公で、このあらすじのとおり「かわいい一人娘とイチャイチャするだけ」の映画だったら、僕のような庶民には他人事すぎて何が面白いんだろう、庶民の娘が金持ちの親父からセレブの何たるかを教わる現代版シンデレラストーリーみたいなやつの方が痛快でよっぽどいいではないのと、若干警戒してはいたのです。しかし、まるで「人は欲したものしか持たない」と言わんばかりに、主人公の身の回りに浮世離れしたような激しさはほぼ皆無。脚本に忠実に寄り添うように、視覚的にも終始穏やか。無論、音響演出も常に控えめなものでした。
  • そしてこの映画はついに、派手な演出や“ドラマ”をまったく抜きにして、人の孤独と、愛や幸せとの対比を描き切ってみせてくれました。この映画は最後に主人公の孤独をあぶり出すものです。それにあたってとてつもなく“退屈な”脚本を選んだ。ジョニーとクレオが二人で過ごす時間は終始平和に静かに流れ、流れていき終わるだけ。取り立てて目立つエピソードもない。まるで“退屈な日常”。そしてそれが去ったとき、ジョニーが自身で気づくのです。過ぎ去ったあとに、過ぎ去ったことで、娘と二人で過ごした何気ない日常、その“時間”にあった宝石のような価値と愛おしさを。
  • 「俺には何もない」そう泣きはらした朝に彼は歩き出します。どこへ行くのか、何をするのか、映画はそれ以上語りません。ただ、彼が差しっぱなしにしたイグニッションキーの存在を知らせるアラームは、まるで目覚めの時を告げる置時計のように鳴り響いて彼の背を押し、車の排気音じみた低い管楽器の音で始まるエンディングテーマに溶けてエンドロールへと消えていった。それは彼がホテルや車の中といった“まどろみの箱”から這い出し、時間に価値を与える広大な世界を歩き出した、そのこと自体の価値を印象付けてくれるものだったように思います。

さて、今日のこの記事でひとまず溜まっていた分を消化し切ったということで、2週間ほど映画録の更新はお休みします。
まあ2週間くらい更新がないことなんていつものことじゃないかとも思いますが、
TSUTAYA DISCASの方を月4枚のプランに変更した(前にも書きましたかね)ことで、今月はもう観る映画がなくなったのですよ。
劇場映画の方も、しばらくめぼしいものがないようですし。

映画自体は、繰り返し見たいものを自宅にストックしてますから、観るものには困らないのですけどね。

まああと10日ほど新作をお預けしてみて、くたばりそうになったら最寄りのTSUTAYAかGEOに駆け込みます。
記事の方も、昔からDVDを持ってるせいでこっちに感想書いたことないのとかで、気が向けば更新するかもしれません。