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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

6月9日【映画録52『地獄でなぜ悪い』】

※case.728の映画録は、5段落前後でまとめる参考記事を目指しています。
ネタバレするかしないかは各記事の都合によってまちまちですので、しててもしてなくてもご容赦ください。

6月4日 地獄でなぜ悪い

「これこそ二度と撮れない奇跡の映画ッ!」


1. ヤクザが映画作りたいので自分ちのガチ殴り込みを撮ることにしました(何言ってんだ…)という設定で予告編もなんだか(堤さんが)楽しそうだったのでホイホイされてみました。最近妙にスプラッターに縁がありますね(笑)。とはいえ本作は『冷たい熱帯魚』の園子音監督。何かひと癖ふた癖あるんじゃないかとひそかに期待しながらとりあえず笑いに行ったのですが、特に癖もなく普通に爽快でした。いや、ないというのはさすがに嘘なのですが、みもふたもない言い方をすればそれはどうでもよかったというか、どうしようのなさで一線を画せるダメ人間たちの人間模様と、それが織りなすモラルも常識もぶっ飛ばしたギャグ、という表面的な要素の方がその“ひと癖”という感じで、非常に“笑ってさえいればオーケイ”な作品だったように思います。それだけで2時間ぶっ通しですから、その、飽きがですね……。


2.(あらすじ)平田(長谷川博己(現在)/中山龍也(高校時代))は高校時代から映画バカだった。いつか自分の映画が撮りたいと思っていた。同じく映画バカの仲間もいた。しかし撮らなかった。いつか映画の神様が至高の一本を撮らせてくれると信じていたからだ。一方、武藤組の組長・武藤(國村隼)は娘のミツコ(二階堂ふみ(現在)/原菜乃華(10歳))を女優にしたかった。それが最愛の女房(友近)の夢だったからだ。ミツコは10歳でCMデビューした。しかし他の組との抗争で女房が人を殺したのでパアになった。それでも武藤はミツコをしゃにむに女優にしようとした。ミツコはしかし半端なデビューを嫌がって家出した。それが元でまたデビューがパアになった。武藤は女房にミツコを映画デビューさせると約束していた。その女房の出所まであと10日を切っている。武藤の目に組の抗争はまったく入っておらず、ついに組ぐるみで自主映画の制作をするぞと宣言する。


3.(あらすじ2)女優としてのミツコにはファンが二人いた。一人はCMデビュー当時高校生だった公次(星野源(現在)/伊藤凌(高校時代))。もう一人は武藤組の抗争相手、池上組の組長(堤真一)だった。池上もミツコに女優にしてやりたかった。武藤じゃそれは無理だと豪語して抗争をおっぱじめたのだ。一方、公次はケータイをなくした。公衆電話で母親にそのことを説明していたら家出中のミツコに捕まって彼氏のふりをしてくれと頼まれた。ミツコはエロかった。ていうかCMデビュー当時自分の胸を射抜いたあのミツコだと気付いた瞬間公次は奴隷と化した。ミツコが武藤に捕まって公次も一緒に連れていかれて当然のように殺されかけたが、ミツコが機転を利かせて公次は映画監督だと嘘をつく。武藤にとっては飛んで火にいrじゃないや寝耳に水の果報。早速武藤は公次に映画を撮らせようとするが、もちろん無理なものは無理なので公次は逃げ出す。逃げ出した先で偶然“映画が撮れるなら死んでも構わない人”の連絡先を手に入れる。それは高校時代の平田が願いがかなうという祠もどきへ押し込んだ、彼の願いを書き記したメモ用紙だった…。


4. キャラが多くてすごく濃ゆい!自分が説明ベタなだけだったら笑うだけですが、実際群像劇としての脚本の密度と精度はなかなかです。こんだけ馬鹿馬鹿しくて乱暴極まりない筋書きでありながら!まとまりのある台風とでも言えばいいでしょうか。ただし、通りすぎたあとで「何だったんだろう…(゜。゜)」となるあたりも“台風”なのがなんともはや…。


5. 全体的にあからさまな“悪ふざけ”としても秀逸と言えますね。雰囲気は全然違いますがなんとなくシンプソンズを彷彿とさせられました。全体的にどうしようもないものをどうしようもないまま、極めて当然のようにやり散らかしてみんな死んで終わり、みたいな。その点と併行して、役者さんの遊び具合というか、厳密には役者さんで遊んでるのが徹底的に楽しかったです。仮面ライダーカブトにノリノリでブルース・リーやらせてみたり(髪型までかよ!)、ヤクザ役の似合うシブいオッサンをロリコンにしてみたり。堤さんの満面の笑みがあのもう……。


6. こんな感じで表というか“ガワ”が終始ギャグギャグギャグで、しかし誰も彼も情熱の空回る人たちばかり、というのはなんだか僕自身にも思うところがありますし(笑)、そんなこの舞台の下敷きには何か訴えるものがあるんじゃないか、ってちょっと期待させられるような節もあったのです。が、結局そんなにピンと来るようなものは感じ取れませんでしたね。最後、カメラに向かって走っていた平田が声をかけられてフレームアウトして、「〜という映画だったんだよ」と思わせるようなあのエンディングに切なさを覚えないではないですが、正直先に取って付けたような感じがして白けてしまったくらい(というか、直前に平田の妄想を見せているので虚構と現実の対比をさせるのに非常にバランスが悪い)。映画バカもとい映画狂といえばインディペンデントの『CUT』が思い浮かびますが、あの痛烈な“作る者の痛み”を見せつけられた後だと、本作のひねりの弱さがいっそうマイナスに感じられてしまいます。*1