case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

パンがなければコンビニでなくベーカリーへ

ポイって今日を投げ出さない!

 

車中BGMはCDで流す派。SDカードも使えるしBuetoothでスマホも繋げる(スマホに入ってる音楽を流せる)けれど、18、9曲くらいを一つの単位にして曲順を自分で考えて、ヘビロテしてるうちに「お、次はあの曲が来るかな」「到着までにあれ来てくんないかなー」なんて考えながら運転してると結構楽しい。SDカードならプレイリストも作れるけど、CDの容量という制約の中で曲の順番が吐き出す効果を精一杯考えるのがオモシロいから、そういうことをしようというモチベーションが持続するんだろう。運転中は曲順が正確に思い出せなくなるが、おかげで「精一杯考えた過去の自分」から思いがけない贈り物をもらえることもある。だから飽きてきてもランダム再生や頭出しは極力使わない。というか飽きてきたらCDを物理的に差し替えればいい。面倒だけれど、その面倒くささがまた、一度焼いたら焼き直せないCDという媒体に注力するモチベーションに変わってくれる。ここの曲順は失敗したなと思うことがあっても、精一杯考えたのだからいいところも必ずある。それが出てくるのをじっと待つのも心地よい感情の起伏だ。いいところばかりになるまで何度でも焼き直せるプレイリストではやはり面白みに欠ける。

じゃあいっそカセットテープにしちゃえば?なんて意地悪なことは言わないでほしい。天秤にかけるものくらいある。どんなにモチベーションを高めようとかけられる時間と体力にも制約がある。車中の収納スペースにも限りがある。何よりカセットテープ対応のカーオーディオに取り換えなくちゃならない。そこに必要な費用もモチベーションも大したことなくない。CDくらいのこだわりは存外に「お手軽」だ。何しろパソコン一台あれば可能になるこだわりだもの。

通勤の車内でCDを楽しむのは自分ひとり。自分が満足できる程度のこだわりで充分。ただその程度の日常への「ちょい足し」が案外大切だったりするという話。そこへかかるモチベーションを軽んじてもいいことはそうそう起こらない。

 

わりと真面目な話としてモチベーションの問題は深刻だ。

ここの映画の感想って意識的に自分のために書いていたものだったのだけど、実際それって映画から学べることがたくさんあった頃の話だったわけだ。ものの考え方だとか捉え方だとか価値観の幅だとか、感情とか理性とか無意識とか、あるいはエンタメやジョークのセンスだとか、何が幸せで何が残酷だとか、正直筆舌には尽くしがたいどころじゃないのでこうただ羅列するだけだとどれも曖昧な上に安っぽいことこの上ないのだけれど、でもそういうもにょもにょしたものたちをちゃんと消化し吸収できるようにするために、ここで言語化を試みていたような次第。まあ要は、どんな作品も価値観に踏み込んでくるなら刺激的だったわけですよと。

それがねー、もうさすがに近年は何観ても「あーそういう考え方ね」って了承できるようになっちゃって。いやさ、観れば内容を完璧に理解できるようになったって話じゃあない。七津はどうも慧眼とは無縁だ。ただ、他人の話を聞くなり読むなりして作品を理解しても、このところは理解しただけで終わってしまう。「あーなるほどね」みたいな無感動。納得がいかないことがあってもそれはそういうものだ、この製作者はこういう考え方だからこんなになるのも無理はない、みたいなね。理性的に“了承”しちゃう。もうそういうのって「あー知ってる知ってる」みたいなノリとそんなに変わらない。全部知ってるというのは言葉にしてしまうと傲慢そうだけれど、「人間にはいろいろある」って言葉で片付いちゃうようになると、なんとなく知識欲というか知見欲というかが満たされることとは繋がらなくなっちゃうんだと思う。

じゃああとは何のために映画観るのかって話になるよね。もしくは何のために感想書くのか。人に紹介して、誰かと感情を分かち合いたいとか、まだ観てない人に観てもらってその映画を知ってほしいとか、ひいては映画を好きになってほしいとか映画業界が盛り上がるのに貢献できたらなあ、とかがどれだけ本気で思ってるかに差はあっても多かれ少なかれあると思うわけよ。あるいは純粋に自分の楽しみとして観続けていて、感想を書くとしたら観たものを忘れないため? それこそ本当にマニアと呼ばれる類の人が当てはまるんだろう。

で、七津はと言えば、映画そのものから何かしらを吸収できるから趣味にしていたわけだ。知識欲、知見欲に直結する貴重な“媒体”として映画を観てた。教養欲でもいいかな。それで吸収率を上げるためのツールがブログね。もちろん常に栄養食ばかりを欲していたわけじゃない。ジャンキーなのや駄菓子みたいなのを挟んだりしてバランスとってたよ。楽しむためのものでもあったわけだ、映画。

それが今は楽しみだけで観ちゃってる。というか厳密には七津にとっては知見欲とかが満たされることが一番の楽しみだったわけで、そこと繋がらなくなってからはもうただの暇つぶしのような感じになってきた。

七津はお勉強がしたいんだよ。もちろん楽しくな。

いや別に暇つぶしならそれはそれでもいいと思ってはいる。どちらかといえばほぼ同じ理由でTVドラマやその系列のお気楽映画は早々に観られなくなったし、いいかげんアニメもきつい。だってさー、特に今どきのアニメの主人公なんて、ドラッグの依存症に悩んだり誤って殺しちゃったヒトの親と偶然出会ったり怪物に殺されるくらいならいっそって仲間全部介錯した後に救援が来て絶望したり、せんやん(なんか違うな…)。正直に厳密なところ七津の中でアニメはAIRで止まってる。いいとこいろはとピングドラムサイコパスとクラウズも挙げていいし、秘かにはプレアデスに感動している。探せばあるやんという話ではあるが問題は打率だ。

かつて大学の後輩にも言ったことがある。「(映画観るのに)二時間かけて何も得るものがなかったら悲しいぞ?」

繰り返すが、暇つぶしにしかならないなら暇つぶしにシフトすればいいだけの話。面白い楽しい癒されるとわかってるアニメが見たくないわけじゃない。ただ、いうなれば現在知見欲あたりを満たしてくれる方面は今やこぞって空席なわけだ。そこが少しでも埋まらないうちは、何をしていてもひたすら箸を休めるだけの人間になってしまう。元来何かしら生産をしていないと死ぬタイプの人間だ、七津は。ただ消費する側に回っても味覚を豊かにするという大義なしにはいられない。だが舌が肥えうるという前提なしには具体的な衝動さえ湧き起らない。

最近は特に無感動というより、内から無衝動的だと感じることも多くなった。七津は今とてもお勉強がしたいのだが、果たして何について何を介してお勉強すればいいものか。部屋の積み本とか一旦全部売っぱらってすっきりさせてみた方がいいのかもしれない。

 

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