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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

夏休みをなくした今捉え直すAIRの抒情

サブカル ピックアップ

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自分に強く影響を与えたものを他人にも理解してもらいたいとは誰しも思うことでしょう。自分はどうしても『AIR』について延々考えてしまいます。*1

あの作品の結末や終盤だけを抜き取るのでは、己の人生に満足できた短命薄幸のヒロインを憐れみ慈しんでいるようにしか思われないことが多いでしょう。この情報の世には「凡百の逸物」という概念も成り立ちますし、その中でも耐えうるアイデンティティを、自分にとって特別な自分以外のものに渇望することも、たぶんよくある話なんじゃないでしょうか。僕なんかは性分で、そういうのも自分で見つけたものでなければ気が済まないため、もしかしたら以下は巷ではされ尽くされた考察かもしれませんが、長年の憂いが氷解に至ったことを喜び、季節感も無視して独りよがりに書き出しておくことにします。

 

 

消える飛行機雲 僕たちは見送った

 

 

かの『AIR』について、最近になって自分の中に出てきた一つの答えは、あれはあらゆる意味で「夏休み」だったということ。*2

それも、誰もが夢見る賑やかでキラキラとしたひと夏のことというのではなく、むしろより多くの人々が体験するであろう、何かをなそうとしてなせなかった、何かをなせる・どこかへ遠くへ行ける気がしているうちに過ぎ去り、残したつもりでいたものも季節の移り変わりの裏に溶けて消えてしまった、はかなく漠然とした大いなる可能性の幻影を見た、ほぼすべての僕らの「夏休み」だったということ。

そのモチーフにおいてヒロインの死は、その後何事もなかったかのように回り続ける世界をして、僕らが準備しかけた偉大なる冒険の荷をほどいた後と、同じ感慨を抱かせるための装置に過ぎないところもありました。ただしその感慨は、何もなし切れなかった悲しみや虚しさ、悔しさや憤りばかりでできているのではなく、あの日確かにノートを広げ、リュックに入れる物のリストを書き出していたときのあの楽しさと、罫線と色濃い夏空の果てに見ていた可能性の大きさや華々しさとを、確認するものでできているのではないかと。

 

ヒロインも主人公も、あの作品では何もなせていない。

なした気がする何もかもは、あの概ねすべての音楽が表現する夏の空気*3とのみ共にあり、物語の終焉と同時に、過ぎ去った「夏休み」のように、過去へ置き去りにされ、今と未来とにはこれっぽっちも干渉しない。

彼らの生きた気配は、匂い立つ季節の変わり目の風に押し流されて見えなくなる。まだまだ潮の香る残暑の季節だとしても、夏休みは終わる。

 

ただ、それを憐れに思わないからこそでもあります。

二度と手の届かないあの夏の太陽と同じく、手の届く気がしていたあの頃の心のときめきと同じく、ただ過去にあり続け、あるいはあり続けることを願わくばと思う。

だからこそ僕は、あの作品をいつまでたっても、自分の宝物のように感じるのでしょう。

それも当然のこと。なにしろ記憶の中の愛おしい夏休みと、まるで同じにおいがするのですから。

 

 


AIR 鳥の詩 ピアノversion - YouTube

 

 

Key Sounds Label Re-feel Kanon・Airピアノアレンジアルバム

Key Sounds Label Re-feel Kanon・Airピアノアレンジアルバム

 

 

ぼくのなつやすみ

ぼくのなつやすみ

 

 

*1:よく間違えられるが、七津はいわゆる“鍵っ子”ではない。Key作品は実質的には『AIR』以外知らないし、そもそも『AIR』もかつてアニメから、予備知識なしで何気なく手に取ったにすぎない。

*2:そもそも作中時間的にも夏休みではある。また、学生の身分にあるヒロインたちはいずれも同年代の人間関係が極端に希薄な部類。そのため当然学園もの的な描写はほぼ皆無だし、大人は仕事中だったりする。ただ、主人公は(年齢的には学生のはずだが)学生でないどころか浮浪者同然住所不定無職の身分であるため、彼にとっては毎日が夏休みであり、裏を返せば夏休みという特別性を備えた概念を意識し得ない。にもかかわらずこの作品が全体で「夏休み」を体現しているというのであれば、そこには迂遠で精力的な表現の妙を感じずにはいられない。

*3:AIR』のBGMは、テーマソングである「鳥の詩」「青空」からはインスト版でも海や海辺のイメージを想起されるものの、他の多くは夏空の下の田園風景など緑豊かな景色を連想させられ、潮風をあまり感じない。正直これも長年不思議に思っていたが、このたび気づいたこの考察で得心がいった。物語の都合で海に行かないままの「夏休み」を体現するならば、それは夏の濃い青の空と強い日差しの下の緑色だ。