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case.728

映画とお人形ばかりで恐縮です

映画録79『TED2』

晴れて合法化されるその日までは喫いませんし持ちません。安全説や解放を訴えていいのはまずそう言える人間だけだろう。いつだって法は法だ。(関係あるようでないようでありそうな小話)

 

※R15+(再生注意)


TED2 R15 『テッド2』R15+版予告

 

TED2(テッド2)

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※この記事は『TED2』の紹介記事に見せかけて『TED2』をコテンパンにディスりながらそれとなく前作『TED』をおススメする記事です。『TED2』が『TED』同様面白かった、あるいはよりグレードアップしたという率直な感想をお持ちの方には不快感を与える可能性がありますし、『TED』が面白かったので続編の『TED2』もこれから見ようと思っている方には余計な先入観を植え付けてしまうかもしれません。知らないで観た方がいいかもしれないネタバレもあります。

 

あらすじ

 いい子の願い事は叶うもんだって神様の気まぐれか何かでジョン少年のクマのぬいぐるみテッドにはある日魂が宿った。ただのぬいぐるみだった頃からテッドと仲良しだったジョン少年にとって魂の宿ったテッドはまさにベストフレンド。二人は超仲良しのまま一緒に成長して一緒に大人になって一緒におっさんになってそれでもまだまだ仲良しこよしの腐れ縁。二人そろってとてもお子ちゃまには見せられないろくでもない大人になっちまったけれど、ジョン(マーク・ウォールバーグ)はある女性と結婚してテッドも職を得てお互いちょっとだけ独り立ちしましたおめでとう。というのが前作。

 月日は流れて、半年後。前作であれだけ紆余曲折の苦難を乗り越えて結ばれたのにジョンはもう離婚してヘコんでた。一方しゃべるクマ(声:セス・マクファーレン)は前作の就職先(スーパーのレジ係)で出会ったギャルのタミ・リン(ジェシカ・バース)とめでたく結婚。クマ生絶好調。

 月日は流れて一年後。ジョンはまだお一人様でオ〇ニー三昧。そしてしゃべるクマもタミ・リンと喧嘩三昧の日々。こんなはずじゃなかった。そこでテッドの方はタミ・リンとの良好な関係を取り戻すために、赤ちゃんを作ろうと決心する。精子ドナーを探して走り回り、過去のドラッグ乱用によるタミ・リンの不妊が発覚してもへこたれず、養子を得ようとするテッド。しかし養子関係で役所のお世話になっているうちに、州にこんなことを言われてしまう。

「あ、今まで気が付かなかったけど、よく考えたらキミに人権なかったわ(笑)」

 かくして人権がなかったことが発覚しちゃったテッド。赤ちゃんどころか職も住所も結婚さえも“なかったこと”にされて鼻血も出ない。タミ・リンは同情してくれてるけど、もう頼りになるのは永遠のカミナリ兄弟・ジョンの友情だけだ。

 さあ、二人で州を訴えろ!クマの人権を取り戻せ!研修という名目でタダで弁護を引き受けてくれた新米見習い“クサ厨”弁護士のサマンサ(アマンダ・サイフリッド)も仲間に加え、世界一残念なイケメンテディベア・テッドの、“世界”を変える戦いが始まる。

 

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この映画と七津

 ヤク中の独身中年男子なしゃべるクマのぬいぐるみが主人公、というろくでもない設定でスマッシュヒットを手にした監督セス・マクファーレンが、その『TED』の興行で得た資金をどんぶり勘定でつぎ込んでやりたい放題したい放題ワルノリてんこ盛り盛りでやらかした(七津評)『荒野はつらいよ~アリゾナより愛をこめて~』を挟んでリーアム兄サンのケツに花挿しても(い、いや本人だったとは限らない…! ;・`ω・)まだまだ全然余裕だったらしい金と人望をぶち込んで豪華絢爛に送り出した正当なる続編がこの『TED2』。しかも兄サンがチョイ役で続投。それもかなり意味不明なチョイ役。監督と兄サン仲よすぎんだろ。と半ば呆れつつも、その時点でもうすでにむせかえるような金とマンパワーの浪費のにおいを嗅ぎつけて期待に胸膨らませていたのでした(*´ω`*)ウフフ

  まあしかしミラ・クニスの降板にはいきなり驚かされてさすがに素で戸惑ったよ(´ω`;)。前作でジョンとテッドの間に立ってあれだけいろいろあった末に晴れてジョンと結婚してテッドとも和解したヒロインのロリー(ミラ・クニスが、今作ではすでにジョンと離婚したことになってて顔見せ一切なしだもの。そりゃ、ジョンがちょっと大人になったりジョンとテッドの共依存関係がやわらいだりしたことと、ジョンとロリーの結婚生活が上手くいくかどうかはまた別の問題だっていうのはまあわからないわけじゃない歳ですけどね僕もね。でもさすがに思い切りが良すぎたみたいでポカーン(゚д゚)でしたわ。

 ちなみにミラが降りたのは産休のためで、別に監督と喧嘩したわけじゃないよ、ってことになってる。なってるけど、作中では写真での顔見せすらなかった上に、主人公とは離婚→新ヒロインと完全に交代で、たとえシリーズがさらに続いても二度と出る幕がないよう処理されてると思えるのは七津だけだろうか。いや冷静な場合でも当然の処理じゃないかとも思わなかないけど、テッド3では産休明けてるからミラ出てくるかもね、なんて書いてるお気楽な記事も見かけたもんだからいやいやそれはちょっとと。

  念のため書いておくと、この本作の「ノーロリー」、観ながら納得するのも観続けるのもそう難しいことじゃあなかった。その点は安心してもいいけど、ただし観終わってから考え込むとちょっと引っかかってこないわけでもない。ロリー降板が痛かったのかどうか、実際のところは監督自身にしかわからないけど、ミラ・クニスの妊娠を遅らせる以外に金にモノを言わせてこねくり回した脚本は、なんというか微妙な仕上がり。

 

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おススメどころ

 いきなり断言するけど一作目の『TED』からして目新しさと話題性以外に観る価値のある映画だったかといえば、まあその、うん(否定形)。お下劣系コメディの地位を向上させたという点ではなかなか罪深いやいや意義深い作品だったとも思うけども、中身自体はお定まりの既定路線で分かり切ったようなこと以外は何もやっていないからね。所詮デコレーションでしかない毒とアクを全部抜いてからお子様に見せたとして、ホームアローン2のハトおばさんのごとく後々の人間性にまで染み渡る残り方をするかといえば、まあないわけで(救いようのないク〇ガキは誕生するかもしれん)。

 ただね、それでも七津的に『TED』はちょっぴり特別。ありきたりの中身でも、唯一的に「好き」になれる部分があったんだよね。他にはないってやつ。それが主役のジョンとテッドの二人の関係性。

 まあ二人の関係が何かってひとことで言えば腐れ縁。ちょっと悪く言うと“惰性”よね。ジョンとテッドの二人には別にくっつく理由があったわけじゃなく、邪魔するものも離れる理由も自然には出てこなかったから、いい年した大人になるまで同じ関係を続けてきたに過ぎなかったってやつ。あんまりにも長く続けてきたせいで、そういう惰性に身を任せること自体がもう気持ちよくもなっちゃってもいたんだろうね。気持ちよけりゃ後は依存するだけ。当然付き合い方は変わり映えしないこと方に価値をおいた閉鎖的で常になあなあに済ませる感じのなれ合いじみたものになってくわけ。

 このクソしみったれた「成人男子たちのなれ合い感」が、誠に残念なことに七津の琴線ひっつかんできたものの本体。親近感?っつーよりもはや既視感?そうそう男同士ってこんな感じでなれ合っちゃうのよねーって(ノ´∀`)ワカルワー。これがまた結構映画ではしたことのない共感だったの。

 さらにいえば『TED』の二人は正しく「中年男子」でもあった。何がというといろいろあるけど、一番わかりやすいのは“体力がない”こと。スタミナ、とか、バイタリティ、ての。が、ない。一作目で七津が特別好きなシーンが「ジョンとテッドが取っ組み合いのケンカをするシーン」なんだけど、これがまさに友達同士じゃなきゃしないような激しい取っ組み合いなんだけど、でも続かないんだよね。二人とも途中で疲れちゃってさー、ジョンがテレビの下敷きになるのをテッドが本気で心配したりしてさー、もう俺たちなにやってんだろーってどんどん冷めてく。若さのかけらもねえなオイ、つって笑っちゃうんだけども、まだそこまで歳食ってない七津でもももうわかるんだよね、あー自分らも多分こうなってくなあ、って。

 むしろ「なれ合いで表現される中年男子感」って言った方が正解かな。そういうのが『TED』においては真のアイデンティティーだとも思えたわけ。アイデンティティーが好きになれるんだから、そりゃあ七津にとっちゃ“いい映画”っすよ

 さらにジョンの婚約問題、すなわち恋人のロリーの介入によって、ジョン・テッドの間にある惰性が崩壊し、一つの転換期が訪れる。その非常に遅い転換期に対して、ダラダラとなれ合うことしか知らないまま大人になった男同士二人がどのように対処していくかというのが全体の脚本的な論点だったし、それがカウンターになってテッドとジョンの二人そのものとも言える「なれ合いの関係」をより引き立たせる脚本にもなってた、と。

 ここまでが前作の話。『TED』のハナシ。シリーズ1作目のハナシだけでおススメどころが終わっちゃったぜオイと。けどそれで何ら問題なかったりするのが『TED2』。

 

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微妙どころ

 客がどんなによさを認めても、同じものを製作者が念頭に置いているとは限らない。『TED』で二人のおっさんのおっさん的な関係がやたら生々しくてハートフルだったのは、監督セス・マクファーレン自身が陽気で陳腐なギャグ大好きの普通のガキっぽいおっさんだったからなんだろうね。お下劣スベリ芸もほどほどの予算でやってるうちはおっさんがでこから汗噴きながら必死で若い連中を笑かそうとしてる忘年会の宴会芸みたいなもので、半苦笑しながらもなんとなくほっこりさせられてもう全部許せるような気がしてしまっていた。ただこれが金にモノを言わせるようになるとだ、途端に笑かそうとする意図がいやらしいものになって、派手になればなるほど見てるこちらが恥ずかしいばかりの代物へとなり下がっていく。多くのおっさんの弱点は自分が若い子の目にどう映っているのかなかなか自覚しづらいところだ。

 ジョンとロリーの離婚がいきなり続編の完成度を脅かすわけじゃあない。しつこいようだが『TED』のアイデンティティーはテッドとジョンの二人の冴えない二人三脚の方にある。だからロリーはいなくてもよかったのかもしれない。しかし『TED2』の脚本は、正直ジョンもいなくていい。序盤はまだマシだが物語が佳境へ進むほどそのケが強くなってくってんだから笑えない。

 もちろん作品的にはジョンは必要だ。ジョンの存在は主人公であるテッドというキャラクターのアイデンティティーの欠かせない一部でもある。しかし、言ってしまえばそれは「会社の事情」みたいなもので、役員会議には各部署の専務に全員出席義務があるんだけど、議題と関係のある部署はいつも三つか四つくらいというのが実態で、部署によっては誰か出席している必要が実質的には皆無だったりもする。『TED2』のジョンは、つまりこの「議題とあまり関係のない部署の専務」のポストにいる。「議題」というのはもちろん脚本のこと。ただ、同じく「専務」でしかも同期で仲のいいテッドが「議題」のど真ん中にいるもんだから、ちょくちょく口をはさんだり助け舟を出してたりもしてるし、周りもそれを黙認してる、といったような感じだ。

 それで回るならそれでもよくね?とこの例えだけ聞いて思っちゃった人は何が問題かをちょい勘違いしてる。会社でたとえたけどこれはあくまで映画の話。なので、「社長」である監督(あるいは「副社長」=脚本家)が特別大事なはずの二人の「専務」両方に関係のある「議題」を選んで持ってこないとおかしいだろ?っちゅうわけ。

 具体的に見直してみる。

 さっきも言ったが序盤はまだいい。テッドが赤ん坊ゲットするために精子ドナーの話が出てくる。いい年のむさい男二人が理想のザーメン求めて走り回ってる姿は普通に滑稽。だが大事なのは客側は「いやいや、ジョンのでよくね?」と心の中で突っ込みながらそれを観ているということ。最終的にはジョンが「僕のじゃダメなの?」と切り出すのだが、テッドはバツイチでいまだカノジョもいないジョンには遠慮があって、その発想はいの一番にあったが自分からはなかなか言い出せなかった、と打ち明ける。ジョンはジョンでもう恋愛に未練はなく、使い道のなくなった精子がテッドの役に立つなら本望だと宣言。精子ドナーをめぐる一連の流れから結論までが、ジョンとテッドの関係や距離感を浮き彫りにしてみせてくれる。

 最低なのはそっからだ。百歩譲って、タミ・リンの不妊発覚によって精子ドナーのくだりがバッサリ無駄に終わったのはまだよしとするとして、そこから今度は養子縁組に手を変えようとしたら、その手続きがきっかけでテッドに人権がなかったことが発覚して、市民権を初めとして人間なら認められるあらゆる財産(仕事や結婚を含む)を取り上げられたことで、テッドが州を訴えるという流れになるわけだが、テッドの人権問題は誰がどう頑張ってもジョンには他人事だ。にもかかわらず、なんと本作の本題はこの「テッドの人権問題」の方で、最後の最後までその話が引っ張られ続ける仕様になっていた。ホント、裁判とかネタ扱いでさっくり終わるもんだと思ってたわー( ´・ω・)

 もちろん気持ちの問題はある。兄弟同然のマブダチが世にも酷い目にあってるんだ。同情はおろか義憤にまで駆られない方がどうかしてる。だが他人事かどうかというのはそういうこっちゃない。「気持ちの問題」から目を覚まして考えれば、テッドに人権があってもなくってもジョンにとっては具体的な損得がないことがわかる。「気持ち」以外には影響がない。「気持ち」だけなのがどうして悪いかって、その気持ちはジョンだけのものだからだ。俺たち客のものにはならないということだ。客はジョンを理解まではできるだろうけど、ジョン本人じゃないんで、同じように他人事ながらもテッドに同情するところまで付き合えるかといえば実際難しい。

 あーなんか理屈っぽいな。もっと簡潔に言おう。ジョンにとっても他人事ではなく、観客も付き合いやすい「議題」なんてもっと他にあっただろ?って実際はそれだけのハナシ。

 つーか「テッドが人間(と同類)かどうか」とかさ、正解が分からないような原始人はもう現代には基本的にいないわけ。南北戦争は終わったしゲイは公職に就けたのよ?史実を映画化したってんならともかくこれは髪の先から足の爪までばっきんばっきんのフィクションなわけよ。しかも娯楽映画。それで結論のわかり切ってる裁判シーンなんて要するに茶番ですわ。だから、茶番と割り切ってネタ的な扱いでさらっと流すんなら、クソ判事がどんな判決出そうがわりとどうでもよかったりはする。けど、そのクソ裁判のやたら神妙な有様をメインの肴に食わされて、さあ盛り上げ役のジョン君を見習って義憤に燃えましょうねって言われた日にはもう、アレですよ。ダルい。女子高生みたいな口調のトウの立ったギャルくずれが合コンで割り勘言われた後みたいな態度でスマホ眺め始めてくれるわ。

 実際テッドはテディベアなんで、観客は主にジョンを通して物語に入り込もうとする。だから、付き合いやすい議題って何さ、といえば、とにかくジョンにとっても他人事では済まない話になっていれば大方は即ホテルまでついていける。

 七津の発想力だとロリー不在がここで痛い。ジョン&ロリー夫妻が健在なら、本作序盤にもある「子作り」という要素を介して、テッド&タミ・リン夫妻とめちゃくそ簡単に手をつないで踊れていたかもしれないからだ。

 なにしろジョン&ロリー夫妻はやや晩婚気味なので、ロリー的には子どもを急ぎたいというのは十分あり得る。一方ジョンの方は、保守的なヘタレ男子のお約束として、僕らにはまだ早いとか言い張ってると思う。そこへテッドの精子ドナーの話だ。自分のこととなるとヘタレなジョンも、友情のためならためらわない。だがロリーからは当然待ったがかかる。自分たちの子どもが後回しで、ジョンの遺伝子を受け継ぐベビーを他の女性が先に産むというのは、いくらなんでも承服できかねるわけだ。そうこうすったもんだしているうちにタミ・リンの不妊が発覚して、不謹慎ジョークが得意だというならちょっと前までホットだった代理母の話なんかをここへぶち込んでみればいい。そいつをジョンはロリーにお願いすることを思いつく。「でもジョン、それってもうお前らの子どもじゃね?」「いいんだよ、テッド。何度も言うように僕らに子供はまだ早すぎる。ロリーが納得しないのは出産したことがないからいろいろ不安に思ってるだけなんだ。一度ボテ腹を経験すれば落ち着いてくれるはずさ」「なるほど、わかったジョン。それでいこう」→ロリー「あんたたちアタマおかしいんじゃないの!!!?」シナリオ上、最終的には似たような形に落ち着くことにはなるが(ジョンの子どもが先だけど二人目はテッドの養子に。双子ができるとかいうご都合展開もアリ)、最初はとりあえずジョンが家を追い出される。ロードムービーがしたいなら借り腹探してアムステルダムあたりへ飛べばいい。パロディがしたいなら『ホステル』に繋げる発想もある。何はともあれ、テッドの個人的な議題だったはずの精子ドナーの件に関わったことでジョンがこれまた個人的な割を食うことになるのは確か。大事なのはソコ。

 また代理母あたりの不謹慎具合で七津は勝手にこの案を自画自賛してはいるが、ミラ・クニスなしでもやっぱりそこまで難しくはない。本作のこれまた序盤には、ジョンのパソコンを覗いたテッドが、長く独り身でセックスレスの生活を続けているうちにジョンはちょっとやそっとの“オカズ”では満足できなくなり、今や娼婦もドン引きの超過激ジャンルに手を広げていることを知ってしまうくだりがある。テッドは慌ててパソコンを完全破壊するだけでは安心できず湾の底に沈めるところまでやるが、ここはもう手遅れだったことにすれば、いざテッドへの精子提供に乗り出さんとしたジョンがとんでもない遅漏になってしまっていたことが発覚する、なんて展開にすることができるだろう。これはまさにジョンにとって自分のことだし、テッドからしてみてももうジョンに射精してもらう以外に選択肢はないのだから同じこと。あとはなんとかジョンに射精させるために、裏モノのAVを探し求めたりデリヘルやソープを試したりでしっちゃかめっちゃかさせればよろしい。ロードムービーならコミコンなんぞじゃなくてダムへ行く。さらにお得意のドラッグネタとして、終盤ダムのトップとされる伝説級ヘルスにさえ打ち勝ってしまい、後がなくなったジョンがセックスドラッグに手を出しかけるのを、テッドが「俺たちはクサ以外やらないって昔一緒に誓っただろ」と言って止める、そんな大麻ライクその他ヘイトな主張じみた流れを持ち込めば、原題のホットをつかむと同時に敵も味方も増えて、何より「TEDでしかできないテーマ」がやれるのだから映画としての格が上がったろう。んで、幻のあのクサならもしかしたら、って言ってたらあのスーパーレモンなんたらの群生を見つけて、使いたくてしょうがなかった「群れで動いてる…!」を使えばいい。ただしそのハイパーレモンなんちゃらでも決め手に欠けてすんドめまでしかいけず、原因はジョンの遅漏はオナニーのし過ぎだけでなくロリーと離婚したことによる心因性のものもあったっちゅう話になって、あとはスメアゴルあじゃねえやサマンサを介した“真実の愛”をクライマックスで持ってくればいい。もちろんテッドとタミ・リンの間でも、子作りを愛を維持するための手段としてしかとらえてなかったことを通すなどして“真実の愛”をやる。あとはお定まりの大団円だがな、こっちはそんなに茶番じみちゃあいないと思うぜ。

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 現役名アメフト選手の自宅へ男二人で不法侵入し夜這いという名のキノコ狩り(男二人で)。このへんまではハラ抱えて笑えたんだけどなあ。

 

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きわめつけ

 人権問題は茶番。真剣で慎重にやるべきテーマだからこそ言ってる。これは揺るがねえ。

 ただ、別に人権よりザーメンのがTEDにゃお似合いだって言ってるわけじゃない。茶番じみてるのは扱いが下手だからなわけだよ。人種差別は他人事であっちゃいけない。本作も他人事として扱いたいわけじゃない。だが下処理や下準備ができてないから他人事で終わってる。やるべきことをやってねえから鼻につく。

 あるいは他人事にどれだけ真剣になれるかっていうのが人種差別・人権問題のキモだとも言えなくはない。だがそいつは、実のところは全くの他人事ではなくって、回り回っていつか自分に返ってくる、あるいはその危険性がある場合のことを言ってる。ぬいぐるみのミュータント一匹ハブったところで世の中にどんな影響があるのか、何がどう回り回ってくるのか、そこを本作は教えといてくれちゃいない。説教が説教になってねえ。そういうところ自体も茶番だし、一応わざとらしい差別意識全開のクソテレビ流して差別の醜さを表現したつもりかもしれんが、まあとにかくわざとらしすぎるし、そうやって敵にばかりスポットライトを当てて人の正義感に取り入ろうとするのって、実際子供の思考回路よね。あるいは子供から成長してないおっさんやオバハンや学生どもの思考回路。やり口がとにかくガキなのよ。しかも陰湿な方の。

 そう、この『TED2』の何が嫌って、本体が妙に陰湿。ぬるい雰囲気やブラックジョークのアンニュイさでごまかしちゃいるがね。重たいテーマを持ってくれば持ってくるだけでクールって評価をもらえるって子供じみた思い込みが根っこに思われてしょうがない。そもそも評価もらうために持ってくる時点でいやらしいし。この手のおっさん、まあめずらしかねえけども。

 ただ、セス・マクファーレンがこのおっさんぶりに“徹底してる”って点では評価してもいいのかもしれない。個人的にはこの手のおっさん性を己に見出して得意がってる自分がただのガキだって気づいてない若輩どもも含めてあまりヌルい扱いをしておきたくはないんだが、皮肉にも創作ジャンルとして確立してしまえるレベルには達してる(きっと無意識だろうが)。マクファーレンの大将のそういう特徴の中でも特別何に恐れ入るかって、この人、絶対に伏線を使おうとしない。

 いや逆にすごいよ? もうね、思いつくことを片っ端からポンポン放り込みながら、そのどれもをその場限りの使い捨てにして再利用しようとする気配が全くもって感じられないの。先述のような七津の脚本の立て方と彼の脚本とで何が違うといえば、彼の脚本には“思考の連続”ってものが見えないのよ、全然。そこに大きな価値があることすらどうも知らないっぽいの。

 もうね、これね、自分で言ったことを自分で覚えてないし、覚えようとする気すらない、おっさんそのもの。楽しくて新しいことを次から次に差し出し続けることの方が大事で、そうしていれば飽きられないってことしか頭にない、おっさんと子どもの発想。飽きられたくないって思いが強い分おっさんなだけ。実際は、子どもじゃない分、飽きよりもっと致命的な呆れが来てしまうってことに、いつまでたっても思い至らない。

 唯一“天丼”というテクニックにおいてだけは記憶力が働くみたいだが、これはプロのコメディアンの性分か手癖ってとこだろう。その証拠に、そのテクニックを脚本側では飲み込んで処理しきれていなかったりもする。

 作中にある具体例が正直傑作だ。“天丼”も含めて一番呆れたのは、モーガン・フリーマンの手のひら返し。彼が演じるのはサマンサの提案で最後にテッドが泣きつくことになったベテラン弁護士パトリック(ロードムービーは、彼に会いにはるばるってやつ)。テッドと面会した彼は、「君は人権がもらえてもおかしくないようなことを今までにいくらでもしてこれたはずだったにもかかわらず、何もしてこなかった(そのうえ札付き)」という、めちゃくちゃごもっともな批評をテッドに突きつけて追い返すんだが(正直この映画で一番スカッとしたシーン)、その直後にコミコンで事故に遭って意識不明に陥ったジョンのそばでオロオロするテッドをTVで目の当たりにしたことで、「なんて思いやりのあるやつだろう」って感動したからっつって、弁護を引き受けることにしてくれます。うん、あの、なんていうか、さすがにちょっと自分の日本語に自信がなくなってきたんだが、ちょっと待ってくれ。社会に貢献してこなかったってことと、真心があるってことは、繋がりませんよね? えっ、繋がんないよね? 繋がるって言われたら七津あたまがおかしくなってしぬんだけど。

  そして繋げようと思えば繋がる物を用意するのもそんなに難しくなかっただろうに、っていうのがまたミソ。なんかコミコンの事故のくだりは、「大きなものの下敷きになったジョンをテッドが心配してそれで丸く収まる」ってところが前作のあの「取っ組み合いのケンカのシーン(のオチ)」と記号で共通してるんだけど、むしろその共通項を意図的に作って、シナリオは無理やりまとめたっていうのが実態のような気さえする。天丼はお約束だし思いついたことはやらなくちゃっていう脊髄反射ばかりで、後先のことは何も考えてないうえに前のこともよく覚えていない。意識したことは大事なシーンに前作との共通性を作ることで、漠然としたこだわりのようなものとファンサービスとを同時に達成させられるということ。なんてさあ、自分でも必要性がよくわかってないようなこだわりとか、ファンサービスにばかり神経割いた挙句に他がおろそかとか、あとは自分の経験の奴隷だったりとか(天丼のこと)、こんなとこもやっぱり考え方が保守的で閉鎖的なおっさん。

  かと思えば、ラストの逆転裁判の方もこのパトリックがノーコストの無条件ワイルドカード(エクゾディアみたいなもん)となって何の駆け引きもドラマもないまま普通に勝訴しちゃうからね?そもそもそんなに勝つのが難しくないのはわかってたよ。*1 だからこそ茶番じみてたんだが(『ミルク』や『チョコレートドーナツ』がいかに勝ちづらかったか)、この勝ち方がどう見ても、「なんにも考えてないアホ陪審員どもが、人権関連の裁判で実績もあって見た目もいかにも老獪そうなベテラン弁護士を見ただけでそっちになびいた」ようにしか見えなかったもんだから、茶番としてもトドメを刺されたようなもんですよ。陪審員制度なんて結局こんなもんなんだっていう痛烈な皮肉を含んだ描写だーって言えなくもないかもしれんけど、それもまた思考が連続してないっていうかそんな話してなかったでしょっていうか、ホント途中でぽこんと思いついたものを点数稼げそうだからって放り込んだようにしか思えないっちゅうの。まあそうわざわざ悪く取りたくもないもんで、だから結局腑に落ちないことと胸糞悪いことを混同した頭の悪い裁判シーンをダラダラと見せられた挙句に、権威っていうすげー額面通りの“パワー”を味方につけたことで理屈もへったくれもなく押し切りましたっていう上っ面をなぞることになる。それ以上のことをする気にもなれないのよね。

 ていうか、権威とか金とかの純粋な力に頼ればノーリスクで何でも解決するっていう発想がまたまたガキでおっさんだよね。親やジャイアンの背中に隠れ続けていつまでも成長しないスネ夫そのもの。たとえばパトリックがテッドに、弁護はするけどその代わりにこれからは社会貢献してくれ、みたいな何かしらの条件をつけてればここまで思わなかったんだろうけど。

 ていうかそこからテッドが真面目に努力し始めて中年の星として輝くっていう発想にいくんじゃないんすかー! ないんすかぁそっすかぁ……。*2

 よもや、テッドやジョンら程度の実力・民度で社会に抵抗するのに自力(署名活動とか)なんて土台無理でアホクサすぎるものであって、権力者の気まぐれや棚からぼた餅以外に解決策は存在しないとかいうとんでもない皮肉を孕んだ下衆すぎるブラックジョークのつもりだったりはしないだろうか……だとしたらセス・マクファーレンは病気か天才*3かのどっちかだが……だからどうした以上のことはないし。

 うーん、セス・マクファーレンなあ。思考の連続が絶対正義だとまでは七津も思っちゃいないが、支離滅裂荒唐無稽ってのはそう自覚してどっかへ突き抜けていかなきゃ、ごくごく単純につまんないってことにしかならんとも思ってる(『極道大戦争』ぐらいはやってほしい)。少なくとも『荒野はつらいよ~』はどことなく『TED2』とノリは似てたけど、マクファーレンなりの西部劇・愛ってやつで一貫してる感はあったしエネルギーもかなりあった。『TED2』は本当にただの中年の性能という感じ。

 もともとしょぼいコメディなんだから頭空っぽにして楽しめばいいって意見もわからんでもない。が、今さらそう逃げを打たれて納得できるものでもないだろう。前作がそのとおり「しょぼいコメディ」でしかなかったなら続編なんか見なかった。つうの(・ε・)

 だいいち頭空っぽにするとますますおもんなんかったって言いたいよ。なんていうか、腑に落ちないところをスルーするたびに「そーそ、いい子でちゅねー」って言われてるような感じもして、そりゃあ憮然とさせられたもんだし。

 だいたい笑いを取りに行くときっていうのは人間のしたたかさが試されるもの。したたかでなければ点数を稼ごうという嫌らしい下心が(なくてもあるものとして)露呈することになる。『TED2』は、まだまだ謙虚だった『TED』や我武者羅に投資した『荒野はつらいよ~』で占めた味に酔ったおっさんがダラけた末に現した馬脚だ。別に七津はおっさん全部を攻撃したいわけじゃない。「お前らこういうのがいいんだろ?なぁ?」みたいないやらしい口調で、アイディアの羅列を見せびらかして「これ面白いでしょ」とにじり寄ってくるタイプのオヤジの見苦しさについて話している。連中の感覚は小説家志望の中学生が自分のネタ帳を他人に見てもらいたがるのとほぼ同じものだが、金があるもんだからイメージビデオで保存してあって、繋げると映画一つ分くらいにはなることもあるのかもしれない。本質はネタを考えるだけで満足している中学生と変わらず、実態は小説としても映画としてもまだ成っていないものを出しておいでなさるわけなんだから、他人はとても付き合いきれんよ。

以上。 

 

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テッド [DVD]

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当然一作目だけ置いておく。

*1:追記1(5月28日):よく考えると「社会にとって有益でない」って最初の敵弁護士が言ってくれてもよかったんじゃない? あの弁護士もパトリックほどじゃないにしてもかなりのやり手って設定なんだから、ゴリ押しで陪審員扇動する胸糞裁判の演出に使うくらいなら、「クマだから人権を与えられないというのはおかしいと思います。しかしながら、テッドの経歴に鑑みると、彼に特例として人権を認める行為が我々の社会にとって不利益でないとはどうしても考えられません」とでも言って、ぐうの音も出ないように叩き落してくれた方が、展開にも納得がいったし、何より課題の困難さってものを観客とテッドとで共有できたんじゃないだろうか。つまり同時に観客に自問させることにもなるわけだ、自分なら人権を認めてもらえるほど社会の役に立っているだろうか、と。

*2:追記2(5月28日):タミ・リンの「子供が欲しい」って願いとかけ合わせて、二人で児童養護施設を設立するという社会貢献はどうだろうか。子供のおもちゃだったテッドは子供の願いで魂を得たのだから、他の誰よりも子供たちのために生きられるはずだ、的な結論で。一旦子供も人権も諦めて吹っ切れたような態度を取ってくれればそれもかっこよかったろうし。

*3:もちろん一般の人間がついていけない方の天才。