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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

4月24日【日記をつけてみる】

つけとるやないかい、と言われそうですが、ここはどうやったって「人に見られる可能性」を排除はできないインターネット。誰にも見せないノートの中での日記と同じものにはなり得ません。
最低限文章は整え、余計なことは書かない。鬱々とした心情ならなおのこと。
ていうか起きたこと、考えたことをすべてここへ書き出したりはしませんよね?

まあToDoリストの時と同じく、自分のための初心表明として効果的なので、こうして記事にすることもあるのですが。


いえね、今季アニメの『一週間フレンズ』の第二話を見たのですよ。
ヒロインは前の週にあった“友だちとの記憶”を忘れてしまう、思い出せないという設定のため、毎週友だちになってくれる主人公から日記を付けるように提案されます。

一週間前のことを思い出せない、というのは確かに不憫というか、機械的に見ても不便な話です。それもこのヒロインのように人間関係に関わることだったり仕事のことだったりしたら過大なハンデでしょう。

しかし、そうやって外向的で継続的なことはそうだとして、
先週、自分が自分のためにやったこと、考えたことを、僕らは全部思い出せるでしょうか?
ていうか、思い出せる出せないではなく、思い出さない生活を送っているのでは?

少なくとも僕はそうなっている自信がありますよ。
そしてその弊害として、毎週毎週頭の中が同じところをぐるぐる回っているような気がするのです。

これはどう考えても、“今週の思考”に“先週の思考”が反映されていないことに他ならない。
日記がないと先週の友だちとの記憶を思い出せないヒロインを不憫がっている場合ではないんじゃあないか?日記をつけるべきは僕なんじゃないか?

くしくも今日は木曜日。局長氏のブログ「マトリョーシカ的日常」で“木曜日の法則”なるものを読み知ったばかり。新しいことを始めるにはベストなタイミング。

別に日記をつけ始めたからと言って僕の旋回しやすい脳味噌が劇的な躍進を遂げるわけではないでしょう。読み返すのが手間ですし(笑)。
ただ、「まーたおんなじとこまわっちゃってるよ」という自覚がないわけではない分、進歩しないことによるフラストレーションは溜まります。
こういうことは解消できるかどうかではなく、解消しようと努力することが、フラストレーションに打ち勝つことに繋がる最善策であると思っています。

日記をつけるという趣味に幻想を抱くような歳でもありませんしね。もちろん大学ノートを使います。
中身はほとんど“Me観察日記”です。“My観察日記”ですらありません。

ついでに言えば、僕のように内向的な人間こそ日記をつけるべきなのかもと。
ほとんど癖になっている自分を見つめ直すという作業を、外部記憶を使って単純化すれば、節約したリソースを外向的なことに使える。みんなができるのにできないことがあるという人は、リソースの総量が問題なのではなく、たいてい利用効率が悪いだけです。僕もすこぶる燃費が悪い。

そういうことの解消は常に急務ですからね。はい、今日から日記をつけてみます。