case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

ダラダラと等価交換

ダラダラ族1号

ダラダラ族2号

我が家のダラダラ族たち。

 

七津も最近休日こんな感じ。なーんかやる気出なさすぎて正直危機感覚えてます。

 

DAYDREAMがリエちゃん(Juliet)デフォルト装備のねりちゃん。MDDとDAYDREAMとの服の互換性は目下研究中です。

とりあえずこのワンピースは袖がややきつめだった以外はほぼぴったり。上や下の写真で着崩れてるのは普通に背中のスナップ外してます。

でいどりーむねりちゃん

アイも替えてみました。 ボークス純正のアニメティックアイズHタイプのるり色。

メーカー製品のアイはさすがに綺麗ですねえ。

 

ねりちゃんの細目でこう黒目が増えると暗いところではいまいちですが、うまく光を入れると反射光がつるりと映えてかなり魅惑的。申し訳程度の「るり色」も差し色として仕事してくれます。

休日はもうずぅぅ~~~っとごろごろ

こんな感じ。目ぢからがあるってステキ☆

(写真終わり。以下長文)

 

それはそうと、写真に写っていますが、大きい子用の撮影スペースも新たに確保しました。デスクライトが生きているのに物置と化している勉強机が余っていたので、100均のテーブルクロスを無地とレースと複数買い込んできて適当に張り合わせた次第。

本当は、物置と化す前はミシンを使うための机として置いておいたんですけどねえ。もうさすがに当分はそこまで趣味を広げる余裕は持てそうにないとすっぱり諦めました。まあ布は画鋲やクリップで止めているだけなのでいつでも元に戻せますが。

 

裁縫もそうでしたが、自分にとっての趣味、ホビーと呼べるもの全般について、いい加減再編の必要性をひしひしと感じている今日この頃です。ていうかまず、休日がやたらとやる気起きません。趣味以外のやらなきゃいけないことまで巻き込んで、休日が来てしまうと片づける気が起きなくなる始末。平日はわりと金曜の夜までテンション高いんですけど(´・ω・`)

バイタリティに欠陥があるのはまあ今さらのことでして、問題は精神的な方ですね。余裕は今そこそこある方なので、仕事や日常のストレスが原因ではないと思うんです。

そこでいろいろと思い返してみて最近思い至ったのは、自分にとっての“趣味”の位置づけが変わってきているんじゃないかということ。

学生時代の七津にとって“趣味”というものは、続けることに意義がある的な概念のものでした。しかしそれって、逆に言えばそう思うことで、「続けること」を意義に代えることができて、そもそも何かしらの意義を求めていく必要が“趣味”にはあったわけです。わかりますかね? 利益損失を気にせずにただ“続ける”だけで意義がある、と言えるものが“趣味”というものだという意識が学生時代の七津にはあって、つまり七津にとっての“趣味”とは“意義のあるもの”で、ひいては七津は“趣味”に“意義”を求める考え方を今までしていたように思うのです。

そしてそういうふうに、「意義があるものを趣味にしよう」という考え方によって、七津はこれまで、趣味を選択してきたわけです。

ところが、今の七津に対して、趣味に意義が必要かと自問すれば、答えは“NO”。

ここんところで、昔の七津と今の七津との間に大きなズレがあるじゃないとか思うんですよね。

思えば、外出やグルメの趣味ひとつ取ってみても、そういう趣味を持つことで公共性のある人間ぶろうとしていた節がありますし、映画の趣味もそうだと言うと腑に落ちない人の方が多いかもしれませんが、実際僕にとってはそういうのの最たるものにいつしかなっていたわけです。映画館・劇場ってなんだか文明人が行くところっぽいでしょう?

こう言うと今までの自分を悪びれいるみたいですが、しかしそう自虐的な気持ちでもありません。実際仕方のないことだったとは思いますしね。なにしろ、そのような姿勢でいないと社会は受け入れてくれないものだと勝手に思い込んでいたわけですから。正直自責より相変わらずの厚かましさで腹立たしさの方が目立っちゃってます。そりゃあ身体的な問題をずっと精神論もとい熱意と根性で見苦しくぐえぐえ言いながらもだましだましやってきた人間が、わりと社会の方がチャランポランで寛容だって現実を知ったらそりゃあ、怒りますよ。だったら最初から“そっち”は適当でいいって教えとけよ、みたいな。

まあしかしそう過去のことで気を揉んでいても仕方ありません。問題はこれからです。社会がチャランポランだからって自分までチャランポランに腐る必要性はないでしょう(嫌な前例いっぱい知ってますし)が、しかし「自分にとって(自分のために)意義のある行為」として揃えてきた趣味の多くに魅力を感じられなくなってきたことも事実。打ち込んでみればなんとなく意義のようなものや充実感はまだ得られるのですが、しかしそれらが価値あるものに感じられない。とはいえ、趣味に打ち込まずに自堕落に過ごす時間というのは、あまりに自傷じみていて、それが現在の一番のストレスでしょうか。気を紛らわせるための散財がクセになりつつはありますが、奨学金返済もありますし通帳と睨めっこしながらのこの新しい“趣味”が「たいそうなリフレッシュ」であることは明々白々でしょう。

一応今がチャンスではあるのです。かつての“趣味”はやらなきゃいけないことでしたが、これからの趣味はそのようなプレッシャーをハナから持つ必要はないのです。ただしかし、それならこれからの自分にとっての“趣味”とはいかなるものなのか、いやそもそもそれは必要なものですらあるのか――少なくとも“趣味”という存在の位置づけを見いだせるまではこの無気力から抜け出せる気がしなくて、どうにも気持ちばかりが焦ります。

 

ショッピングの女王 (文春文庫)

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